再建なるか、台北の「明治橋」

11月28日に投開票される台北市長選に、国民党の現職蒋萬安の対抗馬として出馬した与党民進党の沈伯洋立法委員が、日本統治時代に建設された「明治橋」の再建に意欲を示し、話題になっている。

台北市、日本時代建設の「明治橋」再建を検討 来年1月にも関連の報告書提出へ - フォーカス台湾
11月28日に投開票される台北市長選に出馬した与党・民進党の沈伯洋(しんはくよう)立法委員(国会議員)が12日、日本統治時代に建設された明治橋の再建に意欲を示した。これに対し台北市政府工務局水利工程処は、2002年の解体時に構造物を435個...

片や萬安知事は国民党の元祖蒋介石の曾孫(父経国の側腹の子)として知られるペンシルベニア大卒の47歳、此方沈議員も同じペン大卒で44歳ながら、頼清徳と同じ本省人で強固な独立派で鳴る民進党のエース、出自は異なれど若さもキャリアも良い勝負だ。が、本稿の題目は選挙ではなく「明治橋」。

沈議員の「明治橋」再建発言には、親中で知られる旺旺(わんわん)グループ傘下の台湾メディア『中時新聞網』が翌9月17日、中国の『環球時報』を模してこれに反対する識者を登場させ、早速こう語らせている。

作家の徐宗懋は・・近年、台湾の植民地統治を美化する層が明治橋を「台湾史上最も美しい橋、さらには世界で最も美しい橋」などと称賛していることについて、「日本国内では模造の橋など全くリスペクトされていない」と苦言を呈している。

2002年に道路拡幅と基隆川改修のため約百年の歴史を閉じた「明治橋」は、今は圓山大飯店が威容を誇る辺りにかつて鎮座していた台湾神社の建立に際して架けられた。その経緯を明治政界の黒幕と任じられた杉玉茂丸の『児玉大将伝』、および史明の『台湾人四百年史』を基に振り返る。

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1895年4月17日、下関の春帆楼で日清戦争の講和が成り、日本政府は翌月22日、台湾鎮撫のため近衛師団を率いる陸軍中将北白川宮能久親王をして大連からそのまま台湾に向かわせた。初代台湾総督となった樺山資紀海軍大将は琉球から北白川宮と合流し、28日には基隆港外に到着した。

南下する日本軍に乃木希典大将率いる第二師団も屏東枋山から合流、10月22日には台南に入城し、29日に安平(オランダ統治期の古都)を占領した。が、その前日、指揮を執ってきた北白川宮が風土病に斃れた(台湾人には清の敗残兵か土匪の首狩りで落馬したことが原因との言い伝えがある:史明)。

初代樺山以降、桂太郎、乃木希典を経て1898年に4代目総督に就任した児玉源太郎は、歴代の懸案だった北白川宮を祀る神社創建の地として、眼下に台北市内を一望する剣潭山に着目した。が、秘書に聞くと難しいという。その理由は、樺山がそこを領事館用地として仏国に貸与する約束をしているからだと。

これを聞いた児玉は、「台北城内を俯瞰される場所を外国の治外法権に任せることは出来ぬ」と述べたものの、先任者が一旦許した場所を取り上げる命令は、児玉と言えどさすがに出せない。そこで懇願という形で秘書から丁重に申し入れさせた。

秘書の申し入れに仏領事は、「次第によれば・・。で、如何なることに剣潭山をお用いになりますか」と問うた。秘書が北白川宮薨去のことを持ち出すと、領事は「良く知っています。殿下は近衛師団長として英邁な皇族でした。ご哀悼申し上げる」と述べたので、秘書はこう続けた。

日本人が皇室皇族を尊び、神聖侵すべからざるものとして仰ぐのは、先天的の国粋でありますから、殿下が台湾の陣中に薨ぜられたことは臣民一同悲痛な嘆きを心の奥へ刻み付けられて、しばしも忘れることは出来ません。せめての心ゆかせに日本の宗教における神として祀るべく、台湾に一個の神社を建てるについて剣潭山が適当でありますから、この事情を具して、かの地を貴官から譲るけることが出来れば、台湾住民はもとより、日本国民の喜びであります。

これに仏領事は、「よろしい、かほどまで言われるならば、私の名誉にかけて剣潭山をお譲りいたそう。宮殿下の在天の御霊も景勝の地をご満足あらせられるでござろう」と快諾した。実は仏国側にも、一時は望んで借り受けたものの、高い山の上で領事館に不向きなため、着工を躊躇っていた事情があった。

基隆川の同地にはかつて橋が架かっていた。が、領有翌年に大洪水で流されて以来、旧式の渡し船の渡河で事は足りていた。しかし、台湾神社創建となれば参拝者も増え、それなりの橋梁が必要となる。そこで費用の問題が出来した。一計を案じた児玉は、工事費用を台湾神社創建予算の中に紛れ込ませた。

予算書が内務省に回付されて、社寺局や台湾課が調べると、驚くことに国道の橋梁建設費が神社費に入っている。当局はあわてて総督府に説明を求めた。折から上京していた児玉が内務省を訪れると、当局は「どうも困りましたな、基隆川の架橋費を神社費にお組み込みでは?当惑いたします」という。

児玉が「なぜじゃろうかなあ」ととぼけると、「橋は国道に架けられるので、国道の方でご支弁願いたい」と当局、これに「国道の橋と思うからいかんのじゃ。神社の橋を国道に貸して、公衆に渡らせると思えばよろしい」と児玉。すると当局は「三の鳥居以内のものでなければ、神社用と認めぬことになっておりますから」という。

児玉はニコっとしてこう返した。

ならば早くそう言えばよい。それなら乃公(わし)の方もかえって都合がよい。台湾神社は台湾唯一の官幣社で台湾の守護神じゃ。それで三の鳥居は基隆の埠頭に建てることになるから、基隆以内の道路の修築や土木工事はすべて神社費でやってくれ。乃公も大いに助かるというものじゃ。

斯くて神社費で架けられた明治橋は、遣り取りから判るように台北城内から台湾神社への参道を横切る基隆川に架けられた橋である。この参道は戦後国民政府によって中山北路と改名されるまで、1923年の皇太子裕仁殿下行啓で台湾神社ご参拝の際に改修されたのに因み、「勅使街道」と呼ばれていた。

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今でこそしたり顔でこう書く筆者だが、じつは台湾赴任間もない12年春、月に一度の台北出張の折に台湾神宮(44年6月、神社から改称)を見に行こうとしたことがあった。乗ったタクシーの運転手に「台湾神宮」と書いた紙を示すと、怪訝な顔の運転手が停まった先は圓山大飯店の玄関だった。

つまり、台湾神宮がまだあると思っていたのである。思い込みの理由は単純で、赴任した高雄には忠烈祠と名前は変わっても高雄神社があったから。調べると、44年10月に旅客機が剣潭山頂に墜落し、焼失していた。国民党の接収後、神社跡に宋美齢の別荘が建てられ、発展して圓山大飯店になったそうだ。

台湾神社の航空写真(昭和初期)
Wikipediaより

折しもワシントンでは米中首脳会談が行われている。米国による台湾への武器売却も議題に上る様だが、筆者はトランプ氏が、執務室に写真を飾っているレーガン氏の「台湾関係法に基づく台湾への武器売却の質と量は、中国の台湾に対する威圧の度合いに比例する」との主旨の大統領令に背くことはないと思う。

さて、11月の台北市長選の結果に関わらず「明治橋」の再建はきっと叶うだろう。そして、蒋萬安と沈伯洋に国民党党首で57歳の鄭麗文(ケンブリッジ修士の本省人)を加えた3人が、将来の台湾総統の有力候補であることは先ず間違いない。「明治橋」と共に台北市長選からも目が離せない。

 

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