アナライザーはR2-D2+C-3PO、999はHAL:松本零士宇宙をAIで読み直す

ChatGPTをはじめとする生成AIが日常に入り、「AIはどこまで人間に近づくのか」「AIに人格は生まれるのか」という問いが急に現実味を帯びてきた。

だが、日本のSFアニメを振り返ると、この問いは半世紀前から描かれている。『宇宙戦艦ヤマト』のアナライザー、『銀河鉄道999』の999号、そして『宇宙海賊キャプテンハーロック』のアルカディア号である。

現代の有名なSFキャラクターになぞらえるなら、私はこう考える。

アナライザーはR2-D2+C-3PO。
999号はHAL 9000。

では、アルカディア号は何なのか。

この三者を並べると、単に「昔のアニメにもAIがいた」という話ではなくなる。見えてくるのは、AIの性能差ではなく、「知性はどこに宿るのか」という3つの異なる答えだ。

アナライザー:知性は「身体」に宿る

『宇宙戦艦ヤマト』のテレビ放送は1974年に始まった。『スター・ウォーズ』第1作の公開は1977年だから、アナライザーをR2-D2やC-3POの模倣と考える時系列ではない。ここで言うのは、現在から振り返った機能上の類似である。

R2-D2は宇宙船の修理や機械操作を担う実務型ロボットで、C-3POは人間と会話し、多数の言語や礼儀作法を扱うコミュニケーション型ロボットだ。アナライザーには、その両方の性格がある。

分析し、乗組員を技術的に支援する一方、自分の身体を動かし、人間と会話し、人間臭い感情まで見せる。現代風に言えば、知能が物理的な身体を持って現実世界で行動するEmbodied AIに近い。

人工知能学会誌が2019年、『宇宙戦艦ヤマト2202』を題材に「アナライザーと人間の新しいランドスケープ」という記事を掲載しているのも面白い。半世紀前に生まれたロボット像が、現代のAI研究者にとっても考察対象になったわけだ。

ただし、『宇宙戦艦ヤマト』は西崎義展、松本零士を含む多数のスタッフによる共同制作である。以下は「松本零士が3種類のAIを単独で考案した」という話ではない。松本零士が深く関わった1970年代のSF作品群を、現在のAIという物差しから読み直す試みである。

999号:知性は「システム」に宿る

次は『銀河鉄道999』だ。

松本零士の原作漫画は1977年に始まった。劇場版続編『さよなら銀河鉄道999』について、東映アニメーションは999号が「完全にオート・コンピューター化」されたと説明している。

ここでアナライザーとの違いがはっきりする。

アナライザーでは、知性が一体のロボットに入っている。999号では、列車という巨大な機械システムそのものが状況を判断し、動く。

これに近い先行するSFの代表が、1968年の映画『2001年宇宙の旅』に登場するHAL 9000だろう。HALは宇宙船ディスカバリー号のシステムを制御し、乗員と会話し、自ら判断する。

アナライザー=個体型AI
999号=システム型AI

現在の自動運転やAIエージェントを知る私たちには、それほど奇抜な発想にも見えない。AIが質問に答えるだけではなく、状況を認識し、目的に沿って判断し、巨大な機械やサービスそのものを動かす。約50年前には、すでにその姿が描かれていた。

アルカディア号:知性ではなく「人格」が宿る

そしてアルカディア号である。ここで話は一段変わる。

アルカディア号も巨大な宇宙船であり、中枢コンピューターを持つ。それだけなら999号やHALと同じシステム型AIに見える。

しかし、零時社の松本零士公式サイトは『宇宙海賊キャプテンハーロック』について、アルカディア号の中枢コンピューターとなった盟友・大山トチローとハーロックが意思を通わせると説明している。東映アニメーションの作品紹介にも、トチローの魂を宿した中枢大コンピューターという描写がある。

これは普通のAIとは違う。

人工的に作った知能が人間に近づいたのではない。人間だった者が、機械の中に残っている。

現代の概念を当てはめるなら、マインド・アップローディングやデジタル人格に近い。HAL 9000の中に、亡くなった親友の記憶と人格が宿ったらどうなるか。それがアルカディア号なのである。

ハーロックにとってアルカディア号は、単なる高性能な宇宙船ではない。船であり、親友でもある。

人間と機械の関係は、「主人と道具」「利用者とAIサービス」を超え、生きている人間と、機械の中に残った死者との友情にまで進んでいる。

50年前の空想に現実が近づいてきた

アルカディア号ほど完全な「人格移植」は、まだ現実には存在しない。

しかし、方向としては空想だけとも言えなくなった。米国著作権局は2024年、AIなどを使って人間の声や外見を本人らしく再現する「デジタル・レプリカ」をめぐる法制度上の問題を独立した報告書のテーマとして扱い、無断利用への連邦レベルの保護を勧告した。

現在の技術は、トチローの人格そのものを宇宙船へ移す段階にはない。それでも、亡くなった人の声や映像、文章など大量の記録が残れば、それらから「その人らしい応答」を生成することは、少なくとも発想としてはSFの外へ出つつある。

するとアルカディア号が突きつける問いも変わって見える。

AIが人間になるのか、だけではない。
人間は、どこまで機械の中に残り続けられるのか。

松本零士世界が恐れたもの

そして私は、ここが松本零士作品の最も面白いところだと思う。

彼の世界では、知性を持つ機械そのものが必ずしも悪ではない。アナライザーは仲間であり、999号は鉄郎たちを運び、アルカディア号には親友が宿る。

むしろ『銀河鉄道999』で繰り返し描かれるのは、人間の側が機械の身体を求める世界である。

零時社の公式紹介でも、星野鉄郎は「機械の体」を求めて999号に乗る。裕福な者は機械化人となって永遠の生を享受し、その一方で貧しい人々が迫害されている。

ここには奇妙な逆転がある。

機械が人間のようになることより、人間が機械のようになってしまうことの方が怖い。

人格を持った機械とは友達になれる。しかし永遠の身体を手にした人間が、有限な生命を生きる者への共感を失えば、人間性そのものが揺らぐ。

だから約50年前の作品が投げかけた問いは、「AIは人間より賢くなるか」ではなかったのかもしれない。

人間を人間たらしめているものは何なのか。

身体なのか。知能なのか。記憶なのか。感情なのか。それとも、誰かを友と思い、その記憶を抱き続けることなのか。

アナライザーでは、知性は身体に宿る。
999号では、知性はシステムに宿る。
アルカディア号では、人間だった人格がシステムに宿る。

機械が人間に近づく未来と、人間が機械に近づく未来。松本零士が関わった宇宙作品は、その両方を約50年前に描いていた。

ChatGPTの時代になって、私たちがようやく、その問いに追いつき始めたのかもしれない。

【出典】

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