「3.11」も忘れた文系学者は、なにを犠牲にしているのか

今年の1月にこのnoteで、「歴史が加速している」と書いたことがある。ついこの前起きたことでも、一瞬で遠い時代の過去と差がなくなり、みんな忘れ去る。そんな現状を喩えた表現だ。

以下がその記事だけど、みなさん、「ベネズエラ事変」が今年のことだって覚えてますか? 次のショックが来るごとに、ひとつ前の事件を “上書き” して、記憶がデリートされていく。そうした時代をぼくらは生きている。

まさかの「一日天下」に終わったベネズエラの専門家: 坂口安紀氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
たしか『記憶の場』のピエール・ノラに、「歴史が加速している」という表現があったのを妙に覚えている。元の用法と同一ではないかもだが、こんな話をするとき、その語がいつも脳裏に浮かぶ。 戦争の記憶と結びついた「戦後」という歴史の感覚が、2010年...

7月に震度7を記録した熊本地震なんて、まだ3か月も経ってないのに、すっかり影が薄れ気味だ。というかその前から、ぼくらの社会が歴史を心に刻み、記憶して “持ちこたえる” 力は落ちていた。

同地震の発生は、7/28の夕方だった。その後しばらく目立ったのが、「前から危ないと言われていた」とする趣旨の報道である。今回については、事前に警告する声があったのは事実で、

10年前から警戒されていた活断層、熊本の「日奈久断層帯」とは?:朝日新聞
熊本県で震度7を観測した地震の震源になったのは、日奈久(ひなぐ)断層帯という活断層とみられる。2016年の熊本地震を起こした布田川(ふたがわ)断層帯の延長線上にあることから、続けて地震を起こす可能性…

地震調査委員会の小原一成委員長も今年4月の記者会見で「地震発生確率が高く、いつ起きてもおかしくない状況。地震活動も活発で、起きやすい状況だと心がけて十分な備えをしてほしい」と呼びかけていた。

朝日新聞、2026.7.28

ということらしく、分野違いの(文系の)学者が「研究って有用ですね」なる謎の便乗コメントを記事につけているが、そうした人はどうやら、10年以上前のことは覚えてられないらしい。

実際には10年前、2016年の熊本地震がまだ起きていない時期には、地震学の “研究” は正反対のことを主張していた。去年も採り上げた書籍から、ずばり引用しておこう。

最初に "専門禍" を起こした地震学で、ようやく反省が始まっている|與那覇潤の論説Bistro
昨年8月8日の日向灘地震を覚えているだろうか。宮崎県で震度6弱を記録し、久々の緊急地震速報が響き渡った。長崎の原爆忌の前日のことだ。 それ以上に社会を緊張させたのは、2019年に運用を開始した「南海トラフ地震臨時情報」が初めて出されたことだ...

南海トラフ地震が防災予算獲得の都合から「えこひいき」されて確率が高く示されるあまり、全国の他の地域の確率が低くとらえられて油断が生じ、むしろ被害を拡大させる要因になっている実態も見えてきた。

例えば、2016年に発生した熊本地震では、震源となった活断層の30年以内の地震発生確率が「ほぼ0~0.9%」とされており、熊本県は低確率であることをPRして企業誘致を行っていた。

そのため、地震が発生すると被災者たちは口々に「九州には地震が来ないと思っていた」と話した。生半可な科学を使った政府の対策が逆に油断を生み、被害を拡大させる要因を作ってしまう。

小沢慧一『南海トラフ地震の真実』4頁
(強調と改行を付与)

大地震が起きてしまった後に、「またあるかも」くらいのことは誰でも言える。ところが自然科学も “誤りうる” という10年前の教訓すら都合よく忘れ、研究の有用性とやらの看板だけ借りたがる、文系の学者もいるわけである。

つまりは理系の「おこぼれ乞食」だが、そうして彼らが仕事をしないおかげで、この社会が “歴史” を伝える力はみるみる衰えてゆく。今夏の震災では、その犠牲になったとしか言いようのない、痛ましい事件も起きた。

売上金保管指示「許せない」 「明るく、責任感の強い子」―イオン爆発犠牲の大竹玖瑠美さん親族・熊本地震:時事ドットコム
爆発事故で7人が犠牲となったイオンモール熊本(熊本県嘉島町)2階の雑貨店に勤務し、爆発に巻き込まれ死亡した大竹玖瑠美さん(22)=熊本市。「いつも明るくて、人から好かれる、責任感の強い子だった」。親族の男性(51)はそう振り返りながら、施設...

ハビタ側は、爆発の約30分前、大竹さんと一緒に屋外駐車場に避難した同僚の女性従業員(25)に対し、イオン側の許可を得た上で店に戻って売上金を1階の金庫に移すよう指示していたことを明らかにしている。この従業員も爆発に巻き込まれ亡くなった。

時事通信、2026.8.11

2016年より前を忘れている学者は知らないのだろうが、11年にも東日本大震災という大きな地震があった。このとき最大の犠牲を出したのは津波で、災害の際には周りを気にせず、「とにかく逃げる」ことが鉄則だと語られた。

2013年に歴史学者として作った本で、日本中世史家の東島誠氏は、当時再評価する声が集まっていた、被災時の心得を説く “歴史上の伝承” について、ぼくとの対談でこう語っている。

日本の起源(atプラス叢書05) - 太田出版
古代の天皇誕生から現代の日本社会までを貫く法則とは? 歴史学がたどりついた日本論の最高地点。 いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どう...東島誠・與那覇潤著『日本の起源(atプラス叢書05)』作品案内。/ISBN...

東島 東日本大震災に際して、「津波が来たら、とるものもとりあえず、めいめいに逃げろ」という意味の「津波てんでんこ」という言葉が大きくクローズ・アップされましたよね。
(中 略)
江戸時代の代表的な俗語辞典である『俚言集覧』では、「面々コウ」を「又テンテンコッコとも云」としており、……徂徠の場合はネガティブな意味で、津波の場合はむしろポジティブな意味で、つまりはよくもわるくも「面々ばらばら」「てんでんばらばら」に相当する語彙が古くからあって、目下のところ、徳川吉宗時代に書かれた荻生徂徠の社会批評にまで遡れる、ということなんですね。

312頁

江戸時代にも徂徠のような “学者” はいたが、TVやSNSに出ずっぱりのセンモンカに比べたら、社会的な知名度は無にも等しかったろう。しかしそんな時代の方が、必要な過去を自分たちで伝承する力は、おそらく強かった。

逆に、徂徠より遥かに “インフルエンサー” たり得るはずの文系学者が、こぞって「理系のおこぼれ」拾いに転じて逃げ出し、歴史をポイ捨てしたのが2020年からのコロナ禍だった。これについては、翌21年6月の著書にも

朝日新聞出版 最新刊行物:新書:歴史なき時代に
第二次世界大戦、大震災と原発、コロナ禍、日本はなぜいつも「こう」なのか。「正しい歴史感覚」を身に付けるには。教養としての歴史が社会から消えつつある今、私たちはど...

2021年3月は、本来なら「東日本大震災から10周年」の節目であり、国民全体で心静かにあの出来事をふり返る機会になるはずでした。それがコロナ禍の延長によって押し流された――というかその時点まで一貫して、日本での流行の規模は欧米なら「収束した」と見なされるほどの微小な水準でしたから、純粋な「パンデミックなきインフォデミック(情報災害)」によって、私たちは過去を足蹴にしてしまったのです。

このことには、すごく重たい意味がある。そう私は考えています。

101頁(語り下ろし)

と、すでに記している。

先に引用した小沢慧一『南海トラフ地震の真実』は(もともと世評の高い本だが)、自然科学で定説化してきた仮説の正しさを、根拠とされる近世の土佐の “一次史料” に遡って検証し、そのおかしさを論証した書物である。

著者は新聞記者だが、本来であれば、まさに歴史学者がやるべき仕事だったろう。一方で同書の批判を踏まえて、地震学の専門家も「誤りの可能性」を公の場で認めた。文理を問わずこれこそ、学者のあるべき正しい姿だ。

【詳報】南海トラフ「確率水増し」を追及した記者も驚いた…80%計算モデル提唱者が自ら「間違いの可能性」:東京新聞デジタル
「30年以内に80%」とする政府の南海トラフ地震の発生確率。この根拠となる計算モデルの提唱者である島崎邦彦・東京大学名誉教授が26日、...

『文藝春秋』11月号の「保守とリベラルのための教科書」では、そうした観点から再び、同書を採り上げた。これはぼくの “便乗” だが、21日に出すコロナ禍以降の「専門家批判」の拙著の、いわばお手本として紹介している。

ぜひ歴史を取り戻すために、手にとってほしい。そうした一人ひとりの実践が、これ以上ニセモノな識者に騙されないワクチンになる。それは災害時に私たちの命を守る、安全保障の問題である。

小沢慧一『南海トラフ地震の真実』 | 與那覇 潤 | 文藝春秋PLUS
7月28日の熊本地震は、令和の日本人がいかに歴史を失っているかを、痛切に思い起こさせた。発生の当初に目立ったのが、「前から」熊本は危険だと言われていた、とする趣旨の報道である。 だが「前」とはいつ…

参考記事:

なぜ「まちがえた」と言えないのか | 東洋経済STORE
東洋経済新報社が発行する週刊東洋経済、会社四季報などの雑誌や本、統計・総覧、主催のセミナー・イベント情報をご案内しています。
「専門家の時代」の終焉|與那覇潤の論説Bistro
いま連載を持っているので、送っていただいている『文藝春秋』の4月号が届いた。すでに各所で話題だが、「コロナワクチン後遺症の真実」として、福島雅典氏(京大名誉教授)の論考が載っているのが目につく。タイトルが表紙にも刷られているので、今号の「目...
「読み書き」するほど賢くなくなる人は、どこが問題なのか|與那覇潤の論説Bistro
ぼくも隔月で載せていただいている『文藝春秋』の書評欄で、平山周吉さんが、その月でイチ推しの新書を紹介するコラムを持っている。 もうすぐ次の号が出ちゃうのだが、11月号では「大げさに言えば、「国民必携の新書」」として、佐藤卓己先生の『あいまい...

(ヘッダーは8/27、爆発の犠牲者を悼むモール前の献花台。時事通信より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年10月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください

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