令和に改元されてから8年の月日がたったが、ここで皇室の歴史を振り返ることも悪くないと思い、『誤解だらけの皇位継承の真実』(清談社)に所収の令和の皇室と日本の歩みを簡略化して提供したい。
令和の幕開けと新天皇の即位
満開の桜が咲き誇っていた2019年(平成31年)4月1日、新しい元号が発表され、日本中が華やいだムードに包まれた。『万葉集』にある「初春令月気淑風和(初春の令月にして、気淑く風和ぐ)」という大宰府の梅を愛でる歌の序から取ったものだが、日本の古典に由来し、元気が出る言葉だった。
5月1日に、皇太子徳仁親王殿下が第126代天皇に即位され、10月22日には「即位礼正殿の儀」が行われた。ここで、天皇陛下が即位を内外に宣明され、各国の元首・王族らが参列し、同日から31日にかけて「饗宴の儀」が行われた。

即位礼正殿の儀 宮内庁HPより 令和元年10月22日
戦前の皇室典範では、即位礼は京都御所で行うとされ、東京遷都のあとも京都とのつながりを重視された明治天皇の強いご意志だったわけだが、平成のときは議論されることなく東京で行われ、令和も同様になった。
ただ、高御座はつねに京都御所紫宸殿にあり、平成のときも今回も東京に運ばれ、また戻された。
11月10日には、「祝賀御列の儀」で両陛下がオープンカーで皇居から赤坂御所までパレードされ、11月14~15日には、皇位継承に伴う皇室祭祀の中心儀式である「大嘗宮の儀」が行われた。11月から12月にかけては、伊勢神宮、神武天皇陵、歴代天皇陵への親謁などの行事が続いた。
コロナ禍と皇位継承をめぐる動き
しかし、翌2020年には、新型コロナ禍のために各種行事が中止され、4月19日に予定されていた立皇嗣の礼が延期された。しかし、11月8日に「立皇嗣の礼」が挙行され、陛下が、秋篠宮文仁親王殿下が皇嗣であることを内外に宣明され、『壺切御剣』を親授されたが、目立たない形で行われ、これが次期天皇として皇嗣殿下が確定したという認識が広まらなかった原因になった。
2021年には、天皇ご一家が赤坂御所から皇居内の御所へ移られ、上皇・上皇后両陛下は、仮御所を経て、旧東宮御所を仙洞御所とされた。8月には東京五輪・パラリンピックが1年遅れで開催されたが、無観客試合となり、陛下が開会式と閉会式に出席されたのみとなり、他の皇族は観戦もできなかった。10月には眞子さまが小室圭氏と結婚し、皇室を離れられた。
12月1日には愛子内親王殿下が成年を迎えられ、行事が行われたが、恒例の記者会見は多忙を理由に翌年3月に延期され、伊勢神宮・神武陵・武蔵野御陵への報告は最後までされないままになった。
12月22日には、政府の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に関する有識者会議」が報告書を提出し、悠仁親王殿下までの皇位継承順位を動かさず、皇族数確保策として、「女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する」ことと、「皇統に属する男系男子を皇族の養子として迎える」ことを提案した。
愛子さまと悠仁さまの成年、皇室外交の再開
令和4年(2022年)には、悠仁さまがお茶の水女子大学附属中学校を卒業し、筑波大学附属高等学校へ進学された。9月にエリザベス女王が亡くなり、両陛下は国葬参列のため訪英されたが、皇后陛下はレセプションには参加されなかった。
令和5年(2023年)の5月4~7日には、秋篠宮皇嗣殿下御夫妻がチャールズ3世戴冠式参列のため英国を訪問され、5月には両陛下が国賓としてインドネシアを訪問された。また、園遊会が再開された。
令和6年(2024年)は、愛子さまが学習院大学文学部日本語日本文学科を卒業され、日本赤十字での勤務を始められた。5月には、愛子さまが国立公文書館の特別展を視察され、これをもって初の単独公務とされたが、眞子さまは16歳、佳子さまや清子さまは19歳で開始されているので、大幅な遅れとなった。
6月には両陛下が英国を国賓訪問されたが、日程の前半は雅子さまの体調を調整するための静養に充てられた。また、英国とはエリザベス女王の訪日ののち、日本側からの訪問が5回連続しており、これは残念なことだ。
9月6日に悠仁さまが18歳となり、民法改正を反映して成年となられたが、皇太子だったために18歳で成年となられた上皇陛下の前例にならって、成年式は高校卒業後に延期された。

悠仁親王と愛子内親王 宮内庁HPより
悠仁さまの成年式と皇室典範改正
令和7年(2025年)には、悠仁さまが筑波大学生命環境学群生物学類に入学された。7月には、両陛下がモンゴルを国賓訪問された。9月6日に、悠仁親王殿下の成年式が皇居で行われ、記者会見などの関連行事が行われ、伊勢神宮、神武天皇陵、歴代天皇陵への参拝をされた。
令和8年(2026年)6月には、両陛下がオランダ、ベルギーを公式訪問された。今回も両国での滞在前半は静養に充てられたので、2週間の長さとなった。
7月17日に、皇位継承についての皇室典範改正案が参議院本会議で可決され、成立した。
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