どうも私が誤解していたようですね。「安冨さんのおっしゃる通り」は撤回します。ただ経済学が、医学のような「臨床の知」でなければならないというのは、私もある意味では同感です。
経済学はそもそも科学なのか、というのも古くから論じられてきた問題です。ワルラスやパレートは自然科学に近い厳密科学として経済学を構築しようとしましたが、ケインズは経済学は「歯医者の仕事」のようなつまらない技術だ考えました。最近ではマンキューも、経済学は科学ではなく技術だとしています。
私はケインズやマンキューに賛成です。経済学の対象とする社会は、非常に複雑性が大きく、自然科学のような厳密な法則性を見出すことは困難です。へたに自然科学を模倣すると、新古典派のような疑似科学になってしまう。それよりアドホックでもいいから、現実に役に立つほうが重要です。経済学者の本業はパンフレットを書くことだ、というケインズの言葉を私が引用したのも、そういう意味です。
ただしこういう臨床の知が単なる経験主義と違うのは、その基礎に科学的な方法論をもっているかどうかです。医学だって生物学の知識なしでは成り立たない。その意味では、新古典派経済学が蓄積してきた理論や実証データには意味があります。経済学が医学だとすると、診断や治療を行なうのは政策担当者なので、重要なのは政策当局者がそれを理解していることですが、80年代以降のマクロ経済学は難解になりすぎ、政策にほとんど影響を与えていない、とマンキューは嘆いています。
DSGEが中央銀行の公認理論になっていることを考えると、これは官僚についてはいささか誇張されていると思いますが、政治家やジャーナリストについては当たっています。先週の「有識者会合」でも、閣僚の質問がトンチンカンなのには驚きました。医者の理解できない医学には意味がない。その意味で、「中間小説」的な臨床の経済学が重要だと思います。
コメント
経済学は、呪術である。
経済学者には頭の悪い人物が多く(池田氏のことを指してはいない、誤解なきよう)、現在の大学、大学院で教えられていることがほとんど有効でないことを頭から認めない傾向が強い。
論より証拠。「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」(似非ノーベル賞)の2010年までの受賞者67名中、43名がアメリカ合衆国国籍であり、64.2%を占めてほぼ「独占」状態。つまり、アメリカ合衆国は経済学のメジャーリーグないしNBAなのであり、「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」受賞者はそのスーパースターである。その綺羅星たち「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」を擁するアメリカ合衆国では恐慌の真っ最中。近年の子どものホームレスを年間150万人以上出している始末。発展途上国並である。こんな国をモデルにする人間の頭の程度が知られる。
百歩譲って、彼等の「経済学」なるものが真なるものだ仮定する(経済学者はそう信じているから)。そこで彼らは、政策担当者や政治家が「経済学」を理解してない、知らずに政策をするから失政が繰り返される、と嘆く。
すると、私は彼等(経済学者)の頭脳をますます疑う。なぜなら、政策って実行されて意味を持つ。つまり、「経済学」が科学というなら、その経済政策の採用を巡る実行可能性feasibilityまで含めて考察されての「科学」だろう、と思うわけだ。「経済学」を根拠とする政策が、政党や官僚機構、有権者、等に支持されないのなら、その原因の理路を探るのも、その政策の合理性を主張する学知者の科学的責任だろう。ただ、念仏のように、政策を唱えるだけなら、経済学者の生きている世界は、魑魅魍魎が跋扈する「呪術の国 Zauberland」である。
彼らの「頭の良さ」が、彼ら自身の「頭の良さ」の定義に基づいている限り、今の経済学に未来はない。