ネット生保立ち上げ秘話(15) 伝説のファンド、参戦 - 岩瀬大輔

岩瀬 大輔

シリコンバレーで投資プレゼン

「それでは、北京とテレビ電話が繋がりましたので、始めてください」

2007年の11月13日。サンフランシスコの秋は少しずつ暮れはじめ、薄暗い空が、冬の訪れを感じさせる。僕はシリコンバレーに本拠を構える、ベンチャーキャピタル(投資会社)のオフィスにいた。20人は入るであろう大きな会議室に、10数名の投資家たちが厳しい眼差しでプレゼンテーションが始まるのを待っていた。画面の向こう側にはさらに数名の中国人の投資プロフェッショナルが手を振っている有様が、時間差で伝わってきた。

目的は、新しい生命保険会社への出資を仰ぐことである。こちらは自分ひとり、先方は15人。金融危機が本格的に顕在化しつつあったこの時期、いくつもの金融機関から約束されていた出資を断られはじめた。このプレゼンが、会社作りにとって重要な局面であることは明らかだった。

しかし、百戦錬磨の投資家とはいえ、外国人に、日本の「セイホ」のニュアンスを十分に伝えることはできるのだろうか?


「プレゼンは15分で」

このプレゼンに先だって、我々への出資を推してくれていた一人の幹部から、「最後のアドバイス」として、次のようなメールをもらっていた:

“Please build your presentation as 15-20m speech and keep rest of the time for Q&A. We already reviewed your materials and understand that it is written very well.”

「プレゼンは15~20分に留め、残りの時間をQ&Aに充てること。送ってくれた資料は、皆すでに十分に読み込んでいると思ってもらっていい」

“Don’t re-work on your ppt but simply skip blow charts and focus on, team, mkt,
product, business model, competitive landscape, and financials.”

「パワーポイントをいじる必要はないので、経営陣、市場、商品、ビジネスモデル、競争環境、そして収支予測にフォーカスし、それ以外のスライドはどんどん飛ばしてください」

“Make sure that you can elaborate return profile/prospects to investors. Good luck
and please enjoy the mtg!!”

「最後に、投資家にとってどのようなリスク/リターンを提供できるのか、丁寧に説明すること。グッドラック!ミーティングを楽しんでください」

ビジネススクールでは散々英語で議論してきた。前職の外資系でも、ウォール街の同僚たちと、唾を飛ばして議論してきた。

それでも、会社の命運がかかっているこの局面で、たった一人で15名のプロを相手に日本の生保業界における事業機会を説明するのは、いささか荷が重いような気がしていた。

与えられた1時間は、あっという間に終わった。投げかけられた千本ノックのような質問には、全部答えたつもりだった。

一番、議論が交わされたのが、「顧客獲得のためのマーケティング費用」だった。

我々は、ネットでの直販を行うことで、流通コストは大幅に引き下げられると考えており、その前提で収支予測を組んでいた。

しかし、彼らは似たようなネット金融ビジネス(住宅ローン)に取り組むベンチャー企業に投資をしていた経験から、直販に切り替えたとしても、顧客獲得のためには相当な投資が必要だと判断していた。

こればかりは、やってみないと分からない。僕の必死の説明にも、彼らは納得がいかなそうな顔だった。顧客獲得費用の前提条件を高くすると、投資家にとっての投資利回りは大きく変わってくる。

プレゼンが終わり、皆と握手をして、ホテルに帰る車に乗り込んだ。

たぶん、だめだ。そう感じた。車の窓から、外を眺めながら、どうしよう、そう考えていた。

伝説の投資ファンド

ファラロン・キャピタル・マネジメントは、秘密主義を好むヘッジファンド業界の中でも、特にベールに包まれた存在であった。金融業界の玄人筋の間でも伝説的な存在となっていたのは、1986年から2005年までの約20年間の投資利回りが年換算で21.9%という、圧倒的に優れた実績所以だった。手数料を差し引いた後の年利は16.7%であり、当初に1億円を投資した投資家は、その資産を18.8億円にまで増やしている計算だ。そしてこの当時、彼らの20年間でもっとも利回りが悪かったのが1987年。このときも、プラスの3.2%の利回りを守っていた。運用資産規模は3兆円に上り、世界でもトップ5の規模だった。

もともと、ゴールドマン・サックスのロバート・ルービン元会長(元財務長官)が率いた自己勘定投資チームから独立したトム・スタイヤーという若者が始めたファンドだったが、得意だったのは、企業の合併などの際に2社の企業の間の株価の歪みを突いて投資する、「リスク・アービトラージ」という投資手法だった。合併が正式に完了するタイミングまで、両者の株価は合併比率に近い基準で推移するが、「破談」のリスクも織り込まれるため、100には近付かない。そこであらゆる情報を駆使し、合併が成功するか否かにかける取引である。

そこから、ファラロンの投資活動は幅を広げた。普通の株式投資から債券投資、不動産投資へ。そして、ロシアの資源や、イタリアの高速道路、シンガポールの高級ホテル、インドネシアの破綻した銀行にまで投資対象は多岐に渡っていた。

ベンチャーキャピタルでのプレゼンを終えた夜、僕はこのファラロンというファンドの共同経営者に着任したばかりの英国人、アンドリュー・スポークスの自宅で、お子さん二人と戯れながら、台湾系アメリカ人の奥様(しかもHBS卒業生)が出してくれたおつまみとワインを愉しんでいた。

実は、留学中に彼らから声がかかり、一度はこのファンドに採用されかかったのだった。そのとき、ロンドンに拠点をおいて同社の国際投資の責任者を務めていたのがアンドリューだった。ゴールドマンサックス出身のまだ40代前半のハンサムな英国紳士は、非常に知的かつ誠実で、かつ投資家としては抜け目のない厳しさとセンスを持っている人材で、「この人の元で働きたい」と思わされるのは無理もなかった。

「いつか一緒にビジネスをやろう」

僕らは意気投合したのだが、その後、彼の同僚たちの厳しい面接を受け、僕は「不合格」の通知を受け取った。「今日は、僕にとって、とても難しい会話とならざるを得ない」と伝えたときの、彼の申し訳なさそうな口調は忘れられない。それ以後、僕らは友人として連絡を取り合っていた。

彼らは通常、大型の投資を手掛けていたから、日本の生命保険ベンチャーに投資をしてくれるわけがないとたかをくくっていた。もともと彼と会ったのも、本当に友人としてのつもりだった。

子供たちにお土産、ということで大きな絵本をもらった帰り道、彼は車でホテルまで送ってくれた。別れ際に、ダメもとで、聞いてみた。

「実は、いま資金調達に苦しんでいるんだ。でも、ファラロンは僕らみたいなベンチャーへの投資を、やらないよね?」

すると、思いがけない返事が返ってきた。

「何を言ってるんだ。前から言っていたじゃないか、いつか、一緒にビジネスをやろう、と。ちょうど先月から、日本語ができる人材を雇ったから、彼と一緒に投資は検討できると思う。明日の9時、時間があったら、僕のオフィスに来てくれないか」

この偶然の一言から、ファラロン・キャピタルがライフネットへの投資を真剣に検討しはじめてくれた。そして、何10回にも渡る資料やデータのやり取りを経たのちに、他の投資家に先駆けて、彼らは10億円の出資を決めてくれた。しかも、我々が希望した投資価格で。

投資家というのは、どこか1社が決めるまでは、お互いが横並びで様子を見るものである。しかし、1社が決まると、雪崩を打ったように変わってくる。

ファラロンという著名な投資ファンドが10億円の出資を決めてくれたことで、投資家たちの動きに変化の兆しが見えた。

(つづく)

過去エントリー

第1回  プロローグ 
第2回  投資委員会 
第3回  童顔の投資家 
第4回  共鳴   
第5回 看板娘と会社設立 
第6回 金融庁と認可折衝開始
第7回  免許審査基準
第8回 100 億円の資金調達
第9回  同志
第10回  応援団
第11回 金融庁の青島刑事
第12回  システム構築
第13回  増えていくサポーター
第14回  夏の陣