学習者用デジタル教科書導入のための論点整理 - 片山敏郎

2010年11月22日 14:16

デジタル教科書の議論が熱い。11月21日に行われた、特定非営利法人
マニフェスト評価機構が主催するシンポジウム『デジタル教科書を考える』ではニコニコ生放送で中継され、32750人もの来場者を集めた。これだけの人を集めた理由は、11月15日に行われた事業仕分けで、総務省が実施中の「フューチャースクール推進事業」が廃止判定を受け、世論がこの問題を認知し始めたことにあるだろう。多くの人の関心を集め国民的な議論になることは、大変重要なことだ。昨年11月の原口ビジョンの発表に始まり、5月のipad発売、7月のデジタル教科書教材協議会の発足、9月フューチャースクールによる実証実験のスタートと、少しずつ広がってきたことが閾値を超え、いよいよメディアで大きく取り上げられるようになってきたのだ。


ここで重要なのは、どの視点で議論を進めていくかということである。あちこちで行われ始めているシンポジウムでの議論では、幾つかの対立がある。

一番大きな対立は、次の3つである。
(1)導入される「学習者用デジタル教科書」は、「教科書」なのか「副教材」なのか。
(2)「学習者用デジタル教科書」導入で、今の教育の様々な課題が解決されるのか、されないのか。
(3)「学習者用デジタル教科書」の導入は、コミュニケーション力を「育てる」のか、「奪う」のか。

(1)は、「教科書」でなくてはならない。その理由は2つある。一つ目は、教科書でなく「副教材」となると、教師の判断で使わせなくても良いということになるからだ。結果として現場での拘束力がなく、活用しない教室が蔓延し効果が上がらない。また、二つ目は、よく言われるように費用の問題だ。今の紙の教科書と併用では、財源を新たに捻出しなくてはならない。現在の財政状況ではこれは難しく、国民的なコンセンサスが得にくいと思われる。

(2)は、自明なことである。すべての教育課題が教科書のデジタル化で解決するはずはない。しかし、「子どもの学びの質をあげる」ということについては効果をもたらす可能性が大きい。その一点をもってしても導入を進めるべきなのである。教育には他にも様々な課題があるというのは当たり前のことであり、それらのすべてが解決できないからといってデジタル教科書を導入しない理由にはなり得ない。それは論理のすり替えである。

(3)は、コミュニケーションを「育てる」方向で仕様を決めて導入するというのが答えだ。デバイスやコンテンツの仕様によって、コミュニケーションを育てる物も奪う物も作ることができる。協同的な学習を思考したコンテンツを豊富に用意し連携機能を強化すれば、コミュニケーティブな活用が期待されるし、自学自習のドリル的なものに偏れば、授業の中でのコミュニケーションの時間が減るだろう。ただ、どちらのコンテンツにも功罪はある。その作り方を検討していけばよい。大切なのは、バランスである。

少なくとも現状の教育課題が多いと主張するならば、それを少しでも改善する可能性のある「学習者用デジタル教科書」の導入を検討もしないで妨げるという選択肢はないと考える。

そこで、私は、今、ツイッター上の呼びかけで集まった155名の「有志」と共に、「みんなのデジタル教科書教育研究会」を作り、ネット上で導入に向けた前向きな議論を日々展開している。参加者は、私のような一教員や、研究者のみならず、プログラマー、出版社、メーカー勤務、主婦、学生など、様々な方々である。皆、志のみで集まってきている。参加費は無料。しがらみは一切無く、直接的な利権には何もつながらない。だからこそ、本質的な議論ができる。本当に子どもたちのためになるデジタル教科書を目指したい人には、どんどん仲間に加わって欲しいと思う。
(片山敏郎 みんなのデジタル教科書教育研究会発起人 Twitter:kata_toshi

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