『週刊ポスト』2019年3月15日号に掲載された歴史小説家・井沢元彦氏の『逆説の日本史』(以下『逆説』と略す)第1218回は、「井沢仮説を「奇説」「歴史ファンタジー」と侮辱する歴史学者・呉座勇一氏に問う」というものだった。私が朝日新聞に連載中のコラムなどで展開した井沢氏の著作に対する批判に、氏が反論したものである。
この問題について評論家の八幡和郎氏がアゴラ上で論評を加えている。
井沢氏の公開質問状に対しては『週刊ポスト』誌上で回答する予定であり、それを読んでいただければ私の真意は八幡氏にも伝わると思うが、事前に一点だけお伝えしておきたい。
具体的な批判を控えている理由
八幡氏は前掲記事で
売れたからといって著作態度が安直だとか、監修という言葉が普通と違うとか、井沢氏の著作は学者から見て価値がないとかいう姿勢論でなく、百田氏の書いていることのどこが間違いだから信じないようにという指摘をする方に努力を傾注することのほうが生産的なように思える
と私の「態度」を批判している。一見すると正論に思えるが、失礼ながら八幡氏はトンデモ本に対する理解を根本的に欠いている。
百田尚樹氏の『日本国紀』の細かい事実誤認、不正確な叙述、不親切な説明などを一つ一つ数えていくと、100を超える。この点については細かく検証しているブログがあるので、ぜひご参照いただきたい。専門家である私から見ると違和感のある説明がないわけではないが、概ね信頼できる内容である。間違いの指摘とは、これほど面倒なものなのである。
井沢元彦氏の著作は何十冊もあり、提起された「新説」も無数にあるが、八幡氏は私にそれらの1つ1つに具体的な批判を加えろというのだろうか。そんなことは無理だから、代表的な説に限らざるを得ない。井沢氏提唱の代表的な説である足利義満暗殺説の問題点については、「歴史の世界もフェイクニュースだらけ : 巷に蔓延る「陰謀論」に騙されるな」(『Voice』486号)で論じたので、そちらをご参照いただきたい。
トンデモ本は正しいかどうかを気にせず「面白ければ良い」と書き散らすので、大量生産が可能である。「あくまで仮説」という言い逃れを使えれば生産量が飛躍的に向上することは、歴史学者としては異例の売れっ子である磯田道史氏の著作ですら、井沢元彦氏の膨大な著作群に比べれば、(井沢氏が専業作家であることを差し引いても)数の上で遠く及ばないことを見れば、それは明らかであろう。
一方、トンデモ本の誤りを指摘する側は正確さを重視してきちんと調べなくてはならないので、トンデモ本を書く何倍も手間がかかる。あるトンデモ本を批判しているうちに、別のトンデモ本が次々と刊行されてしまう。
つまり歴史学者にとってトンデモ本との戦いは、ゲリラと戦うような「非対称戦」であり、同じ土俵に上がってしまっては延々とモグラ叩きに付き合わされて、こちらが疲弊するだけなのだ。したがって「こういう姿勢の本はダメ」という括り方をしないと歴史学者に勝ち目はない。
「歴史学者はバカ」と書くことの意味
では、なぜ「歴史学者は世間知らずの専門バカ」と侮辱するような歴史本に読む価値がないと断定できるのか。これは歴史の知識などなくても、一般的な社会常識があれば分かることである。
八幡氏は元官僚とのことだが、官僚時代、政治家や記者と会って「こいつバカだな」と思ったことが一度や二度はあっただろう。では八幡氏はそれを口に出し、露骨に見下しただろうか。もちろん、そんなはずはあるまい。そうすれば仕事に支障が出るからである。
別に歴史学者を尊敬する必要はないし、おべっかを使う必要もない。「誰それのこの説にはこういう問題点がある」「学界の通説ではこうなっているが、このような疑問が残る」と淡々と書けばいいだけだ。歴史学界を叩くことではなく、歴史の真実を明らかにすることが目的なら、それで十分だろう。ところがトンデモ歴史本を書く人間は、「歴史学者は世間知らずの専門バカのくせにプライドばかりが高く外部の正当な意見を受け入れようとしない」と罵倒する。これでは歴史学界全てを敵に回したも同然である。
歴史を研究する上で、歴史学界と全面戦争することは百害あって一利なしである。一般の歴史愛好家からの真摯な手紙に対して返事を書き情報提供する研究者は少なくない(実のところ、あまりそれをやられると、それはそれで困るのだが)。在野の歴史研究者に門戸を開いている研究会は数多く存在する。歴史学者の過半は元・歴史好き少年なので、歴史好きには概して優しい。
仮に「専門バカ」だとしても、歴史学者は作家よりも遥かに多くの史料を見ているし、知っている。歴史学者と是々非々で交流して、有益な情報を手に入れるのが賢いやり方である。こんなことは「世間知らず」の学者でもすぐ気がつくことだ。
ではなぜ、「歴史学者はバカばかり」と罵倒し、歴史学者から有益な情報を引き出すチャンスを自ら捨てるのか。「権威」である歴史学者を徹底的にこき下ろした方が、読者が痛快に思い、本が売れるからである。要するに過剰に歴史学者を攻撃している人は、本心では歴史の真実の探求などどうでも良く、炎上商法であろうと本さえ売れれば万々歳と思っているのだ。歴史研究より商売の方が大事という姿勢の人間が書いた本に価値があるはずがないではないか。
残念ながら八幡氏にも、歴史学界を攻撃して自分を大きく見せたいという思惑があるように見受けられる。内心「こいつら専門バカだな」と思うにしても、その気持ちを少しは隠した方が、有意義な歴史研究ができると思う。健闘をお祈りする。
1980年、東京都に生まれる。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。他書『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)がある。