在野の歴史研究家に望むこと

呉座 勇一

週刊ポスト(3月15日号)誌上での井沢元彦氏の公開質問状に対して、私が今週発売の29日号で反論した。これに対して評論家の八幡和郎氏がまたまた感想をアゴラに寄せている。

呉座 VS 井沢:歴史学者だけが歴史家なのか?

上記記事で八幡氏は私の反論文について「素晴らしい出来である」と述べている。お褒めいただいて恐縮だが、八幡氏は以前にアゴラ上で発表した記事で

そして、井沢氏は「安土宗論八百長説」、つまり、信長の前で浄土宗と法華宗の間で行われた宗論について信長が最初から法華宗を負けさせるつもりだったという通説が自分の問題提起をきっかけに学説も修正されたことを指摘しているが、これには一理あるだろう。(「週刊ポスト」で井沢元彦氏が呉座氏に公開質問状

と述べている。井沢氏の主張を鵜呑みにして学界の通説が一蹴されたと八幡氏は思い込んでいたわけだが、一蹴されていないことは私が週刊ポストで指摘した通りである。レフェリー顔してしゃしゃり出てくる前に、己の不明を恥じてはいかがだろうか。

日文研サイト、BS朝日サイトより:編集部

「政治のプロ」は中世政治史を明らかにできるのか

さて八幡氏は

私が呉座先生の専門である文献史学について素人であるのと同じです。呉座先生は資料を分析し評価するプロとしての技術や見識をお持ちですが、その分析対象の政治、外交、経済については素人です。当たり前のことです。

と主張する。要するに歴史研究者は政治の素人だから、現代政治のプロの方が中世政治の本質を明らかにできる、と言いたいのだろう。

八幡氏は政治・外交・経済のプロを自認しているようだが、官僚時代、目覚ましい業績を挙げておられたのだろうか。それともキャリア官僚はみな「政治・外交・経済のプロ」なのだろうか。なるほど最近亡くなられた堺屋太一氏のような大物官僚が中世や近世の政治・経済を考察した場合は、なかなか新鮮な指摘も見られ、私も高校生・学部生時代に感銘を受けたことがある。だが一官僚が畠違いの分野でそれほど画期的な意見を述べられるのだろうか。

大学関係者がしばしば嘆くのは、実務家教員に二線級の人材が少なからず存在するという現状だ。これは当然のことで、大学教員の給料は政官財界の第一線で活躍した人たちが得ていた給料よりもずっと安いので、一流の人材の多くは大学を第2の人生の場に選ばないからである。退職後も政官財界のしかるべきポジションに就く人がほとんどだろう。

もちろん私が知らないだけで、八幡氏は官僚時代に素晴らしい実績を挙げ、現代の政治・外交・経済に関して優れた知見をお持ちなのだろう。であるならば、八幡氏が趣味的に歴史本を多数執筆することは日本国家にとって多大な損失である。

実際、堺屋太一氏も小渕内閣で経済企画庁長官に就任して政治の表舞台に復帰して以降は、政治・社会評論を中心に執筆しており、歴史本の刊行は少ない。八幡氏も、勤務先である徳島文理大学での講義も含め、現代の政治・外交・経済の分析とその教育普及に専念された方が世のため人のためになるのではないか。

そもそも社会の仕組みがまるで異なる古代や中世、近世の政治を、現代政治の視点から考察することは極めて危険である。私も一般読者に分かりやすく説明するため、たとえ話的に現代の政治事象と比較することはあるが、乱用しないよう己を戒めている。

さて八幡氏は、

呉座氏は、また、たとえば、本能寺の変の動機をうんぬんすることは、あまり意味がなく、結果が大事だという。はたしてそうなのだろうか。人々がなぜ明智光秀が、本能寺の変を起こしたかを知りたがるのは、たんなる興味本位ではない。それを知ることで、世の中の動きを予想したり、あるいは、自分と部下や上司の関係のヒントにしようという意味合いも大きい。

と述べる。しかし、以前にも下記のインタビュー記事で述べたように、そもそもなぜ明智光秀が本能寺の変を起こしたかという動機を考える上で役に立つ史料は乏しい。安土宗論もそうだが、在野の歴史研究家が「アカデミズムの歴史学者は答えを出していない。怠慢だ!」と批判する事例は、史料が乏しくて決定打が出せないものばかりである。史料がないから歴史学者が慎重に解答を留保している事象について、在野の歴史研究者が勝手に妄想して「謎を解いた!」と一方的に勝利宣言しているだけである。

なぜ、陰謀論がはびこるのか? 本気で論破しまくる本を出した歴史学者が語る怖さ(バズフィードジャパン)

もし「世の中の動きを予想したり、あるいは、自分と部下や上司の関係のヒントにしようという」ことが唯一の目的ならば、史料の乏しい本能寺の変について想像を膨らませるより、トヨタなりパナソニックなりの分析をした方がよほど有意義だろう。もちろん歴史を学ぶことで、結果的に現実の政治や経済や生き方を考える上で役に立つヒントを得ることはあるだろう。けれども、最初からそれを目的とした場合、『日本国紀』がそうであるように、自分の政治的主張を歴史によって正当化する我田引水的な分析になりがちである。

泥棒が警察に説教する滑稽さ

八幡氏が紹介してくれたように、故・梅原猛氏の発案で、日文研の教員は今でも近隣の小学校に出前授業に行っているし、講演会など市民向けのイベントを積極的に行っている。たぶん私は日本史学界の中でも市民向けの教育普及活動に熱心な方だと思うが、その私に対して「学者は象牙の塔に籠もるな」と説教する八幡氏の姿勢は理解に苦しむ。

また八幡氏は

呉座氏は、安土宗論について井沢氏のおかげで正しい説が知られるようになったとしても、それは、「歴史ライター」としての功績であって、「歴史研究者」としての功績ではないと切り捨てているが、歴史研究者も歴史ライターもいずれも歴史家であって、優劣はないと私は思う。

と批判するが、私は「歴史ライターは歴史研究者よりも格下だ」と言っているわけではない。仮に井沢氏が「学者の書く文章は小難しくて分かりにくいので、作家の私が分かりやすく解説します」というスタンスであるならば、大いに歓迎する。そうではなくて「歴史学者は専門バカで歴史の真実に迫れていない」と罵倒し、学界を貶めることによって自身のオリジナリティを強調するから批判しているのである。

八幡氏は「井沢氏の主張のどこがおかしいかを具体的に指摘することにも社会的な意義があるから、しっかりやってほしい」と私に注文をつけるが、学者の社会的貢献の本筋は歴史学の最新の研究成果を市民に伝えることであって、奇説トンデモ説を論破することではない。

そもそも井沢氏(ついでに言うと八幡氏もだが)がおかしな陰謀論を唱えなければ、私がわざわざそれを批判する必要もなかったわけで、在野のトンデモ歴史研究家によって、教育普及活動を行っている歴史学者は足を引っ張られているわけである。妨害している当の本人が歴史学者に「もっと教育普及活動に力を入れろ。百田・井沢の説をきちんと具体的に批判しろ」と言うのは、泥棒が「盗難事件が多いのは警察がだらしないからだ。もっとちゃんと仕事をしろ」と文句をつけるようなものである。

もちろん在野の歴史研究家が新説を唱えるのは自由である。だが「学界の通説を一蹴した」といった誇大宣伝はやめてほしい。現に、古今東西の歴史に通暁しているはずの八幡氏でさえ井沢氏の主張を鵜呑みにして「井沢元彦が安土宗論に関する学界の通説を一蹴した」と思い込んでいたではないか。まして一般の読者なら井沢氏の自信満々な口ぶりに騙され、「井沢氏の言っていることこそが歴史の真実であり、歴史学者は馬鹿ばかり」と誤解しても不思議はない。

なお私が八幡氏の歴史本の内容に関して具体的な批判を行わないのは、八幡氏の主張の方が井沢氏のそれより堅実で優れていると考えているからではなく、井沢氏の著作に比べて社会的影響力が微少で無視しても大きな問題はないと判断しているからにすぎない。この点は誤解ないようお願い申し上げる。

呉座 勇一   国際日本文化研究センター助教

1980年、東京都に生まれる。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。他書『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)がある。