新聞とウェブとの関係 - 松本徹三

松本 徹三

大分古い記事になりますが、北村隆司さんは、6月1日付の「テネシー大学の新聞学科卒業生への祝辞に学ぶ」と題するブログで、サム・ヴェナブルの言葉を引用され、新聞社などの伝統的報道機関とウェブは、敵対するのではなく、今後ますます相互依存を高めていくべきであると強調されました。そして、この両者を融合させようとしている「米国の新聞業界」に比べ、今なおウェブを蔑視して、古色蒼然たる自らの理念に固執しているかに見える「日本の新聞業界」を嘆いておられました。

しかし、私は、北村さんとは少し違った観点から、この状況を見ています。


先ず、しばしば引用される日本の既存メディアによる「ウェブ蔑視的なコメント」は、既に引退が近い老齢の経営幹部の言った事がたまたま引用されているだけであり、中堅幹部はもっと危機感を持っていると思われることです。既存メディア、特に新聞の世界にどっぷり漬かってきた人達は、生来極めて「誇り」が強く、その「誇り」がしばしば「傲慢」に変質しているのも事実ですが、「誇り」というものが永続的であるに対し、「傲慢」はいつかは必ず打ち砕かれるものですから、このこと自体はあまり憂慮する事はないと思っています。

それよりも、私は、「既存メディアになくてウェブにあるもの」として、「USエアー機のハドソン川着水報道はTwitterの手によってもたらされた」という事実が示すような、「ニュースの速報性」のみが注目されている「サム・ヴェナブルのスピーチ」を、少し不十分と感じています。

成程、殆ど全ての人達が常に携帯電話機を持ち歩いており、しかも殆どの携帯電話機にはカメラがついているのが常識になりつつある現在では、「全ての人が、極めて有能なニュース記者になれる可能性がある」と言えるでしょう。(携帯端末に装着されているカメラは、今や12メガピクセルで速写機能付というものもありますし、一方、以前から小川浩さんが示唆されておられるように、今後の携帯端末はますます「Twitter Friendly」になっていくでしょうから、この傾向は更に加速されていくでしょう。)

しかし、私がもっと注目したいのは、ウェブのもつ「双方向性」と「拡張性」です。

先ず「双方向性」ですが、人間は、生来、「参加しないではいられない生き物」です。カラオケ装置は、突然多くの人達を目覚めさせ、1億総歌手と言ってもよいほどの状況をもたらしました。若干ハードルの高い筈の「歌う」という事でさえこの状況です。まして況や、「一言言いたい」人達は巷に溢れています。飲み屋で気炎を上げるかわりに、匿名のウェブで人をこき下ろすことも可能になりましたし、昔は八つぁんや熊さんしか聞いていくれる人が居なかったご隠居さんも、今やブログで薀蓄を披露する事が出来ます。

新聞で取り上げてくれることは限られており、しかも各紙押しなべて同じような論調ですが、ウェブはこれに大きく門戸を開く事になりました。今はまだ小さな規模でしかありませんが、遠からず、大新聞といえども、ウェブで盛り上がっている題材を無視するわけにはいかなくなるでしょう。

近頃は、大新聞の「世論調査」が政局を動かすほどの力を持つようになっていますが、今のような世論調査では、聞き方一つで、答が大きく変わってくることもあり得ます。事実関係が誤解されている可能性がある時には、先ずその解説も行った上で、もっと深く突っ込んだ聞き方をしなければ、本当に「民意を問うた」ということにはならないのではないかと感じる事もしばしばです。要するに、真に「国民参加型」の言論機関たろうとすれば、これまでのやり方だけでは限界があり、どうしても「ウェブの手法」を一部導入せざるを得なくなるのではないでしょうか?

「拡張性」は言わずもがなです。今の新聞では紙数が限られており、しかも、それぞれの人にとっては、読みたくもない記事で多くの紙数が使われてしまっていますから、興味のあることを深堀りしたり、解説記事を参考にしながら前に進んだりする事も不可能です。興味が膨らむに任せて、関連記事に次々にサーフィンしていく事なども、勿論出来ません。

このように考えると、サム・ヴェナブルがウェブを「鬱蒼と茂る樫の木(伝統的報道機関)に群がる蛾」に例えたのは、あまり当を得てはいないような気がします。「伝統的報道機関」を「鬱蒼と茂る森の樹々」に例えるなら、ウェブは「そこに生い茂る下草や様々な昆虫」に例えるぐらいが適当でしょう。この両者は、将来は相互依存の関係となり、どちらも単独では生きられないことになるのではないでしょうか?

誤解を避けるために申し上げると、私は、新聞の価値を十分に認め、「新聞は未来永劫に生き続ける」と確信している人間の一人です。人は、整理された庭園(新聞のようなもの)だけでは満足できないのは事実ですが、無限の広がりのあるジャングル(ウェブ)に毎日直面させられるのも困るのです。

「新聞は『世の中とは何であるか』を無知蒙昧の人々に示してやるものだ」と、傲慢不遜に言われても困りますが、完全に納得出来るかどうかは別にして、誰かが「これが世の中だ」と言ってくれるのは、正直言って有難い事です。

新聞は、自分達が「これは重要」と思うことを大きな活字で表題として示し、段組もそれに合わせます。こういうものが無くて、毎日パソコンの画面に羅列されたタイトルの中から「自分の判断で重要そうなものを選んで読め」と言われても困ります。寝起きには、新聞を広げるか、TVの朝のニュース番組をぼんやり眺めるのを、少なくとも私は、生きている間やめたくはありません。

ウェブの弱点も数限りなくあります。一番大きいのは、多くの「石」の中から「玉」を見つけ出すことの困難さです。「あまりにレベルの低い評論のようなもの」を延々と読まされると、「時間の無駄」という以上に段々気分が悪くなってきますが、こういうものが世論をリードしていきかねないと考えると、放置しておくのも心配になってきます。

「レベルの高い言論機関」と自負する新聞社と、そこで働く人達に、今、私が期待するのは、ウェブを恐れたり遠ざけたりする事ではなく、真っ向からそれに向き合い、自らの持つ弱点とウェブの持つ弱点の双方を克服して、理想的な「報道」と「言論」の「新しい体系」を作り上げることです。一般人が一からこのような「新しい体系」を作り上げるのは至難の業ですが、新聞人なら比較的容易にこれが出来るはずです。

彼等が今これに取り組まないとしたら、「怠慢である」と非難するしかありません。

松本徹三

コメント

  1. satahiro1 より:

    イラン衝突、少女死亡映像に衝撃 ネットで大反響【エルサレム22日共同】http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009062201000087.html
    >イラン大統領選の結果をめぐる抗議行動で、16歳の少女が民兵の銃撃で死亡したとされる映像がインターネット上で公開され、当局による弾圧の象徴として大きな反響を呼んでいる。

    >ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)大手「ツイッター」上の情報として伝えたところによると、女性の名は「ネダ」で16歳。テヘランでデモを見ていた際、バシジ(強硬派の民兵組織)に胸部を撃たれたとされる
    >動画投稿サイト「ユーチューブ」の映像によると、ジーンズと白いスニーカーをはいた女性が路上にあおむけに倒れ、2、3人の男性が胸部を押さえるなどして介抱。しかし女性は目を大きく見開いたまま動かず、吐血する様子が写っている。携帯電話で撮影されたとみられる。

    >ツイッターには「ネダ、安らかに眠れ。君の最期を見て世界が泣いている。無駄死にではない」などと書き込みが相次いだ。

  2. satahiro1 より:

    別の共同通信の配信では…
    >SNS大手「ツイッター」に寄せられるメッセージ。真偽は不明ながら、「テヘラン発」としてデモや鎮圧の状況を伝え、改革派の団結を訴える。
    >ツイッターは…当局が携帯電話メールの規制を強めたため、改革派の数少ない通信や抗議の手段となってきた。当局はツイッターの規制も強めているが、投稿は継続している。

    >改革派支持者は動画投稿サイト「ユーチューブ」など動画や写真の投稿サイトを活用…、イラン国内の緊迫した様子を世界に伝えている。

    既存メディアはテヘランから追放されているようだ。
    私たちは「ツイッター」などを用いて、表現の自由が抑圧されている国々の人々と連帯できる。彼らを応援することができるのだ。

    日本の記者クラブ制度は何を伝え、何を伝えないかを事前に談合して決めている。
    彼らは、私たちにとり今や「障害」なのだ。

    Y新聞主筆のように「引退が近い老齢の経営幹部…、特に新聞の世界にどっぷり漬かってきた人達は、生来極めて「誇り」が強く、その「誇り」がしばしば「傲慢」に変質している」人も含めて既存メディアは、すでに世界の現実から取り残されている。

  3. アンチ巨人、アンチナベツネ より:

    松本様の論評には概ね共感していましたが、今回の文章をさらっと読んでみて、既存メディアについて過大評価されていると感じました。新聞とテレビの同資本系列による、クロスオーナーシップ、新聞の特殊指定制度、民放の新規参入禁止など、彼らは反権力のふりをしながら、自らの利権構造を死守することしか考えていないとしか思えません。特にテレビ記者の劣悪さは各業界の方々に伺っても、衆目の一致するところです。メディア利権を離れたら、とても通用しないことが、皆様わかっているので、どんな批判を受けようが護送船団を守ろうとするのでは。例えば自分たちの業界の記事についていえば、既存メディアより、よほどネット上の情報のほうが実態に即していると感じることばかりです。BS放送が既存の局の系列ばかりになったことなど、政治家と波取り記者の暗躍によるものですし、土建屋と政治の癒着を報道する前に、メディアと政治の談合こそ、最も国益に反することだと思います。

  4. アンチ巨人、アンチナベツネ より:

    松本様の論評には概ね共感していましたが、今回の文章をさらっと読んでみて、既存メディアについて過大評価されていると感じました。新聞とテレビの同資本系列による、クロスオーナーシップ、新聞の特殊指定制度、民放の新規参入禁止など、彼らは反権力のふりをしながら、自らの利権構造を死守することしか考えていないとしか思えません。特にテレビ記者の劣悪さは各業界の方々に伺っても、衆目の一致するところです。メディア利権を離れたら、とても通用しないことが、皆様わかっているので、どんな批判を受けようが護送船団を守ろうとするのでは。例えば自分たちの業界の記事についていえば、既存メディアより、よほどネット上の情報のほうが実態に即していると感じることばかりです。BS放送が既存の局の系列ばかりになったことなど、政治家と波取り記者の暗躍によるものですし、土建屋と政治の癒着を報道する前に、メディアと政治の談合こそ、最も国益に反することだと思います。

  5. satahiro1 より:

    3. アンチ巨人、アンチY新聞主筆 2009年06月22日 18:17
    >土建屋と政治の癒着を報道する前に、メディアと政治の談合こそ、最も国益に反することだ

    先日、某野党党首(当時)に関係する前ゼネコン社長(70歳)の裁判があった。
    その中で”天の声”が昭和59年当時から某野党党首(当時)の事務所から発せられていたと、検察は主張していた。

    では某野党党首(当時)の下で秘書として働き逮捕された人物の前任者(某野党党首(当時)の選挙区で政権党から対抗馬として立つ、と言う)も逮捕して立件したらどうだろうか?

    また、すでに時効となっているなら、某野党党首(当時)が与党として参加していた時から、ハヤ10年、野党議員にどのような職務権限があるのだろうか?

    巷間言われているのは前ゼネコン社長(70歳)らは政権党への献金をカモフラージュするために、”当て馬”として某野党党首(当時)に献金がなされていた、と言う。
    そして彼と検察の間に”司法取引”があるかのような、裁判の展開である。

    >メディアと政治の談合こそ、最も国益に反する

    新聞・テレビと言った既存メディアが政治におもねる検察の意向に沿って、私たちを誤導しようとする。

    既存メディアがそのような存在である、ことを一時も忘れてはならない。

  6. osorosia より:

    明らかに政治的意図を持って情報を提示、または隠ぺいする情報源を松本さんは信用されるのですか?
    非常に不思議です。思考停止、思考放棄に陥っているのでは?と感じます。残念です。

    ウェブでは確かに玉石混交の状態で、まともな情報を自ら収集することは非効率的です。
    ですが、ウェブではこのアゴラのように信頼できる専門家が自分の代わりに情報を収集、提示する動きも活発になってきています。また、いわゆる「まとめサイト」が相当なアクセスを集めていることは、既得権を崩す動きにつながらないでしょうか?

    記者クラブなどで情報が独占されている現代では確かに、既存のメディアに頼らざるを得ません。現在ウェブでは、既存メディアの情報を加工編集したものが大半だからです。

    しかし、それも今後は変わっていくのでは?いや、このアゴラを中心としてウェブの信頼度を上げていかなくてはならないのでは?

  7. 松本徹三 より:

    ご批判は甘んじてお受けします。私は少し古く、既存メディアに対して甘すぎるのかもしれません。それでも、現実問題として、現在巨大な力を持っている既存メディアが自ら変わっていくことへの期待を、やはり捨てきれずにいます。

  8. freekaos より:

    松本さんの個人の願望と憶測だけで書いたただの感想文ですね。
    既存メディアの現状の動きや姿勢といった客観性の高い事実を積み上げて導かれる予測でなければ、既存メディアに不信感を持っている層の共感を得ることは無理でしょう。
    逆に言えば、もはや個人の願望や憶測でしか擁護しようのない既存メディアというものは末期的な症状にあるとも言えるのではないでしょうか。

  9. 松本徹三 より:

    何かが衰退していくことを「憂慮することなく予測」するなら、或いはそれを望むなら、それに変わるものがニーズを満たしていくことについての確信がなければなりません。私はウェブ2.0の発展と充実に大きな期待をかけている人間の一人ですが、それがもたらすものについて、自信を持って語れるには未だ至っておりません。皆さんは、今の時点で、自信を持ってそれについて語れるのでしょうか? 私は単なる「感想文」を書くことには興味は持っていません。私が今回書いたのは、既存メディアの中堅幹部の方々の決起を促す為のものでもあります。同時にウェブの世界に期待をかけている人達(自分自身を含め)に対しても、同様に、これから種々の工夫を凝らしていくことを強く望んでいます。 

  10. satahiro1 より:

    松本徹三 2009年06月23日 15:04

    >私はウェブ2.0の発展と充実に大きな期待をかけている人間の一人ですが、それがもたらすものについて、自信を持って語れるには未だ至っておりません。

    そうですね。松本さんは”インフラ”を整備されている方で、それをどのように用いるかは、”私たち”。

    でも、もし今が1989年で、ウーアル・カイシーがウェブ2.0を駆使していたとしたら… …

    多分、2009年は今と全く違っていることでしょう!!!

    そして、松本さん、サンクス!!!!!!
     
     

  11. freekaos より:

    松本さんの記事は、新聞社は「レベルの高い言論機関」であるという思いから発しているようですね。ですから衰退しては困ると嘆き、物事の大小善悪の判断を委ねたいと願い、ネットに軸足を移し言論が発展することを求めているのでしょう。
    一方、新聞社を「あまりにレベルの低い評論のようなもの」を垂れ流すだけの組織だと考えている人達は、衰退しても構わない、むしろ疎ましく感じているのでしょう。私もこちら側の人間です。
    記者クラブという排他的談合組織に守られ、何を言いたいのかわからない、論理展開がおかしい社説やただ事実を並べるだけの記事を書くだけの、雇われサラリーマンがネットに参入しても言論が発展するとは到底思えません。

    松本さんは個人的な交流があるのか、中堅幹部の方々に期待をされているようですが、外側から新聞社の動きと記事を眺めているだけの、私のような人間には期待が持てせん。むしろ既得権益と特権を奪われまいとする言葉しか聞こえてきません。

  12. satahiro1 より:

     
    5. satahiro1 2009年06月22日 19:06に対する自己レスです。

    (“>”以下はhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090623/198246/?P=1&ST=politicsからの転載です)

    先日、某野党党首(当時)に関係する前ゼネコン社長(70歳)の裁判があった。
    その中で”天の声”が昭和59年当時から某野党党首(当時)の事務所から発せられていたと、検察は主張していた。

    >西松建設側は、…「無条件降伏」の状態にあり、検察側の主張について争う意思が全くない西松建設側の公判での検察の主張は、相手方当事者の反論、反対尋問を全く受けない一方的なもので「立証」などと言えるレベルではない。
    >小沢氏にとって、この公判で検察側が主張したことがそのまま報道され世の中にすべて真実のように受け取られるとすれば「欠席裁判」そのものだ。

    >共犯者の一部が自白し、一部が否認している場合に、このような一方的な欠席裁判のような公判立証を行い、それをマスコミに報道させることは、一般市民の裁判員に不当な予断を与えるもので絶対に許されないはずだ。
    >検察が、この事件の事実関係を歪曲し、それをそのまま報道させることで世論を誘導しようとする意図が窺われる。それが端的に表れているのが「天の声」という言葉の使い方だ。
     

  13. satahiro1 より:

     
    巷間言われているのは前ゼネコン社長(70歳)らは政権党への献金をカモフラージュするために、”当て馬”として某野党党首(当時)に献金がなされていた、と言う。

    >西松建設側にとっては、…献金の事実が明らかになると、その政治家に対する社会的非難や刑事事件での摘発につながりかねない与党議員側への献金の方だと考えるのが合理的であろう。
    >「新政治問題研究会」という西松関連団体と同一名称の故橋本龍太郎氏の政治団体が同じ千代田区に存在していることで、…自民党議員に対する献金が特定できないようにする…ことが、政治団体設立の主たる目的ではないか
     

  14. satahiro1 より:

    そして彼と検察の間に”司法取引”があるかのような、裁判の展開である。

    >このような検察の冒頭陳述の内容を裏づけるゼネコン関係者の供述調書が存在していて、ゼネコン関係者が署名しているとしても、それを額面通り受け取ることはできない。
    >既にゼネコン間の談合構造が3年以上も前に崩壊し、談合が過去のものとなってしまった現在、…過去の談合の事実に関してどのような供述を行おうと処罰や処分を受けることはない…のであるから、ゼネコンの談合担当者にとっては「どうでも良い話」である。

    >検察側の誘導によって、そのような内容の調書に署名している可能性が高い。

    >重要なことは、これらの点は、事実を争っている大久保被告人の公判において、反論・反対尋問に耐え得る立証によって明らかにされるべきだということだ。

    それで…

    >>メディアと政治の談合こそ、最も国益に反する

    新聞・テレビと言った既存メディアが政治におもねる検察の意向に沿って、私たちを誤導しようとする。

    既存メディアがそのような存在である、ことを一時も忘れてはならない。

  15. sponta0325 より:

    はじめまして。

    既存マスコミがウェブに敵愾心を捨てきれないのは、既存マスコミのコンテンツがパッケージ性を捨てられないからです。
    一方、Twitterの特徴は、記事のパッケージ性を越えたことです。断片的なテキストでもTwitterのコメントとしては成立する。
    ブログを玉石混交といいますが、Twitterにはテキストとしての高まりは必要ない。

    私は、既存メディアの人たちがパッケージ性を否定できないために、ウェブを攻撃することを理解します。

    同じ言語であっても、既存メディアとウェブはまったく違うことを理解すべきだとおもいます。パッケージ性、ログ性、読者に帰納をしいないこと、など、様々な特徴があるんです。

    失礼いたしました。