新聞とウェブとの関係 - 松本徹三

2009年06月22日 08:00

大分古い記事になりますが、北村隆司さんは、6月1日付の「テネシー大学の新聞学科卒業生への祝辞に学ぶ」と題するブログで、サム・ヴェナブルの言葉を引用され、新聞社などの伝統的報道機関とウェブは、敵対するのではなく、今後ますます相互依存を高めていくべきであると強調されました。そして、この両者を融合させようとしている「米国の新聞業界」に比べ、今なおウェブを蔑視して、古色蒼然たる自らの理念に固執しているかに見える「日本の新聞業界」を嘆いておられました。

しかし、私は、北村さんとは少し違った観点から、この状況を見ています。


先ず、しばしば引用される日本の既存メディアによる「ウェブ蔑視的なコメント」は、既に引退が近い老齢の経営幹部の言った事がたまたま引用されているだけであり、中堅幹部はもっと危機感を持っていると思われることです。既存メディア、特に新聞の世界にどっぷり漬かってきた人達は、生来極めて「誇り」が強く、その「誇り」がしばしば「傲慢」に変質しているのも事実ですが、「誇り」というものが永続的であるに対し、「傲慢」はいつかは必ず打ち砕かれるものですから、このこと自体はあまり憂慮する事はないと思っています。

それよりも、私は、「既存メディアになくてウェブにあるもの」として、「USエアー機のハドソン川着水報道はTwitterの手によってもたらされた」という事実が示すような、「ニュースの速報性」のみが注目されている「サム・ヴェナブルのスピーチ」を、少し不十分と感じています。

成程、殆ど全ての人達が常に携帯電話機を持ち歩いており、しかも殆どの携帯電話機にはカメラがついているのが常識になりつつある現在では、「全ての人が、極めて有能なニュース記者になれる可能性がある」と言えるでしょう。(携帯端末に装着されているカメラは、今や12メガピクセルで速写機能付というものもありますし、一方、以前から小川浩さんが示唆されておられるように、今後の携帯端末はますます「Twitter Friendly」になっていくでしょうから、この傾向は更に加速されていくでしょう。)

しかし、私がもっと注目したいのは、ウェブのもつ「双方向性」と「拡張性」です。

先ず「双方向性」ですが、人間は、生来、「参加しないではいられない生き物」です。カラオケ装置は、突然多くの人達を目覚めさせ、1億総歌手と言ってもよいほどの状況をもたらしました。若干ハードルの高い筈の「歌う」という事でさえこの状況です。まして況や、「一言言いたい」人達は巷に溢れています。飲み屋で気炎を上げるかわりに、匿名のウェブで人をこき下ろすことも可能になりましたし、昔は八つぁんや熊さんしか聞いていくれる人が居なかったご隠居さんも、今やブログで薀蓄を披露する事が出来ます。

新聞で取り上げてくれることは限られており、しかも各紙押しなべて同じような論調ですが、ウェブはこれに大きく門戸を開く事になりました。今はまだ小さな規模でしかありませんが、遠からず、大新聞といえども、ウェブで盛り上がっている題材を無視するわけにはいかなくなるでしょう。

近頃は、大新聞の「世論調査」が政局を動かすほどの力を持つようになっていますが、今のような世論調査では、聞き方一つで、答が大きく変わってくることもあり得ます。事実関係が誤解されている可能性がある時には、先ずその解説も行った上で、もっと深く突っ込んだ聞き方をしなければ、本当に「民意を問うた」ということにはならないのではないかと感じる事もしばしばです。要するに、真に「国民参加型」の言論機関たろうとすれば、これまでのやり方だけでは限界があり、どうしても「ウェブの手法」を一部導入せざるを得なくなるのではないでしょうか?

「拡張性」は言わずもがなです。今の新聞では紙数が限られており、しかも、それぞれの人にとっては、読みたくもない記事で多くの紙数が使われてしまっていますから、興味のあることを深堀りしたり、解説記事を参考にしながら前に進んだりする事も不可能です。興味が膨らむに任せて、関連記事に次々にサーフィンしていく事なども、勿論出来ません。

このように考えると、サム・ヴェナブルがウェブを「鬱蒼と茂る樫の木(伝統的報道機関)に群がる蛾」に例えたのは、あまり当を得てはいないような気がします。「伝統的報道機関」を「鬱蒼と茂る森の樹々」に例えるなら、ウェブは「そこに生い茂る下草や様々な昆虫」に例えるぐらいが適当でしょう。この両者は、将来は相互依存の関係となり、どちらも単独では生きられないことになるのではないでしょうか?

誤解を避けるために申し上げると、私は、新聞の価値を十分に認め、「新聞は未来永劫に生き続ける」と確信している人間の一人です。人は、整理された庭園(新聞のようなもの)だけでは満足できないのは事実ですが、無限の広がりのあるジャングル(ウェブ)に毎日直面させられるのも困るのです。

「新聞は『世の中とは何であるか』を無知蒙昧の人々に示してやるものだ」と、傲慢不遜に言われても困りますが、完全に納得出来るかどうかは別にして、誰かが「これが世の中だ」と言ってくれるのは、正直言って有難い事です。

新聞は、自分達が「これは重要」と思うことを大きな活字で表題として示し、段組もそれに合わせます。こういうものが無くて、毎日パソコンの画面に羅列されたタイトルの中から「自分の判断で重要そうなものを選んで読め」と言われても困ります。寝起きには、新聞を広げるか、TVの朝のニュース番組をぼんやり眺めるのを、少なくとも私は、生きている間やめたくはありません。

ウェブの弱点も数限りなくあります。一番大きいのは、多くの「石」の中から「玉」を見つけ出すことの困難さです。「あまりにレベルの低い評論のようなもの」を延々と読まされると、「時間の無駄」という以上に段々気分が悪くなってきますが、こういうものが世論をリードしていきかねないと考えると、放置しておくのも心配になってきます。

「レベルの高い言論機関」と自負する新聞社と、そこで働く人達に、今、私が期待するのは、ウェブを恐れたり遠ざけたりする事ではなく、真っ向からそれに向き合い、自らの持つ弱点とウェブの持つ弱点の双方を克服して、理想的な「報道」と「言論」の「新しい体系」を作り上げることです。一般人が一からこのような「新しい体系」を作り上げるのは至難の業ですが、新聞人なら比較的容易にこれが出来るはずです。

彼等が今これに取り組まないとしたら、「怠慢である」と非難するしかありません。

松本徹三

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑