女性参政権は旧憲法のもとでの二度の総選挙で実施されており、新憲法のもとで実現したのではない。そんな初歩的なことを間違って朝日新聞は堂々と書いて平気だ。拙著『「立憲民主党」「朝日新聞」という名の偽リベラル』(ワニブックス)には、間に合わないが、気がついて書くべきだったと口惜しいエピソードだ。
朝日新聞が、(教育再生」をたどって:1)先生はトイレ掃除で『便教会』(デジタル版では2017年11月20日)で
「11月3日。71年前に日本国憲法が公布され、女性参政権の実現につながったこの日、私は初めて男子トイレに入り、便器を磨いた」
と杉原里美記者が書いていたのを発見した。
しかし、女性参政権は、1946年(昭和21年)4月10日に大日本国憲法のもとで行われた第22回衆議院議員総選挙で始まったものであって、これは、同年11月3日の日本国憲法公布の半年以上前、翌年5月3日の施行の1年以上前である。
さらに、第23回の総選挙も翌年の4月25日に大日本国憲法の下で行われているから、二度の総選挙が旧憲法の下で行われたのであって、女性参政権は新憲法とは何の関係もないのだ。
大日本国憲法は民主主義を保証するものではなかったが、民主主義を可能にするものであった。
また、その制定時においては、普通選挙も、女性参政権も世界的に認められていなかったので、それが憲法で保証されていないのは当然のことであった。ただ、いずれも排斥していたわけではない。
そして、日本の憲政は、先進諸国の動向を一歩遅れながら追いかけ、1928年に普通選挙権、1946年に女性参政権が認められた。フランスで女性参政権が認められたのも、1945年であり、欧州諸国と比較しても日本が非常識に遅れていたわけでない。スイスのように1993年まで認めなかった国は例外として、ほかにも、日本より遅かった西欧の国もある。
この女性参政権が旧憲法のもとで認められたのであって、新憲法の制定によるものでないということは、日本の憲政史理解のイロハに属する重要な点である。こんなことも、知らない朝日新聞の記者というのも困ったことだ。
ポツダム宣言は、日本における民主主義的傾向の復活を要求していた。また、旧憲法のどこも高度な民主主義の実現を阻害するものでもなかった。
ただ、部分的には民主主義をより強く保証するために、部分的にはヨーロッパ的な憲政のあり方をアメリカ的なあり方に変更するためだけに改正されたのである。つまり総合的に見てどちらかといえば好ましい改正だったとしても、民主主義を実現するために不可欠の改正だったわけではないし、アメリカ式とヨーロッパ式との奇妙な接合物となったことも否定できないのである。
それをあたかも、必要不可欠なものだったとか、すべての改正点がこのましいものだったかのごとくいうのは不公正であって、護憲とか改憲のいずれの立場に立つのとは関係なくアンフェアである。
護憲派のなかには、そのあたりを、あえて、嘘は言わないまでも曖昧にごまかす専門家が多い。
この間抜けな朝日新聞記者もその犠牲者なのであろうが、一般人でなく朝日新聞というクオリティ・ペーパーの記者なのだから、これで良いわけであるまい。