「人間力・仕事力を高めるWEB chichi」に今年2月、「人気作家・浅見帆帆子が明かす好運が長続きしない3つの理由」と題された記事があり、その中で筆者は次の通り言われていました。
夢や目標を持つ意味は、それを達成することだけではなくて、半分はその途中で起こる出来事や人との出会いによって自分を成長させることにあるんですよね。夢や目標って達成することにこだわり過ぎると、それに執着してしまって、逆に遠のいていくんです。
上記後半部に関し簡潔に私見を申し上げると、先ず抱いた夢への拘りが執着になるというふうにも思いませんし、況してや夢を持つこと自体を決して否定するべきではないと思います。夢を持つところから全てが始まるとは吉田松陰の至言、夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし――あらゆる事柄は夢から出発するわけで、我々は常に夢を持ち続けねばなりません。夢を持たないことには、理想もなければ計画もなく、実行もなければ成功もないのです。
此の松陰の「夢」というのは、言葉を換えれば志です。一つの理想を描き、そこに到達するんだといった強い意思を志と言っても良いでしょう。志は、野心とは全く違います。志とは利他的なものであって、必ず世のため人のためということが入っていなければなりません。夢というのもまた、世のため人のためという要素が含まれていなければなりません。そして、その夢が結果において世のため人のためになるならば、大いに夢を抱きその実現を常に強く思い続けて、妥協せず必死になって追求して行ったら良いでしょう。
夢の実現とは一足飛びに行くわけでなく、それに向かって一歩一歩しかし着実な努力が必要です。それは着実な成果を生むための努力でなければならず、その歩みの一歩一歩が本当に正しいか否かを、ずっと検証して行かねばなりません。そうして、「その道を歩めば目的地に行けるか。もっと近道はないのか」といった反省を繰り返しながら、前に向けての策を真剣に練り続けることが求められるのです。
兎にも角にも、昔から「必要は発明の母」と言われますが、例えば鳥が飛んでいるのを見ては「私も空を飛んでみたい」と夢を持つことが第一です。これまでの人類の発明・発見というのは、やはり「〇〇をしたい」といった感情が出発点である気がします。そしてその必要性がため、考えに考えた末ふっと閃き、それをヒントにして、また考え抜いて目標を達成してきたのです。
夢が実現するかどうかは天の配剤です。また、夢にも世のため人のためといったことが含まれていなければ意味がありません。それが含まれていない夢は野心と同じです。天はこうした野心のみの夢の実現をサポートしないと思います。世のため人のためになることで夢を持って努力していれば、必ずその夢(志)を共有する仲間やその実現のための支援者が現れてくるでしょう。その意味で浅見さんの前段で言われていることは、その通りだと思います。
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