バチカン・ニュースが15日報じたところによると、欧州の代表的なローマ・カトリック教会のポーランドでエクソシストを養成するナショナル・センターを設立する計画だ。ポーランド司教会議総会でオポーレ教区のアンジェイ・ツザヤ(Andrzej Czaja)司教は「カトヴィツェで設置するセンターでは悪魔祓いの使命を受けた聖職者がその聖業を行うために準備する」と説明した。ちなみに、ポーランド出身のローマ法王、列聖したヨハネ・パウロ2世はエクソシストとして有名だった。
ポーランド教会はイタリア教会に次いで多い約120人のエクソシストと呼ばれる聖職者がいる。エクソシストは悪魔に憑かれた人、生き物、物体から悪霊を追い払う式を行い、対象を完全に清め、治癒するために奉仕する人々だ。ちなみに、エクソシストとはギリシャ語の「追い払う」という意味の言葉「 Exorkizein 」から由来している。
カトリック教義では、エクソシストは悪魔に憑かれた人間から悪魔を追放して下さいと神に祈る聖職者と受け取られている。イエス・キリストの名でも悪魔祓いができる。新約聖書の中に記述されているイエスの悪魔祓い(荒野の試練)はその代表的な例だ。
エクソシストは3点から成る。祈りと祝福、そして呪文だ。その簡易な形式は洗礼の儀式でも行われている。ただし、大エクソシズムと呼ばれる聖業は、1983年の教会法によれば、担当司教から認知された聖職者が行うことになっている。
エクソシストといってもピンとこない読者も少なくないだろう。映画「エクソシスト」を観た読者ならば少しは理解できるかもしれない。エクソシストを求める信者たちは確実に増えている。通例、「悪魔に憑かれた」、「悪霊の仕業だ」といった表現がある。
明確な点は悪魔の存在云々は別として、悪魔に憑かれた人が増えてきていることは事実だ。エクソシストの養成はそのことを裏付けている。経済用語で説明すれば、需要と供給の関係だ。
このコラム欄でも「悪魔の存在の証明」は「神の存在証明」より人間にとって緊急であり、重要と書いたことがある。21世紀に入り、科学は飛躍的に発展し、人々はビッグデータを神のように受け取り、IT技術を駆使して生きているが、その一方、エクソシストへの依頼が増えているのだ。
ローマ法王フランシスコはカトリック信者に対し、「悪魔(サタン)と如何なるコンタクトも避けるべきだ。サタンと会話を交わすべきではない。彼は非常に知性的であり、レトリックに長け、卓越した存在だ」と異例の警告を発した。2017年12月13日に放映されたカトリック系放送「TV2000」とのインタビューの中で語った。
法王は、「サタンは具体的な悪行のために暗躍する。漠然とした事象のために存在するのではない。彼は1人の存在だ。人間は悪魔と話すべきではない。彼に負けてしまうからだ。彼はわれわれ以上に知的な存在だ。彼はあなたを豹変させ、あなたを狂わせるだろう。悪魔にも名前があり、私たちの中に入ってくる。彼はあたかも育ちのいい人間のような振る舞いをする。あなたが“彼が何者であるか”に早く気が付かないと、悪業をするだろう。だから、彼から即離れることだ。サタンは神父も司教たちをも巧みに騙す。もし早く気がつかないと、悪い結果をもたらす」と説明している。
われわれは「神の存在」を久しく追及してきたが、神を見失ってきた。その最大の原因は神の存在を追求するあまり、その傍で冷笑している悪魔が存在することを完全に忘れてきたからではないか
悪魔の存在とその実相について、第4ラテラン公会議(1213~1215年)では、「悪魔とその群れは本来、神によって善の存在として創造されたが、自から悪になった。神は人間と同じように天使にも自由を与えた。神を知り、愛し、奉仕するか、神から離れていくかの選択の自由を与えられた」と記述されている。なお、バチカン法王庁が1999年、1614年の悪魔払い(エクソシズム)の儀式を修正し、新エクソシズム儀式を公表している
最後に、悪魔に関心のある読者は以下のコラムを一読してほしい。悪魔の存在が案外、身近に感じることができるかもしれない。
「悪魔(サタン)の存在」2006年10月31日
「バチカンと『悪魔』の関係について」2014年7月7日
「悪魔のPCには消却機能がない」2016年3月6日
「『悪魔』と戦ったエクソシストの『死』」2016年9月20日
「聖職者の性犯罪は『悪魔』の存在証明」2017年7月20日
「ローマ法王『悪魔は君より頭がいい』」2017年12月15日
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年6月20日の記事に一部加筆。