紙に横線を一本、引いてみる。左側に政府・大企業・司法界・富裕層などの「権力者・支配層」を置く。右側には、対する存在として「国民・市民」を置いてみる。
頭の体操の1つとして、報道機関はどこにいるべきか。
日本では、報道機関を両者の真ん中に置く「中立」的な存在と見る人が多いのではないか。
というのも、日本語で報道機関の役割・ミッションに関する文章を読むと、「中立」という言葉が頻繁に出てくるからだ。特定の利益集団の声を代弁するのではなく、客観的に事実を報道する存在=報道機関という解釈が「中立」という言葉に込められているように見える。
筆者が住む英国では、メディアは右側の国民・市民側にいる、と考える。
これは常に市民がメディアを信頼しているという意味ではない。むしろメディアを特権層の一部として認識する人は少なくない。しかし、原則としては、報道機関の役割は右側の立場から、権力層を監視することである。
「Journalism」4月号の特集である、メディア報道の「中立・公平・公正」について考えるとき、英メディアの基本姿勢が「反権力」であることは重要なポイントである。例えば時の政府を批判するとき、「偏向している」とはみなされない。むしろ、批判しないと報道機関としての役割を果たしていない、と思われてしまう。
本稿では、新聞界と放送界を中心に、「中立・公平・公正」にかかわる英国ジャーナリズムの特徴と実践例を紹介してみたい。
新聞メディアが自主規制になるまで
まず、新聞ジャーナリズムが生まれるまでを振り返ってみる。
英国初の印刷機の設置(15世紀後半)、ロンドンのギルド「書籍出版事業組合」による印刷業務の独占(16世紀)を経て、定期刊行物としての新聞の発行が始まるのは17世紀である。
同世紀末まではニュースの印刷及び発行には国王の認可が必要で、厳しい統制が敷かれていた。
しかし、日本でいうと本州に当たるイングランド地方で、国王派と議会派による戦い(「イングランド内戦」、1642~1651年)が始まり、国王・当局による統制は事実上崩壊した。対立する主張を伝える発行物が無数に出版されていく。その後、英社会は議会派の勝利による国王の処刑(1649年)、共和制(1649~60年)、王政復古(1660年)と激動した。
1694年、印刷・出版業の認可法が更新時期を迎えたが、この時までにニュースの需要が高く、非公式に発行された印刷媒体が多すぎたこともあって、更新されずに終わってしまう。
1695年、認可を得ない印刷物の発行が違法ではなくなった。この時から、英国の新聞界は、当局にお伺いを立てる必要がなくなり、情報を発信する自由を得た。現在に至るまでこの伝統は健在だ。
毎日、各紙は思い思いの政治主張を紙面やオンラインで報道しており、読者もこの点を了解の上で新聞を買い、記事を読んでいる。
例えば、与党・保守党寄りの日刊高級紙「デイリー・テレグラフ」は保守党の政策を支持する論調が基本となっている(「高級紙」とは、質の高い新聞のことで、日本でいうと朝刊紙に当たる)。最大野党・労働党の指導者や政策を支持する記事は掲載されないか、否定的な論調で掲載される。
一方、労働党に近い日刊大衆紙「デイリー・ミラー」(「大衆紙」とは庶民的な新聞で、より誇張された表現が多い)は保守党及び現政権、ジョンソン首相を批判的に捉える報道が主である。1つの新聞を読んでいるだけでは、全体像がつかめない。後述する放送界でニュース番組には偏りがない視点を提供することが義務付けられているのとは対照的だ。偏向していることがデフォルトとなっているのが、新聞報道だ。
当局による報道規制はないものの、多くの新聞・雑誌が自主規制組織「独立プレス基準局(IPSO)」に加盟し、IPSOによる編集上の「倫理要綱(Editors’ Code of Practice)」を順守することになっている。
中立・公平・公正に関連する項目と思われる、「第1条正確性(Accuracy)」を見てみると(以下、一部抜粋):
「不正確、誤解を与えるような、あるいは歪曲された情報・画像を出版しない」(1-i)、「重大な不正確、誤解を与える声明、あるいは歪曲については直ちに訂正する」(1-ii)、「重大で不正確な情報について、該当者に返答する公正な機会を提供する」、「論考を述べる、あるいはキャンペーン活動をすることは自由にできるが、論考、推測、事実とを明確に書き分ける」(1-iv)。
1-ivの「キャンペーン活動をする」とは、社会に貢献する事柄(児童の貧困を解消する、地球温暖化を抑止するなど)を支援するため、関連記事を掲載する、紙面を通し募金活動を行うなどを指す。
加盟していない新聞社は独自に編集規定を設定しているが、IPSOの規定をほぼ踏襲している。
非加盟の新聞社の1つガーディアン紙の場合、IPSOの規定順守とともに、公正については、以下のように記している。中に出てくる「C.P.スコット」とは、ガーディアンの元編集長・社主である。
「公正性(fairness):『友人の意見も反対者の意見も同等に耳を傾ける権利を持つ・・・正直であることの方がよい。公正であればさらによい』(1921年、C.P.スコット)。紙面上の批判あるいは主張が重大であればあるほど、報道の対象者に対し、これに反論する機会を与える義務は大きくなる」。
何が正確、あるいは不正確なのか、あるいはどこからが論考でどこからが事実なのかを決めるのは各紙の編集長となるが、編集長が掲載を決めた「事実」は、報道対象者(例えば政治家)からすると「事実とは異なる」情報かもしれない。
そこで、新聞社側は報道対象者に「このような記事が出るが、反論があるか」と聞く段階を踏む。その返答も含めて1つの記事として掲載し、両方の見方を出すことで「公正さを保った」と見なす。
こうした過程はほかの複数の新聞でも実践されている。
例えば、2009年5月、テレグラフ紙は下院議員の経費超過請求にかかわるスクープ記事を連続35日間、1面トップで報道した。すべての政党の議員を対象にして報道し、複数の閣僚が辞任した。報道開始から2週間後、経費の支払い情報の公開を拒んだ下院議長までも辞任の意向を表明する前代未聞の事件となった。
情報が入ったディスクを極秘に入手したテレグラフ紙は、特別チームを設置し、それぞれの情報を解読・整理した後に記事化し、対象となる議員からのコメントを取った上で、紙面に掲載した。
オフコムが定める、放送界の規則
自主規制の新聞界とは異なり、放送業界では通信および放送業の規制・監督組織となる放送通信庁(オフコム)が定める規則(Ofcom Broadcasting Code)の順守が義務化されている。オフコムには放送免許を与える権限があるので、規則を逸脱すると、免許返上につながる可能性がある。
「中立・公平・公正」については、セクション5の「適切な公平性と適切な正確さ」(Due impartiality and due accuracy)が該当する。
このセクションの目的は、「いかなる形であれ、ニュースが適切な正確さで報じられ、適切な公平さで放送されることを確実にすること」。
「適切な公平性」と何か?
オフコムの規則によると、「公平さ」とは一方の側をもう1つの側よりも優先させないことを指す。「適切な」とは、扱うトピック及びその番組の性質に見合うこと。
従って、「適切な公平性」とは「すべての見方に同等の時間を割く」ことではなく、「すべての視点を出す」ことでもない。トピックが何か、番組の特徴、チャンネル、視聴者が何を期待しているか、どのような視点から視聴者に番組を放送するのか等によって変わるという。
さらに詳しく見ると、セクション5-1では「いかなる形であれ、ニュースが適切な正確さで報じられ、適切な公平さで放送されることを確実にすること」が放送業者に求められる。
5-2では「重大な間違いは速やかにこれを正す」、5-3では「政治家はニュースの読み手、インタビュー者、レポーターにはならない。もし編集上そのような必要がある場合、その人物がどのような政治姿勢を持っているかを視聴者に明らかにする」。
5-4は「政治及び産業上の論争、及び現在の公的政策にかかわる事柄について、ニュースを報道する者のすべての視点・意見を排除する」。
5-9では「ニュースの司会者、リポーター以外の出演者が『個人の意見』を表明することができるが、番組内で別の見方も提供する」。
BBCのミッションと規則
オフコムがニュース番組で放送業に求める「公平さ」(impartiality)という概念は、BBCの存在ミッションや放送規定にも登場する。
英国の主要放送局(BBC、ITV、チャンネル4、チャンネル5)はどのように運営資金を捻出しているかにかかわらず、「公的サービス放送(Public Service Broadcasting)」のカテゴリーに入る。
英国の放送業は1920年代に勃興するが、時の政府は放送業を公共サービスとして位置づけた。最初の放送局BBC(1922年に民営企業として創立、27年に公共体に)が1950年半ばまで唯一の放送局だったこともあって、放送は公共のためのサービスであると考える見方が今でも強い。
BBCはほぼ10年毎に更新される「王立憲章」によって、その存立が定められている。憲章はBBCの「公的役割」を掲げているが、最初に挙げられているのが、「公平な(impartial)ニュースや情報を提供すること」である。
BBCの編集ガイドラインには、公平性の基準についての規定がある。その基本はオフコムの規定に沿うが、視聴者からのテレビライセンス料(NHKの受信料に相当)の収入で国内の放送活動を行っていること、視聴者数の大きさ、期待の高さを反映してさらに厳しい基準となっている。すべてのニュース番組、事実を扱う番組(スポーツも含む)はニュースを「適切な公平さ」で放送する必要がある。ただし、同様の公平さは「コメディ、ドラマなどの番組には適用されない」(公平性についてのBBCの説明文書、2020年10月20日更新分)。
BBCのガイドラインでは熟練ジャーナリストは事実に基づいた証拠を基にジャーナリズムのプロとしての見方を提供できるものの、ニュースや時事番組に出演するジャーナリストや司会者の公的政策、政治的あるいは産業にかかわる論争、そのほかの「論争を呼んでいる事柄について、個人的な意見を番組内では出さない」ことになっている。
しかし、ソーシャルメディア、記事や書籍の中でBBCのジャーナリストが偏向している、あるいは偏見を持っているという印象を与えることがあるため、BBCジャーナリストには「BBCのプラットフォームで言えない内容を公的に言わない」ことが要求される。
ただし、外に出してはいけない「個人的視点」は、現場で発生した事柄への感想や、証拠を基にした査定、あるいはジャーナリストのプロとしての判断は除く。
フリーランスでBBCに登場するジャーナリストにもこのガイドラインは適用される。
もしニュース、解説、あるいは事実を基にした番組に出演するジャーナリストであれば、BBCジャーナリストと同様に公的政策、政治的あるいは産業にかかわる論争、そのほかの議論を呼ぶ事柄についての個人的な意見を公にしてはならないのである。
ニュース・時事関連の番組以外で働くBBCのジャーナリストは、「個人として」デモや集会に参加できる。しかし、ニュース・時事関連の番組のジャーナリストの場合は、「論争を呼ぶ問題を扱うデモや集会に参加してはならない」。
ただし、慈善目的でのウォーク、マラソンなどにはどの番組に働くジャーナリストも参加できる。
丁々発止のインタビュー
「正確、公正」を自ら課しながらも、独自の政治姿勢を表に出し、読者を呼び込む英新聞界とオフコムによるニュースの「公平性」の順守を義務化される放送界。
BBCのニュース番組にかかわるジャーナリストは仕事以外の場でも政治的姿勢を表面化させないことが求められる。
公平性順守の規則に縛られる放送メディアだが、そのジャーナリズムは実に生き生きとしている。どちらの側にもつかない、退屈な報道とは正反対だ。
それが可能になるのは、「権力の監視」がジャーナリズムの基本姿勢であることが社会の中で広く受け入れられていることではないかと思う。
その具体例は枚挙に暇がないが、例えば、2012年11月10日、BBCのジョージ・エントウィッスル会長(経営陣のトップ)があるニュース解説番組での誤報によって、引責辞任した事件があった。
10日朝、エントウィッスル氏はBBCのラジオ4というチャンネルが放送する時事番組「TODAY」に出演。この時、ジャーナリストのジョン・ハンフリーズ氏は会長が誤報や関連事情についての情報をいかに把握していなかったかを1対1のインタビューを通して暴露した。
インタビューの中でハンフリーズ氏は「辞任することは考えていないのですか」と会長に聞いた。会長は「できることはやっている」と答えたものの、番組を通してその不手際が公にされ、番組放送後、辞任コールが高まった。当日夜、会長は辞任を発表した。
ハンフリーズ氏にはリスナーが聞きたいと思うような質問を厳しく聞いていくことが求められており、同氏はこれに沿って質問を重ねていった。もし追求が甘くなれば、ハンフリーズ氏、BBCの評判が落ちてしまう。
2020年7月、BBCテレビのニュース番組「アンドリュー・マー・ショー」の中で、司会者のマー氏が中国の劉暁明駐英大使にウィグル人の強制収容の動画を見ながら、インタビューする場面があった。
この中で、マー氏はウィグル人の収容の是非について聞いていくが、大使は「何の映像か分からない」などと述べ、中国政府がウィグル自治区での女性の不妊手術や妊娠中絶を強制しているとする報道を否定した。
この動画は日本語になっており、日本に住む多くの人の目に触れた。マー氏と大使の丁々発止のやり取りは英国の放送ジャーナリズムの1つの典型だった。事実を基に取材対象者に矢継ぎ早に問いかけをしていく。時には相手を怒らせることもあるが、司会者あるいは番組の制作者側が「視聴者が聞きたいと思うであろうこと」をあくまでもプロフェッショナルに聞いていくのである。
この時も、マー氏がもし大使の説明にうなずき、合意している様子を見せたら、視聴者の期待を裏切ってしまう。相手の発言の根拠を問いかけ、質問を重ねていく中で、視聴者に何が事実だったのかを判断してもらう手法を使ったのである。
公平さが取り逃す視点、逸脱も
しかし、様々な視点を公平に出すジャーナリズムの手法が失敗したと言われたのが、BBCをはじめとした放送メディアによる英国の欧州連合(EU)からの離脱(「ブレグジット」)報道である。
2016年6月、英国では離脱の是非を問う国民投票が行われた。投票日直前まで、政治家は残留派と離脱派の二陣営に分かれ、キャンペーン運動を展開した。
両陣営ともにそれぞれの主張には誇張や不正確な事実が入っていたが、BBCを含む放送メディアは両派の主張を同列に扱った。両方の陣営から「偏向している」と批判されたBBCだが、両方の主張を並列するというこれまでのパターンで報道した結果、有権者はどちらの陣営を支持したらいいのか、分からない状態になった。また、不正確な情報の拡散にも加担してしまった。
「個人」で情報を伝えるソーシャルメディアが人気となり、私たちの生活の一部となった。ニュース情報があふれる中、ほかのメディアとの差別化も重要だ。
そこで、公平さの維持よりも、個人の意見・見解を出した方が「より時代に沿っている」と考えるBBCジャーナリストもいる。「Aという見方がありますが、一方、Bという見方もあります」ではなく、「ジャーナリストとして、自分はどう思うのか」を出した方が視聴者・読者に直接刺さるのだ、と。
しかし、インタビュー術に定評がある熟練ジャーナリストのエミリー・メイトリス記者は、「事実を伝える」という基本の一線を越えてしまった。
2020年5月末、メイトリス氏は司会を務める報道番組「ニューズナイト」の冒頭で、ジョンソン英首相の上級顧問(当時)ドミニク・カミングス氏が新型コロナウイルス感染阻止のために課されていた「ロックダウンの規則を破った」と断言した。視聴者の気持ちを代弁し、言い切った形となった。
放送後、「そうとは言えないのではないか」という声があがり、BBCはメイトリス氏の発言が自局の公平基準を満たしていないという見解を出さざるを得なくなった。
最後に、ガーディアンの元編集長スコット氏が書いた、あるエッセー(1921年5月5日付)を紹介したい。この中で、スコット氏は新聞の主な役割とは「ニュースを集めること」という。そして、著名な一文が続く。「論評するのは自由だが、事実とは聖なるものだ」。
一体、事実は何だったのか、自分のつかみ方は公正と言えるだろうか?論評と事実を混同していないだろうか?
ニュース界にいる人の心が迷ったとき、自分自身に問いかけるべき言葉である。報道の公平・公正について権力を持つ人から問われたときには、特にである。
(月刊誌「Journalism」4月号掲載の筆者執筆記事に補足しました。)
編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2021年6月2日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。