To the happy few、創造は多様性だ

価値観の転換といい、発想の転換というが、転換しようと努力することは無益である。単に、どこかの誰かにおいて、偶然に価値観が転換したときに、価値観の転換による創造がなされるにすぎず、その転換の構造を逆向きに解析しても、転換を再現させることはできない。

123RF

創造は、簡単には世に受けいれられない。生前は全く無名の芸術家であり、世の片隅の小さな存在だったもののなかには、死後、長い時間を経て再発見される人も珍しくない。実は、創造は、芸術家が世に知られずに創作したときに始まり、再発見されて世に知られたときに成就するのである。それが創造の定義である。

スタンダールもまた、生前は読者の理解を得られなかった。しかし、To the happy few、即ち、少数の理解者のためだけに書き、書く情熱に突き動かされて、驚異的な速筆で書き続けたのである。書くこと自体を自己目的とした行為、完成を意図しない作品、創作過程自体としての作品、これこそ、純粋な創作であり、芸術である。蒐集だけを目的にしている蒐集家のように、スタンダールもマニアだったのである。

そして、完成した作品は、情熱の尽きるところに、情熱の昇華した後に、自然に残されたものである。作品の完成度と美しさは、天然の造詣、自然美と変わるところはない。巧まれたものでない美しさ、自然の美、それが本来の美である。そして、その美は、死後に見出され、今日、全世界に多くの読者をもつ創造として君臨している。作品が読まれるために書かれたのなら、スタンダールの創造はなかったのである。

世界のあちらこちらで、常時、無数の小さな創造の端緒が開かれていることは、人々の活動が赴く先の必然の結果だが、世界のどこかで、いつの日か、そのうちの少数が認知されて創造に昇華することは、偶然の結果である。

創造の端緒が軽い狂気として開かれ、創造への昇華が偶然にすぎないとき、創造過程をについて論じる余地はない。しかし、双方について生起する確率を論じることは可能である。そして、確率を規定するものは、多様性である。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本 紀行