政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑪:資本主義のバージョンアップ

金子 勇

FangXiaNuo/iStock

『新しい資本主義案』

2022年6月7日に公表された岸田内閣の『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)』(以下、『新しい資本主義案』と略称)の冒頭に、「課題を障害物としてではなく、エネルギー源と捉え、新たな官民連携によって社会的課題の解決を進め、それをエネルギーとして取り込むことによって、新たな成長を図っていく」(『新しい資本主義案』:2)という宣言がある。

これはたしかに「破局から学ぶ」「破局の教育学」」(ラトゥーシュ、2019=2020:126;127)に通じるところがあり、一般論としては正しいが、要はその学び方にある。「新しい資本主義」論を展開するのなら、「環境や状況の変化は常に不可避であり、結局、問われるのは変化への感度と対応力である」(奥和田、2019:220)ことへの配慮が欲しい。

ところが、『新しい資本主義案』の大きな特徴は、「資本主義を超える制度は資本主義でしかありえない。新しい資本主義は、もちろん資本主義である」(同上:1)と断言しただけで、それまでの「資本主義」と「新しい資本主義」との異同が検討されていない。

そのため「基本的思想」や「重点投資」先については細かな記述があるが、「資本主義」の実像の記述に乏しく、歴年の業績から学んだ形跡がうかがえない。これでは「感度と対応力」が不完全になる。

(前回:政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑩:新しい資本主義

資本主義の歴史認識と現状分析

世界における250年間の「資本主義」論の歴史では、前回述べた「分厚い中間層」(連載第10回「新しい資本主義」2022.6.25)などよりももっと巨大な研究業績が積み上げられてきた。それは歴史認識と現状分析に分けられる。

前者ではアダム・スミス(1723年生)、マルクス(1818年生)、エンゲルス(1820年生)、ケインズ(1883年生)、シュムペーター(1883年生)などが、経済学分野でそれぞれに膨大な著作を刊行しているし、現在まで読み継がれてきた。

一方、社会学でもゾンバルト(1863年生)、ウェーバー(1864年生)、パーソンズ(1902年生)などが、独自の体系の中で「資本主義」の歴史と社会システムを精緻化している。これらもまた現在の社会学研究者にとっても必読な文献群である。

これらの「歴史認識」に加えて、「現状分析」では、この数年だけでもハーヴェイ、シュトレーク、ミラノヴィッチ、ティロールなどが優れた作品を発表してきた注1)

ところが、『新しい資本主義案』ではこれらの諸作品への言及は皆無であり、歴史認識論に欠けていて、現状分析はあるとはいえ、それは「資本主義」論の範疇とは無縁のトピックスに終始した。

資本主義の基本的思想

『新しい資本主義案』の基本思想は、たとえば①「市場も国家も」「官も民も」による課題解決をする、②課題解決を通じて新たな市場を創る、③国民の持続的な幸福を実現するに集約されている。

このうち③は当たり前すぎて、とても思想とはいえない。また②も、1970年代までの公害問題に象徴されるように、クルマの排ガス規制技術をいちはやく完成した日本車メーカーが世界を席巻した歴史を想定すれば、当然のことになる。

そこで問題は「官も民も」の強調にある。同じ意味で「市場も国家も」が使われているのは、市場経済でも国家運営、合わせて全体社会システムの遂行でも、「人的資源」が枯渇してきたという事情が作用したとみられる。それを克服するために、人的資本蓄積、先端技術開発、スタートアップ育成が基本思想に躍り出た。なぜなら、「少子化する高齢社会」では、全分野の労働力人口が不足するからである。

「人的資本」育成の根本対象は学校教育

そのために全篇にわたり「人への投資」が謳われた。ただし「人的資本」育成の根本は義務教育年代の学習効果にあるから、「義務教育」の質と量の見直しが急務であるが、その方針はうかがえない。

逆に『新しい資本主義案』のストック面での「人への投資」が、「職業訓練、学びなおし、生涯教育」に限定されていて、そこまでに至る大学卒業までの16年間の学校教育面での改革案と投資案に関連する具体策に乏しい。

これは「副業・兼業の解禁が遅れている」(同上:7)という判断の下、「積極的な副業・兼業の推進」が政権の課題になっているからである。

「積極的な副業・兼業の推進」は正しい選択か

しかし根源的な問題は、若者や中年世代がなぜ「副業・兼業」をしなくてはいけなくなったかにある。学校を卒業後、初職として選んだ産業界や職種や会社そして業務に適応できないことは珍しくない。スポーツでも短距離走から中距離走に移ったり、野球選手からサッカーやゴルファーに転身した人はいる。中年期の官僚やメガバンクの役員やマスコミの編集委員が大学教授に再就職した例も多い。

その人の人生なのだから、どのような選択も可能だが、「副業をすると失業の確率が低くなる」(同上:7)、「副業を受け入れた企業からは人材不足を解消できた」(同上:8)という理由だけで、「積極的な副業・兼業の推進」を国策にしていいのだろうか。

とりわけ後者に関しては、「副業を受け入れた企業」が大企業であることは容易に想定できる。ということは、日本全体の労働者が70%を占める中小零細企業から有為の人材が流出したことになる。

もともと中小零細企業では、従業員が「副業・兼業」をするような余裕もない。もちろん国家公務員も地方公務員も本務を遂行する上で、「副業・兼業」は基本的にはありえない。

16年間の教育改革が最優先

この10年間、高校への進学者は96%程度であり、このうち55%大学が大学に進んでいる。すなわち若者の半数以上は高等教育を受けたことになっている。

その延長線上の初職こそが一番重要であり、そこでキャリアを積み、能力を磨くことが成功の近道となり、本業での成果こそ高等教育を受けた人が誇るべき目標達成になるのではないか。これが難しいのであれば、高等教育の入試方法、科目内容の見直し、教員の質の点検、奨学金を拡充した学生支援方法などの改善が先決である。

小学校からの16年間の教育内容を放置したままで、「副業・兼業」などを「本業」よりも評価する姿勢には疑問を感じざるを得ない。実際のところ、ゼミの発表よりもアルバイト先のローテーションを優先する学生もいれば、分数計算ができない大学生も存在するのだから。

この16年間こそ「こども政策を我が国社会の真ん中に据えて」(同上:8)、次世代育成を通した「人への投資」に全力を尽くしてほしい。

本業を通した目標達成

高度産業社会における価値の筆頭は「業績性」(achievement)にあり、「社会にとってもっとも重要な資源は、成員の業績達成能力とコミットメント」(パーソンズ、1964=1985:320)になる。

会社が自社の従業員の「業績達成能力とコミットメント」を後回しにして、「副業・兼業」を推奨するのならば、会社における本業での「業績達成」はあきらめるしかない。なぜなら、「副業・兼業」に関心が高い従業員に、本業を行っている自社への「コミットメント」などまったく期待できないからである。

この部分の執筆者、「案」全体を認めた有識者会議、『新しい資本主義』として発表した政府は、日本の現状認識に大きな誤解があるのではないか。

GXへの投資

さて、GXはグリーン・トランスフォーメーションの略語として使われていて、歴代の政権が高唱してきた「気候変動問題」への対処全般を指している。この動向に私は、懐疑派(skeptic)として一貫した態度を堅持してきた。

『新しい資本主義案』でいわれる「気候変動問題は、新しい資本主義の実現によって克服すべき最大の課題である。2030年度46%削減、2050年カーボンニュートラルに向け、経済社会全体の大変革に取り組む」(同上:20)についても疑問を持っている。

なぜなら、図1で明らかなように、世界の二酸化炭素排出量の1位中国29.5%、3位インド6.9%、4位ロシア4.9%の国々並びに「その他」28.0%、インドネシア1.7%、メキシコ1.2%、ブラジル1.2%などを合計すると、70%以上の国が依然として二酸化炭素排出量削減にほとんど取り組んでいないからである。

図1 世界の二酸化炭素排出量(2019年)
(注)JCCCAのホームページより(閲覧日2022年6月30日)

戦争でも二酸化炭素排出量は増加する

さらに2月24日以降のロシアによるウクライナ侵略戦争では、ミサイル、戦車の砲撃、ロケット砲、戦闘機の攻撃、巡洋艦など戦闘艦艇からのミサイル攻撃、トラックによる軍事物資輸送などで、どれほどの二酸化炭素が排出されたか分からない。

脱炭素論者は沈黙しているが、この態度はそれまでの主張と整合するのだろうか。

日本だけの削減では効果がゼロ

このような事情を勘案すると、世界の二酸化炭素排出量に占める割合で3.2%の日本がかなりな犠牲を払って3.0%に削減しても、それは世界の削減に全く寄与しないことは明瞭である。GDPが550兆円の日本で、二酸化炭素の排出量を前年比で0.2%削減しながら、投資を進め成長を追求することは難事業であろう。

ただし、すでに世界的な脱硫技術をもち、実用化している石炭火力などにおけるイノベーションの機会が増えることは確実であるから、「150兆円規模のGX投資」(同上:20)がもたらすこの方面への期待は捨てないでおこう。これ以外のたとえば「再エネ」やエネルギー問題などについての私の判断は金子(2022a ; 2022b)に詳しいので、参照されたい。

代替財か補完財か

なお、ここでは反・脱原発の世論が追い風となった風力発電エネルギーについて、高田保馬のいう経済学上の補完財と代替財からの説明を追加しておきみたい注2)

まずは、発電したり電力を使ったりする経済行為の目的物、すなわち個人または法人による獲得行為の対象となる経済財を、経済学の伝統に従って生産財と消費財に大別する。

電力が自動車の製造に不可欠なように、またセメントが住宅建設に利用されるように、他の財の生産に役立つものが生産財である。同じく、個人が飲食したり、ブランド商品を着用して、みずからの欲求を充足させるものが消費財である(高田、1953:14)。

飲み物、着物、薬、自動車、テレビ、パソコン、携帯電話などはそれぞれに効用があり、一定の財がある主体の欲望をみたし得ると認められた性質と見なされ、「見積もられたる有利さ」(同上:14)とものべられている。

電力は全ての産業活動と国民生活の基盤であり、あらゆる生産財と消費財に役に立つ根本的な生産消費財でもある。高田は消費財の効用に関して補完性(complementary)と代替性(substitutable)に分けている(同上:156)が、電力に限定していえば、生産財としての側面もまたその両者の分類が可能になる。

なぜなら、火力発電(X1)や原子力発電(X2)による電力(X=X1+X2)と太陽光や風力による発電(Y)は、その品質の点でまた供給の安定性の面で、著しい相違が認められるからである。

原発停止の歴史

すなわち東日本大震災の福島原発人災を受けて以降、日本全国にある原発50基がすべて停止してきた歴史があり、加えて反・廃・脱原発の世論が強く、将来的にもXYの二財間ではX(特にX1)面の不足が明らかである。

10年後の今日でも、再稼働している原発は4基に止まり、規制審査に合格した6基は動いておらず、廃炉も24基にのぼる。そこでYへの期待が強まり、日本各地で太陽光発電と風力発電の「再エネ」計画がたくさん出されてきた注3)

一般的にいえば、XY間にはXの減少のときにYの効用が強まるのならば、YはXにとって代替的であり、弱まるならば補完的である。多くの場合、XY間は代替関係が支配的になる。XY間が逆相関にある代替機能が生産財にも消費財にも生まれることもある。

「火発+原発」と「再エネ」間には代替性はない

現代日本の産業活動と国民生活とにおいて、XYという2種類の電力はどのような関連にあるか。Yを各方面から期待される風力発電として、これまでの電力源であるX(X1+X2)との対比で考察すると、YはXの代替機能が持てるのか。

原発、火発、「再エネ」間での代替性議論こそが、エネルギー危機に直面した日本の緊急テーマだが、補完性はともかく代替性はないと私は判断してきた(金子、2022c)。

DXへの投資

次に、『新しい資本主義案』では「DXは新しい付加価値を生み出す源泉であり社会的課題を解決する鍵」として位置づけられていて、これこそが「デジタル都市国家構想を推進する」切り札的な存在にされた(同案:23)。

ところが、個々の政策としてあげられた「ポスト5G、6Gの実現に向けた研究開発」「デジタル市場の環境整備」「クレジットカードのインターチェンジフィーの透明化」「デジタルヘルスの普及」「マイナンバーカードの普及」「中小企業等のDX」「医療のDX」「建築・都市のDX」「サイバーセキュリティ」などが、どのような「デジタル田園都市国家」をもたらすのかの全体的イメージが得られない。

「田園都市」がどこにも出ない

その表現は生硬で分かりにくく、さらに「推進する」「確立する」「促進する」「支援する」「加速する」「整備する」「設置する」「強化する」などが乱舞したままで、課題の説明になっていないところがある(同案:23-24)。

おそらくデジタル化しか念頭にないままに、「田園都市国家」がどのような歴史的背景と構造と機能を持つかの点検を放棄したのではないか。なぜなら、「田園都市」の主唱者ハワードも著書『明日の田園都市』もここにまったく登場しないからである。

代わりに出てくるのは、「デジタルサービス」「デジタル基盤の構築」「デジタル推進委員」「地域協議会」「digi甲子園」などである(同案:27-28)。

ハワードの「田園都市」

1898年にハワードは、田園の中で独立した新しい人口3万人程度の理想都市として「田園都市」(garden city)を発表した。かれは都市も農村も「磁石」のたとえを使って位置づけた後で、第三の選択肢として両者の利点を取り込んだ「田園都市」を図2のようにまとめた。

図2 ハワードの「田園都市」イメージ
出典:ハワード(1898=1965=1968:78)

これを文章化すると、「二つの磁石は一つにならなければならない。・・・・・・(中略)都市は社会の象徴であり-相互扶助と親密な協力の父たること母たること兄弟たることの象徴であり-科学・芸術・文化・宗教の象徴である。そして農村は、神の人間に対する愛と思いやりの象徴である。われわれの生存と所有のそのすべては農村に由来する」(ハワード、前掲書:83)。

図2では当時の都市と農村の現状が要約されていて、両者の欠陥を相互に補うために「都市・農村」(Town-Country)の融合体として、第三の「磁石」として「自由」(freedom)と「協同」(co-operation)の「田園都市」が構想されたことがよく分かる。

すなわちハワードは、①自然の美しさ、②社会的機会、③低家賃・高賃金、④低い地方税、⑤多くの活動、⑥低価格、⑦清純な空気と水、⑧よい排水、⑨明るい家庭と庭園、⑩スラムがない、などを「田園都市」の主な内容とした。

したがって『新しい資本主義案』といいながら、その歴史認識も現状分析も行わず、「デジタル田園都市国家」の推進と謳いつつも、「田園都市」に全く触れないのでは、この「案」が政策的指針としてどこまで有効性を持つかに疑問が残る。

5つの「重点投資」先

代わりに、以下の政策的優先項目が「重点投資」先として表現されている。

  1. 人への投資と分配
  2. 科学技術・イノベーションへの重点投資
  3. スタートアップの起業加速及びオープンイノベーションの推進
  4. GX(グリーン・トランスフォーメーション)及びDX(デジタル・トランスフォーメーション)への投資

このうちGXとDXは似て非なるものなので、結局は5つの「重点項目」が示されたことになる。

破局から学ぶ

ここでは社会学のいくつかの理論に照らして、『新しい資本主義案』の可能性を探求したい。

一つはオグバーンの「文化進行の遅れ」説(cultural lag)、二つはロジャースのイノベーション論である。

「文化進行の遅れ」

文明と文化の変動速度の相違を最初に取り上げたのはオグバーンである(オグバーン、1922=1944)。彼は、文明を支える技術や商品を含む物的側面の変化が先行し、それに遅れて価値理念、規範、道徳、芸術などの文化面に変動が及ぶことを指摘して、これを「文化進行の遅れ」説(cultural lag)として整理した注4)

「文化進行の遅れ」説は「近代文化の種々な部分が同じ割合で変化しないで、ある部分は他の部分よりももっと急速に変化する」(同上:188)という命題から構成されている。

特定の時代の中で先行して変化が始まるのは「家・工場・機械・原料・手工業的生産物・食料品及び他の物質的事物」(同上:190)という物質文化関連であり、遅れながらも進むのは「慣習・信仰・哲学・法律・政府」(同上:190)のような非物質的文化である。

別の表現では、「物質文化における変化が適応する文化における変化に先行する」(同上:198)となる。その理由は、①物質文化の大きな堆積があり、②物質文化は速い速度で変化し、③物質文化は社会システムの他の部門にたいして多くの変化を導くからである(同上:260)。確かに最先端のミサイルを完成させても、その政体は「封建制」や「全体主義」の国もある。

2022年現在でも、私たちは筆記具、通信機器、自動車、住宅、空調、調理器具、家電などのすべての物質文化で、この1922年に出されたオグバーンの指摘に首肯せざるをえない。

万年筆がワープロに代わり、その後はパソコンのワードが席巻している現在、筆記するという行為は筆記器具の進歩に追いつけなかった。電話と速達という通信手段からメールやインターネットの世界が到来して久しいが、ここでも国民全体がメールに適応するには時間がかかった。

これらの事例で明らかなように、意識や価値それに規範やライフスタイルなどの非物質的文化の変化は、物質的文化の変化よりも遅れながら進む。マンハイムの「非同時的なるものの同時共存」の姿をここに見る。

マイナンバーカードの「普及」モデル

オグバーンのこの理論を、『新しい資本主義案』で推進される筆頭に掲げられたDXに応用してみよう。

たとえば「デジタルヘルスの普及」「マイナンバーカードの普及」「中小企業等のDX」「医療のDX」「建築・都市のDX」をすべてイノベーションとすると、この普及には世代間、世代内、都市と農村の地域差、ジェンダー差などが確実に生じることが予見できる。

このうち政府が熱心なのは「マイナンバーカードの普及」のように思われるから、これを素材にした「イノベーション普及モデル」を活用してみよう。

総務省の「マイナンバーカード交付状況について」(2022年6月)によれば、全国的には44.7%の「交付率」=「普及率」であった。これは「人口総数に対する交付枚数率」であり、居住地を3種類に分けると、「政令指定都市」のそれは47.1%、「特別区と市」では44.5%、町村では40.4%の交付率になっていた。居住地の人口数が大きいほど{交付率}=「普及率」が高いという傾向がうかがえる。自治体の人口数に応じて、普及速度に差異が認められる。

60歳を境に男女の「普及率」が逆転する

表1では、年齢と男女別に組み合わせた。やや細かい分類であるが、全体を概観しておくと、男女別では男への「普及率」が若干高い。しかし、20-59歳までは男より女の方が一貫して「普及率」が高く、逆に60歳を過ぎると、男の「普及率」が女を上回ることがよく分かる。さらに40歳代では男女ともに「普及率」が低くなっている。

表1 マイナンバーカードの「交付率」(%)
出典:総務省の「マイナンバーカード交付状況について」(2022年6月)

この説明にロジャースのイノベーションモデルを使ってみよう。その理由は、DXがデジタル化を意味していて、イノベーションの「普及」の典型例として活用できるからである。

ただし行政からすればDXの一環としての「マイナンバーカード交付」が課題となり、社会システムの成員から見るとDXは「マイナンバーカード普及」になる。そのため「マイナンバーカード」の「交付」と「普及」は互換的に使用する。

ロジャースのイノベーションモデル

特定のイノベーションが発生したとして、それは社会システム全体に急速には浸透しない。時間もかかるし、通常は最初に受け入れる社会システム成員は極めて少ない。そこで止まる場合さえあるが、それを乗り越えても一気に普及するわけでもない。

かつてロジャースは、普及に関するイノベーションモデルを5つの採用者カテゴリーに分けたことがある(図3)。これは自身の研究成果とともに、膨大な先行研究の結果を取り入れて「理念型」である。

図3 ロジャースのイノベーションモデル
出典:ロジャース(1962=1966):112

このイノベーション普及の「理念型」は

  1. 革新者、革新的採用者(innovators)2.5% →「冒険的な人々」
  2. 初期採用者、初期少数採用者(early adopters)13.5% →「尊敬される人々」
  3. 前期追随者、前期多数採用者(early majority)34% →「慎重な人々」
  4. 後期追随者、後期多数採用者(late majority)34% →「疑い深い人々」
  5. 遅滞者、採用遅滞者(laggards)16% →「伝統的な人々」

となる。なお、下線を引いている訳語および簡単な定義は、初版から9年後の新版による(ロジャース(1971=1981:250-255)。ただし、内容は変わっていない。

イノベーションの「普及」とは社会システム成員がこれを採用することであるから、新版での訳語のように「採用」を含むほうが分かりやすいので、私もこれに準じる。

マイナンバーカードの「普及率」の説明

このモデルを使って、DXの象徴としてのマイナンバーカードの「普及率」を説明しよう。全体での「普及率」が45%前後なので、「革新的採用者」、「初期少数採用者」、「前期多数採用者」のカテゴリーまでは、ほぼマイナンバーカードが行き渡っていることになる。すなわちモデル図の左側半分への交付が済んだとみられる。

ただしグラフは正規分布の形であるが、左側に3カテゴリー、右側に2カテゴリーなので注意しておきたい。「マイナンバーカード」の「後期多数採用者」までの「普及」が進めば、政府としてはDXの第一弾は成功したと考えてよい。そのためか、札幌駅前の地下歩行空間(チカホ)では、平日でも臨時のマイナンバーカード申請所が作られている(写真1)。

写真1 ※札幌市駅前地下歩行空間で筆者撮影(2022年6月28日)

イノベーションの「普及」カテゴリーの説明要因は、社会経済上の地位、パーソナリティ変数、コミュニケーション行動である(ロジャース、1971=1981:256-257)。しかし総務省ホームページにはそのような情報がないために、ここでは性別と年齢別の動向、それに居住地の特性から推測するしかない。

そうすると、表1から20歳から59歳までの政令指定都市の女性への「普及率」の高さ、政令指定都市60歳以降の男性の高さから、ここには「革新的採用者」「初期少数採用者」「前期多数採用者」が多いことが想定される。

逆に町村の20歳から59歳までの男性と60歳以上の女性に「普及」の遅れがあることにより、「後期多数採用者」への働きかけの対象が変わってくる。たとえば町村の20歳から59歳までの男性と60歳以上の女性に、マイナンバーカードの利便性が理解してもらえるかどうかで、今後の普及率が左右されるであろう注5)

以上、膨大な先行研究から多方面の成果を取り込むことを放棄しては、「新しい資本主義」を政策的にも学術的にも論じられないのではなかろうか。

(次回へ続く)

注1)それぞれの作品は高水準で、真剣に取り組む価値がある。私は友人の経済学者と1年半の準備をしたうえで、これらの諸作品の「入口」をようやく概観できたに過ぎない(濱田・金子、2021)。

注2)高田の経済学と社会学では現代社会への応用可能な論点が多い。結合定量の法則、人口史観、勢力理論、基礎社会の拡大縮小の法則、基礎社会衰耗の法則などは、「少子化する高齢社会」でも積極的な活用が試みられてよい。

注3)これらの「再エネ」についての諸問題は、金子(2022a,2022b)で詳しく検討した。

注4)社会学の定訳では「文化遅滞」である。しかし、「遅滞」では滞っているというイメージが強く、「文化進行の遅れ」と修正した。なぜなら、物質文明よりも浸透が遅くなるといっても、非物質文明も滞らずにゆっくりと進んでいくからである。

注5)20世紀後半の最大のイノベーションの一つである「温水洗浄便座」は老若男女全員が歓迎したので、その普及は迅速であった。「山のてっぺんから地の果てまで行き渡ったウォッシュレット」(水野、2014:19)は例外と見るべきであろう。すなわち「温水洗浄便座」には「採用遅滞者」すら少ないのである。

【参照文献】

  • 濱田康行・金子勇,2021,「新時代の経済社会システム」『福岡大学商学論叢』第66巻第2・3号:139-184.
  • Howard,E,1898=1965,Garden Cities of To‐Morrow,The Town and Country Planning Association,(=1968 長素連訳『明日の田園都市』鹿島研究所出版会)
  • 金子勇,2022a.「二酸化炭素地球温暖化と脱炭素社会の機能分析」(8回連載)国際環境経済研究所.
  • 金子勇,2022b.「『脱炭素と気候変動』の理論と限界」(8回連載)アゴラ言論プラットフォーム.
  • 金子勇,2022c,「北海道『脱炭素社会形成』のアポリア」(前編・後編)アゴラ言論プラットフォーム(4月6日、4月10日).
  • Latouche,S.,2019,La décroissance.(Collection QUE SAIS-JE? No.4134) Humensis. (=2020 中野佳裕訳『脱成長』白水社).
  • Mannheim,K.,1935,Mensch und Gesellschaft im Zeitalter des Umbaus,Leiden A.W.Sythoff’s Uitgeversmaatsschappy N.V.(=1976 杉之原寿一訳「変革期における人間と社会」樺俊雄監修『マンハイム全集5 変革期における人間と社会』潮出版社):1-225.
  • 水野和夫,2014,『資本主義の終焉と歴史の危機』集英社.
  • 奥和田久美,2019,「政策のための予測を俯瞰する」山口富子・福島真人編『予測がつくる社会』東京大学出版会:195-222.
  • Ogburn,W.F.,1923,Social Change: with Respect to Culture and Original Nature, London. 雨宮庸蔵・伊藤安二訳『社会変化論』育英書院、1944.
  • Parsons,T.,1964,Social Structure and  Personarity ,The Free Press.(=1985 武田良三監訳『社会構造とパーソナリティ』新泉社).
  • Rogers,E.M.,1962,Diffusion of Innovations, The Free Press.(=1966 藤竹暁訳 『技術革新の普及過程』培風館)
  • Rogers,E.M.,1971,Communication of Innovations:A Cross-Cultural Approach, The Free Press.(=1981 宇野善康監訳『普及学入門』産業能率大学出版部)
  • 高田保馬,1953,『全訂 経済学原理』日本評論新社.

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