信長や家康より秀吉が好きだという日本人への贈り物

八幡 和郎

7月27日(水)に、拙著『令和太閤記寧々の戦国日記』が紙の本も、電子版も同時に発売になります。私と妻の衣代との共著です。Amazonの予約は開始してます。

形は、あの世の北政所寧々が日経新聞に「私の履歴書」を連載したようなスタイルです。そして、注釈で丁寧に最近の学説動向を拾っています。400ページ以上で挿絵入り、1760円ですからお買い得です。

本日は、なぜいま秀吉なのかを少し真面目に論じます。

戦国の世は、日本人が戦乱に苦しみつつも世界に目を開き、大きな夢を見ることが出来た「黄金の日々」でした。苦しい時代とは必ずしもいえず、人口も増え、生活は豊かになり、自由な雰囲気にあふれ、西洋の同じ時代と似たルネサンスの花が咲き誇ったのです。『令和太閤記・寧々の戦国日記』は、この時代を思う存分に生き抜いた秀吉と寧々という夫婦の等身大の生涯と、それを取り巻く人々を、「寧々の回想」という形で描く、新しいタイプの歴史絵巻です。

私の「浅井三姉妹」「坂本龍馬」「上杉鷹山」に続いて、「私の履歴書」(日本経済新聞)にヒントを得たスタイルで、形としては小説のように書き綴っていますが、内容は史実だけに即したまじめな歴史書です。さらに新進気鋭のイラストレーター・ウッケツハルコさんが50枚を超える挿絵で華を添えています。

挿絵では、寧々はみずみずしい感性の現代女性として、秀吉は愛嬌あふれるお猿さんとして登場します。

コロンブスが1492年に新大陸を発見してから半世紀ほどたち、南蛮人が日本の近くまで来ていた1530年代から、徳川三百年の天下泰平が始まり鎖国をしてしまうまでのだいたい一世紀におよぶ長い物語です。

信長でも家康でもなく「秀吉」こそ令和日本が求めるリーダーだ!

信長・秀吉・家康のうち、秀吉の人気は生きている頃から高く、江戸時代ですら、幕府も苦々しく思いつつも抑えられませんでした。ところが、現代では古い社会を「ぶっ壊した」改革者として信長が人気で、日本的経営者としての家康への評価も高くなっています。

昭和のベストセラーだった山岡荘八さんの『徳川家康』は、韓国でも『大望』というタイトルで翻訳され、獄中での朴槿恵前大統領の心の支えになっていたそうです。

反対に、秀吉は信長や家康より独創性に乏しいと見られたり、朝鮮出兵が影を落としたりして、肯定的に描くことすら許されない空気があります。

しかし、冷静に世界史的な視点から評価したら、秀吉こそナポレオンと同じく近代国家の礎をつくった功労者です。

ナポレオンの業績も、まったく独自と言えるものは少ないのです。ルイ王朝や革命家ロベスピエールの試みを引き継いだものがほとんどです。それでもナポレオンは、近代国家をトータルに設計し制度化したから偉大なのです。

2021年の5月5日は、ナポレオンがセントヘレナ島で亡くなって200年目でしたが、フランスのマクロン大統領は「ナポレオンの残した戦略、法律や建築物は、今も受け継がれている。ナポレオンは今も私たちの一部だ」と誉め称えました。

ナポレオン戦争にはふれませんでしたし、(海外領土での)奴隷制復活を人権思想への「裏切り」としつつも「現在の考えに添わないからといって、過去を抹殺しようとする動きには屈しない」と釘も刺しました。

秀吉の成し遂げた仕事は驚くほどナポレオンに似ています。「中世には地に墜ちていた朝廷の権威の回復」「東京や大阪を日本の中心的な都市として選び、京都や博多を大改造し各地の城下町を建設」「兵農分離と軍備の近代化」などすべて秀吉の功績です。

経済でも「度量衡の統一」「大判小判など通貨制度の確立」「太閤検地による税制改革」「商工業の振興」「鉱山開発」「貿易の拡大」など、めざましい成果をおさめました。さらには、絢爛豪華な桃山文化の大輪の花も咲かせたのです。

「鎖国をしていなかったら、18世紀に日本とイギリスはベンガル湾で雌雄を決していた」とおっしゃったのは、壮大な文明論を描いた民族学者の梅棹忠夫さんです。

秀吉が長生きするか、関ケ原で西軍が勝って豊臣の天下が続いたら、日本は明治を待たずに世界の大国となったでしょうし、西洋人による植民地支配も、阻止できたはずです。

もともと狩猟民族の満州族が中国を支配し、海洋民族のはずの日本人が鎖国してしまったので、世界の海は西洋人が支配することになったのです。

たしかに、家康も秀吉のつくった近世国家を大枠としては引き継ぎました。秀吉の時代に実現された技術発展や社会の近代化の成果が、東海地方出身の大名たちが全国の殿様となって各地に広まりました。あまり知られていないのですが、全国の殿様の三分の二は東海地方出身ですし、主な家臣たちも断然、愛知県人などが多いのです。

ただ、家康は秀吉の改革を引き継いだもののブレーキをかけました。東海道などわざと橋を架けず、関所も復活し、大きな船は建造を禁止し、後継者たちは鎖国までしました。

少し似ているのは、始皇帝の仕事を漢の劉邦がマイルドにして継続したことですが、劉邦の後継者たちは、時間をかけて大名たちを整理して始皇帝の改革路線に戻り、現代中国人に大人気の武帝(六代目)が、シルクロードを開いて大帝国を築いたところが違います。

平成年間の日本は、経済成長率が世界最低クラスでした。中国の8倍だったのに、今は三分の一以下という体たらくで、その差はコロナ禍への対応でまた拡大しました。

日本の躍進が止まったのが1970年代で、それは秀吉の人気が低下した時期と重なります。

このままだと日本は江戸時代の二の舞です。清国も終わりごろは明治の日本に比べてダメでしたが、前半は徳川日本の停滞を尻目に大躍進していたのです。

食料事情も、ジャガイモ・サツマイモ・トウモロコシ・トマト・ピーナッツなどが本格導入されたので、飢饉は1860年代の太平天国の乱までほとんどなく、人口は康熙帝の末年からの100年だけでも4倍になりました。

日本は天下泰平の時代ですが、人口はほぼ停滞し、頻繁に飢饉があり餓死者が続出しました。米のモノカルチャーを進めた江戸幕府の失政です。飢饉があったので人口が調整できたという人もいますが、薩長土肥など人口急増地域でこそ経済と社会の近代化が進んで発展し、人口減の地域では経済が崩壊していたのだからおかしな分析です。

今、日本は世界でもっとも停滞した国ですが、日本を近代化した秀吉の仕事が軽く見られていることと、この低迷は無関係ではありません。しかも近年、信長や家康については、いい伝記も文学作品も出ていますが、秀吉についてはあまりないので、楽しんで頂けるかと思います。

【お知らせ】
これまでウクライナ情勢についてアゴラでたびたび寄稿してきましたが、今週の26日火曜日14時30分から文京区シビックセンター(地下鉄後楽園か春日)のスカイホールで「ウクライナ常識10の嘘」というテーマで講演会を開きます。会費は2000円、学生無料。予約は要りません。なお、特別に安倍元首相暗殺事件についても、少し時間を割き、これまで話したことのない、安倍さんと個人的に話したことも紹介します。