音楽教室 vs JASRAC事件 最高裁の判断は?

城所 岩生

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2017年、JASRACは音楽教室での楽曲の演奏に対して、著作権使用料を徴収する方針を発表した。ヤマハなど音楽教室事業者(以下、「音楽事業者」)はJASRACに徴収権限はないと主張して訴え、一審の東京地裁では敗訴したが、2審の知財高裁では主張が一部認められた。最高裁は上告を受理するとともに9月末に口頭弁論を開くと発表した。

JASRACの使用料徴収方針に対しては、拙著「JASRACと著作権、これでいいのか  強硬路線に100万人が異議」のとおり、100万人が異議を唱えた。

JASRACは職員を主婦と名乗って音楽教室に2年間通わせ、裁判で証言させた(拙稿「音楽教室 対 JASRAC訴訟:潜入調査の職員と会長が注目の証言」参照)。この潜入調査をめぐっては調査員を主人公にした小説「ラブカは静かに弓を持つ」まで出版された。このように話題には事欠かない裁判であるだけに最高裁の判断が注目される。

地裁判決

著作権法は「著作者は、その著作物を公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として上演し、又は演奏する権利を専有する」と定めている(第22条)。このため、音楽教室での演奏が「公衆」に「直接聞かせることを目的」としての演奏に該当するのか、言い換えると、音楽教室での演奏における著作物の利用主体は誰なのかが問題となる。音楽事業者は、音楽教室では教師と生徒が練習のために演奏しているだけで、音楽事業者が演奏しているわけではないから使用料の支払い義務はないと主張した。

2020年、東京地裁は音楽教室における教師と生徒の演奏の主体は音楽事業者であるとする判決を下した。以下、拙稿「音楽教室 vs JASRAC事件判決文の4つの争点について」(以下、「地裁判決紹介」)から抜粋する(太字は判決文からの引用)。

原告らの音楽教室における音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、利用される著作物の選定方法、著作物の利用方法・態様、著作物の利用への関与の内容・程度、著作物の利用に必要な施設・設備の提供等の諸要素を考慮し、当該演奏の実現にとって枢要な行為がその管理・支配下において行われているか否かによって判断するのが相当である(クラブキャッツアイ事件最高裁判決、ロクラクII事件最高裁判決参照)。

クラブキャッツアイ事件最高裁判決はカラオケスナックでの客の歌唱もカラオケ店主による演奏であるとした1988年の判決。最高裁は、①客の歌唱を管理し、②営業上の利益増大を意図した、ことを条件に店主に責任を負わせた。その後、カラオケ法理とよばれ、インターネット関連の新規サービスを提供する事業者に広く適用されるようになった。

最高裁がカラオケ法理を再検討したのが、2011年のロクラクII事件判決。同時に判断したまねきTV事件判決とともに、知財高裁は事業者の責任を認めなかったため、カラオケ法理の呪縛から解かれる日も近いのではとの期待を抱かせたが、両事件とも最高裁は知財高裁判決を覆した。

地裁は演奏の実現に枢要な行為である課題曲の選定は、音楽事業者である原告らの作成したレパートリー集の中から選定されることから、原告らの管理・支配が及んでいるということができるとした。カラオケ法理を適用して演奏の主体は音楽事業者であるとしたわけである。

高裁判決

2021年、知財高裁は講師による演奏と生徒による演奏を分けて、講師による演奏の主体は音楽事業者であるが、生徒による演奏の主体は生徒であるとする判決を下した。

以下、拙稿「JASRAC訴訟、画期的判決で実質勝訴した音楽教室」(以下、「高裁判決紹介」)から抜粋する(太字は判決文からの引用、判決文中の「控訴人ら」は「音楽事業者」に置き換えた)。

音楽教室における生徒の演奏の本質は、あくまで教師に演奏を聞かせ、指導を受けること自体にあるというべきであり、音楽事業者による楽曲の選定、楽器、設備等の提供、設置は、個別の取り決めに基づく副次的な準備行為、環境整備にすぎず、教師が音楽事業者の管理支配下にあることの考慮事情の一つにはなるとしても音楽事業者の顧客たる生徒が音楽教室の管理支配下にあることを示すものではなく、いわんや生徒の演奏それ自体に対する直接な関与を示す事情とはいえない。(中略)。

以上によれば、生徒は、専ら自らの演奏技術等の向上のために任意かつ自主的に演奏を行っており、音楽事業者は、その演奏の対象、方法について一定の準備行為や環境整備をしているとはいえても、教授を受けるための演奏行為の本質からみて、生徒がした演奏を音楽事業者がした演奏とみることは困難といわざるを得ず、生徒がした演奏の主体は、生徒であるというべきである。

JASRACはカラオケ法理を適用すべきとも主張したが、知財高裁は以下のように退けた。

カラオケ店における客の歌唱においては、同店によるカラオケ室の設営やカラオケ設備の設置は、一般的な歌唱のための単なる準備行為は環境整備にとどまらず、カラオケ歌唱という行為の本質からみて、これなくしてはカラオケ店における歌唱自体が成り立ち得ないものであるから、本件とはその性質を大きく異にするものであるものというべきである。

地裁判決紹介高裁判決紹介のとおり、この裁判の争点は他にもあるが、最大の争点である演奏主体について、知財高裁は教師の演奏と生徒の演奏に二分し、教師の演奏については音楽事業者、生徒の演奏については生徒であるとして、音楽事業者は生徒の演奏については使用料支払い義務がないとした(下表参照)。

  教師の演奏 生徒の演奏
演奏主体 音楽事業者 生徒
音楽事業者の使用料支払い義務 あり なし

最高裁の行方

高裁判決は個人的にはなかなかうまい落しどころではないかという印象を持っているが、最高裁が上告を受理し、口頭弁論まで開く決定をしたため、上記のロクラクII事件同様、知財高裁判決を覆すのか気になるところである。筆者は地裁判決紹介を以下のように結んだ。

以上、カラオケスナックでの客の歌唱もカラオケ店主による演奏であるとした1988年のクラブキャッツアイ事件最高裁判決、ダンス教室での一人の受講者のみを対象とした音楽の再生も誰でも受講者になれるため公衆に対する演奏であるとした2004年の社交ダンス教室事件名古屋高裁判決、一人カラオケも聞かせるための演奏であるとした2009年のカラオケボックスビッグエコー事件東京高裁判決など昔の判決が、今の時代の社会通念に合っているかの疑問には答えず、これらの判例を踏襲する判決となった。

最高裁が高裁判決を覆し、地裁判決のように今の時代の社会通念から乖離した、昔の判決を踏襲するかは予断を許さない。