"歴史否定主義者" 玉田敦子氏が行った「noteへの削除要請」について

当方の着信時刻で12/17の18:05に、「運営事務局(note)」名義のアドレスからメールが届いた。

前回も触れたとおり、中部大学で歴史学を講じる玉田敦子教授が、私の記事を削除するようnoteに要請してきたので、それを取り次ぐ形である。

自分の不祥事は "歴史否定主義" する歴史学者たち: 令和人文主義を添えて|與那覇潤の論説Bistro
1997年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足して以来、平成を通じて "歴史修正主義" といえば絶対悪の代名詞だった。とりわけ学者の世界がそうで、ほとんど "人種差別主義" と同じくらい、存在自体が許されないものという感じだった。 とはいえ、まじめな研究の結果として歴史像が "修正" されることは常にある。それに...

noteはマメなサービスで、書いた記事に1つ「いいね」(スキ)が付くごとに、 [email protected] というアドレスからメールが届く。なので多くの人は、別のフォルダに分けてnoteからのメールを受けていると思う。

だが今回の「運営事務局(note)」は、それとは別のアドレスである。おかげで他のフォルダに回されず、受信後すぐに目にすることができた。事務局の心遣いに感謝したい。

都合の悪い事実が記された記事や投稿を、圧力をかけ削除させる “歴史否定主義” そのものの振る舞いが、ここ数年、恥ずべきことに大学教員の手で横行しているらしいことは、さまざまな事例で広く知られるようになった。

私の記事「北村紗衣という人」(2024年8月30日付)が、通報削除されました。|年間読書人
たぶん昨日(2024年9月13日)のことです。無論、私自身が「削除」したのではありません。 「管理者」からの事前通告もなく、いきなりの削除でした。 昨日のお昼すぎ頃、私自身の別の記事を見たら、当該記事「北村紗衣という人」へのリンク部分が、 『note この記事は閲覧できません』 となっていたのです。 (これが...

そうした場合、いかなるプロセスを経て事態が進行するのかについて、言論の自由を防衛するために知りたい人も、多いに違いない。なので、あくまで「今回の場合」という例示としてだが、私の体験を明らかにしておこう。

noteの運営からのメールは、「削除に応じるか否かについては、お客さまのご判断になります」と明記した上で、7日以内の返信を求めていた。もし著者が削除、ないし訂正(編集)する場合の、操作法の説明も添えてある。

削除要請が不当なものであり、応じられない場合はどうするか。

①「削除しません」とnoteに伝えた場合は、

請求者の方〔今回は玉田氏〕に、お客さまが削除に同意されなかった旨をお伝えさせていただきます。
弊社がこの段階で削除をすることはございません
請求者の方が納得されなかった場合、更に弊社またはお客さまに対して請求者から裁判上の請求等がなされる可能性はございます。

(強調は引用者)

との説明だった。つまり拒否の旨を回答すれば、noteの側で一方的に削除することはない模様だ。

一方、②期限内に回答しない場合は、

請求者の方に、お客さまからのご意思を伺えなかった旨をお伝えさせていただきます。
また、当該記事について弊社にて一時的に公開停止させていただく場合があります。

とあるので、(記事の内容次第なのだろうが)note側の判断で公開停止とされるリスクがある。

またメールには、「侵害情報の通知書兼送信防止措置に関する照会書」というタイトルのPDFファイルが付いている。書式から察するに、削除申請者が入力した内容を、noteの側で書類化して送っているものと思われる。

その書式だが、削除を要請する記事について、

・掲載されている場所
・掲載されている情報
・侵害されたとする権利
・権利が侵害されたとする理由

の記入欄がある。最後の理由の欄に「現在は削除して非公開としている事実誤認を内容とするSNSの投稿を私の了解なくわざわざ掲載して」云々とあるので、要するに玉田氏は、

事実誤認に基づくSNSでの発信(を通じた草津町長への中傷)をすることはしたが、もう消してるんだからそれでいいだろ。私が犯した事実誤認について、消した後に與那覇が記事を書いたのは不当だから、削除せよ」

と、言いたいらしい。つまり歴史学者でありながら、史料さえ消せば歴史を書く権利も消滅すると主張する、文字どおりの “歴史否定主義” の立場を唱えていることになる。

“歴史否定主義” に至る原風景
米国ホロコースト記念博物館のサイトより

もちろん、そんな要請には応じない

歴史学者の玉田敦子氏が抹消を目論む記事の中で、私は①彼女が事実誤認を撤回している件についてはきちんと紹介し、しかし②なぜ彼女の失態を記事の形でさらに追及する必要があるのか、はっきり書いているからだ。

なぜ令和の人文学者は、事実と "逆のこと" を平気で言うのか: 玉田敦子氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
なんども書いてるように、忙しいからもう関わりたくないのだが、定期的にネットで問題を起こす人文学者の集団がいる。一般には「オープンレターズ」の名で知られるのがそれだ。 で、ぼくはもう学者やめてるので、本来ならスルーして小説でも読んでたいのだが、学者どうしがカルテルのような庇いあいの連合を結び、問題を起こしても握りつぶ...

さすがにまずいと思ったのか、本人も翌日に撤回してはいる。が、それで済むほど、令和のネットは甘くない

なにせ玉田氏には、①鍵のかかった見えない場所で、②単なる価値判断としての悪口を言っていた学者を、③被害者に謝罪した後でも連名で糾弾した過去がある。で、その因果が返ってきた。

拙稿、2025.11.29
(強調も原文ママ)

後段はもちろん、2021年3月に歴史学者の呉座勇一氏が、鍵をかけ一般には非公開の場所で発した個人的な悪口を、何者かに持ち出されて炎上し、翌4月に玉田氏を含む1300名超の署名を添えて非難された、有名なオープンレター事件を指す。

オープンレター前史: それは「鍵をかけた」ことで始まった|與那覇潤の論説Bistro
昨日の記事に対しては、おそらく見えないところで(いや、公然とかな?)揶揄する人が出てくると思うので、あらかじめ釘を刺しておく。 2021年の3月に、鍵をかけたアカウント(フォロワーは4000人前後で、9万3000人の東野篤子氏よりだいぶ少ない)の内側での発言がきっかけで、大炎上を起こした学者がいる。私まで巻き込まれて...
まとめと論点整理:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑫
11月3日に始まった本連載も、12回を数えるに至った。内3回分は嶋理人氏による中傷、同じく3回分は北村紗衣氏の批判に応えるために執筆したもので、私自身が好んで延ばしたわけではないが、新たな読者に「全体を通読してほしい」とはお願いしに...

その(繰り返すが玉田氏自身が署名した)オープンレターの文面のうち、特に問題視されたのは、非難の対象である呉座氏と “今後仕事をするのはやめよう、学術界で村八分にしよう” と煽るかのような一節があったことだ。

この点については、2021年11月の以下の拙稿をはじめ、すでに多くの人が批判を寄せている。

「言い逃げ」的なネット文化を脱するために:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える②
そもそも呉座勇一氏の鍵付きアカウント(=彼が許可していない人には非公開)での発言内容が、最初に流出して問題になったのは2021年3月17日のことである。この日、呉座氏のアカウントのフォロワーではなかった英文学者の北村紗衣氏が、彼女を...

肩書を見るかぎり、〔署名者のうち〕おそらく最も多いのは大学教員ないし研究者で、次ぐのが出版などメディア関係者である。

レターの文面に「中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうる」との一節がある以上、文中で名指しされる呉座勇一氏と「もし同じ場所で仕事をするなら、これだけの数の同業者を潜在的に敵に回しかねませんよ」と喧伝する、示威行動だと解釈されてもやむを得まい。

拙稿、2021.11.4
(段落と強調箇所を変更)

さて、こうした行為を2021年4月に犯した歴史学者の玉田敦子氏が、なぜ根拠となる史料を添え実証的にファクトを紹介した私のnoteを削除し、歴史から抹消しようとするのか。

noteから届いたPDFのうち、「理由」の欄に記されていたのは、文字どおり驚きの説明だった。

私が今後、研究者として外部から評価されたり、研究費の申請や転職活動等、対外的な評価・審査を受ける際、かかる情報が否定的評価につながる実害を受けるおそれがあり、すみやかな削除と、今後、再掲載、転載等がされないことが必要な状況である。

客観的な事実を確認しよう。2021年4月に玉田氏自身が署名したオープンレターが出た後、そこで非難された呉座勇一氏は准教授への内定を撤回されて、助教の職を失った

訴訟を通じて雇用先との和解が成立し、助教として復職したのは23年11月、本来内定していた職階である准教授となったのは25年4月である。

呉座先生、日文研復職のお知らせ
2023年8月に大学共同利用機関法人人間文化研究機構との間で取り交わされた和解条項の合意に基づき、本年11月1日より、呉座勇一先生が国際日本文化研究センターに助教として復職される予定です。呉座先生が名実ともに、歴史学者としての再スタートを切られることに対し、支援していただいた皆様とともに、心より喜びを共有したいと思って...

それにもかかわらず、すでに中部大学教授である玉田敦子氏は、①公開の場で自身が行った事実誤認に基づく中傷について、②根拠となる史料を添えて批判する記事に対し、③転職活動に不都合だから削除せよと要求する。

控えめに言って「厚顔無恥」「盗人猛々しい」とは、こうした人に使う意見論評ではなかろうか。

もちろん本記事へのリンクを添えて、noteの事務局には「削除を拒否する」旨を回答する。アゴラにも転載を依頼する。またこの記事を見た多くの方に、以下のとおり拡散を呼びかけたい。

対抗言論 - Wikipedia

そもそも歴史学者の玉田敦子氏は、1万人超のフォロワーを持つXユーザーでもある(ヘッダー写真は、先月バズったツイート)。つまり、文筆を業とするとともに、オンラインの発信力にも十分に恵まれている人物だ。

そうした人が「言論には言論で」戦う、私の記事がおかしいと思うなら公開の場で筋道を立てて批判するのではなく、見えない場所で手を回し記事(に記された自身の過去)の抹消を図るのは、人文学者として正しいだろうか?

いつ、いかなる時代も、言論の自由は戦うことなしに守れない。近日起こった「人文主義」にまつわる炎上の中でも、そう指摘する声は、わずかだが確実に見られた。

人文学と人文主義の歴史|finalvent
また「令和人文主義」の話題か、もう十分だろうという声が聞こえてきそうですが、前回の話には決定的に欠けていた視点があり、これは一応中世研究者の自分としてはどうしても気になるので、追加的にまとめておきます。中心となるのは、この「人文学(Studia humanitatis)」と「人文主義(Humanitas)」という二つの...

歴史が教えてくれるのは、人文主義は決して優雅で高尚な教養主義などではなく、また優しい人間愛でもないという冷厳な事実です。

それは、十字軍という暴力の歴史から皮肉にも生まれ落ち、ルターという宗教的熱狂との対決の中で鍛え上げられ、渡辺一夫たちによって密かに受け継がれてきた、「神がかった狂気に対する人間理性のバリケード」なのです。

finalvent氏、2025.12.2
(誤字を改め、リンクを付与)

なぜ、「自分たちはケンカしない人文主義だ。だから感じがよく、メディアでウケるんだ」などという態度を、許すべきでないのか。

そうした姿勢で人文主義を名乗る者は、言論や学問の自由のための戦いを “他の人にやってもらって“、そのオイシイ成果だけをイタダく、単なる食い逃げ屋タダ乗り屋に過ぎないからだ。

「令和人文主義」はなぜ炎上したのか: 日本でも反転した "キャンセル" の潮流|與那覇潤の論説Bistro
アツい! いま、令和人文主義がアツい。 …といっても、まともに働く会社員の人はわからないと思うが、先月末から令和人文主義なる概念が、「そんなの要らねぇ!」という悪い意味で大バズりしてるのだ。いわゆる炎上で、その熱気が地獄の業火のようにアツい。 たとえばYahoo!の機能でXを解析してもらうと、「令和人文主義」の印象...
やはり、令和人文主義の正体は "キャンセルカルチャー2.0" だった。|與那覇潤の論説Bistro
まるで80年前の日本のような焼け野原に終わった「令和人文主義」の炎上だったが、"戦争の反省" と同様、追及を中途半端にしてはならない。そこにはこの数年間の、人文学をダメにした潮流が詰まっているからだ。 第一にコロナ以降の混乱では、「人文学は高尚な趣味なんで」と世の中に何も言わないくせに、平時に戻り自分の本が売れるや、...

その人の分野が、歴史学かはどうでもいい。活躍を始めた時代が令和かどうかも、関係ない。

人文学や人文主義に基づく発信をふだん、誇っている識者を見たら、ぜひこの記事をリンクを送って、どう思うかを訊いてほしい。端的には、人文学者として正しいのはどちらの態度か、しっかり意思を表明させてほしい。

もちろん、歴史学者の玉田敦子氏の方が「正しい」と言う人も、居てかまわない。期待と異なる返答だからといって、集団の力で “キャンセル” するようなことは、あってはならない。

その人が、言論の自由を守る戦いに敬意を持つ側であるのか、そうでなく逆に回る側であるのか。単に、それだけをはっきりさせれば、あとは歴史が判断することである。

他人を叩くための "正義" は、いかにしてニセモノになるのか|與那覇潤の論説Bistro
日本でも四季が消えたかのように、夏から冬への転換が急になっている。この夏の異常な暑さが尾を引き、9月末くらいまではふつうにTシャツで出歩いていたのが、嘘のようだ。 その猛暑の下、稀に見るアツい参院選も7月にはあったが、近年メディアを挙げて「うおおおお!」してたはずの気候変動や脱炭素化は、なんの争点にもならなかった(苦...

ホンモノの人文学は、自由を愛する声が連なり、歴史を作ってゆくことを信じる。ニセモノはそれに怯え、”歴史否定主義” の手法を用いて、不都合な自由は平然と抑圧し捨てる。

彼や彼女は、ホンモノか、ニセモノか?

それを明らかにする指標となるほかに、歴史学者の玉田敦子氏による削除の申請が、歴史にも人文知にも貢献できる道は、ないことを確信する。

いま人文知の現場はどこにあるのか? 「2020年代の時代精神」を模索する一日。 - LOFT PROJECT
第一部(14:00~16:00) 「人文知のユーザー:いつ/どこで人文知は求められるのか? 知が『使われる』瞬間を探る」 登壇者:工藤郁子、中路隼輔、三宅香帆、山本ぽてと、朱喜哲(モデレーター) 概要:人文知を「受け取り

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。