若者、女子枠に「納得できない」6割超、納得3割を大幅に上回る

8〜29歳の6割超が理工系大学入試の「女子枠」について「納得できない」と回答し、「納得できる」の3割を大きく上回っていることが朝日新聞の世論調査によって明らかになった。「納得できない」が「納得できる」の倍という結果である。

全世代で見ても「納得できない」49%が「納得できる」43%を上回ったが、年齢層別に見ると差は一段と大きい。50代以下では一貫して反対が賛成を上回り、18歳〜29歳の63%、30代59%、40代60%、50代56%が「納得できない」と答えている。反対に70歳以上では「納得できる」53%、「納得できない」38%と評価が逆転する。年齢が下がるほど女子枠への反対が強まる。

「若者は保守的で、年配者ほどリベラル」というイメージとは正反対の結果である。なぜ、これから受験を控える、あるいは受験を終えたばかりの世代こそが、女子枠に最も厳しいのか。

1つの説明は、若い世代ほど平等の価値観を深く内面化している、というものだろう。いまの若者は、幼いころから「性別で人を区別してはならない」という人権意識を当然の前提として教育を受けてきた。生まれ持った属性である性別によって合否が左右される仕組みは、その感覚に正面から反する。機会の平等を当たり前のものとして身に付けた世代にとって、属性に基づく選別は、古い差別の再来に映ると考えられる。

この直感は、専門的な議論とも符合する。学説上、女子枠のようなクォータは憲法14条が禁じる性差別に当たるとして違憲説が有力であり、通説と評する向きもある。さらに、日本が長年参考としてきた欧米先進国では、入試におけるクォータは半世紀以上前から「違法な性差別」として禁止されてきた。米国では1978年の連邦最高裁判決以降、枠は違法な差別として禁止されてきた。欧州諸国においても、多くの国で女子枠は違法な性差別として禁止されている。

人権問題として注目を集める女子枠問題だが、朝日新聞の調査によって、多くの市民が納得していない実態が改めて明らかになった。

国内外の学術・人権団体からの批判も強まる中、大学当局の対応が注目される。

【参考文献】
・朝日新聞5月3日朝刊7面「朝日新聞社世論調査 質問と回答」

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コメント

  1. 早川蒼真 より:

    朝日新聞の調査には、結果の数字以前に、設問設計そのものに深刻な弱点があると感じます。
    最大の問題は、「女子枠」という言葉だけを投げかけ、それが日本の大学で実際にどう運用されているのかをほとんど説明しないまま賛否を集計し、その数字を「市民が納得していない実態」として提示している点です。

    これがどれほど危ういかは、例を想像すれば分かります。
    『恐怖の四季』に収録された「死体」という中編について、タイトルだけを見せて「あなたはこの『死体』という話を読みたいですか」と尋ねたとしましょう。
    大半の人は「不気味そうだ、読みたくない」と答えるはずです。
    タイトルの語感だけで聞くのと、中身を踏まえて聞くのとでは、得られる回答の意味がまったく違う。
    今回の女子枠アンケートも、これと同じ構造的欠陥を抱えています。

    そもそも一口に「女子枠」と言っても、その中身は大学ごとに千差万別です。

    – 一般選抜の点数を単純に下げて女子だけを合格させる方式なのか
    – 総合型選抜・学校推薦型選抜の一部として、書類・面接・活動実績・共通テストの基準などを組み合わせた方式なのか
    – 募集定員の何%を占めるのか。既存定員の内数で男子の席を削るのか、定員増を伴う外数なのか
    – 基礎学力の最低ラインは設けられているのか

    実際、理工系の女子枠の多くは総合型・学校推薦型として導入され、基礎学力の確認や面接、書類審査を伴います。
    大学によっては共通テスト等で一定の学力を確認する。
    「女子だから無条件で合格」という単純な話ではないのです。
    この実態を踏まえなければ、「納得できる/できない」の二択に意味ある回答などできるはずがありません。

    これは経済政策のアンケートが抱える問題とまったく同じです。
    「財政出動に賛成ですか、反対ですか」とだけ聞かれても、まともな専門家ほど「条件次第で答えようがない」と困惑するでしょう。
    選挙前の現金給付のようなバラマキなのか、半導体・防衛・エネルギー・研究開発・人材育成への先行投資なのか。
    金額・期間・財源・供給力への効果が示されなければ、返ってくる賛否は印象論にしかなりません。
    情報科学には「Garbage in, Garbage out(ゴミを入れれば、ゴミが出てくる)」という格言がありますが、質の高いインプットを欠いた設問から得られるアウトプットの価値は、まさにそれと同じです。

    この記事は、さらに踏み込んだ点でも前提を単純化しています。
    「米国では枠は違法な差別として禁止されてきた」と書きますが、アメリカの判例は「枠は一律禁止」と一言で片づけられるほど平坦ではありません。
    属性をどう考慮できるか/できないかをめぐって、判例は長い変遷と幅を持っています。
    賛否どちらの立場に立つにせよ、その議論の幅を切り捨てて「もう結論は出ている」かのように書くことは、それ自体が前提の過度な単純化に加担していると言わざるを得ません。

    念のため申し添えれば、私は女子枠を全面的に擁護したいわけではありません。
    運用次第では問題のある方式も実在するでしょうし、入学後の成績や留年率に差があるのか、理工系で女子が極端に少ない現状が本人の自由な選択の結果なのか、それとも進路指導・家庭環境・ロールモデルの不足によって事前に選択肢が狭められた結果なのか——そこまで掘り下げて初めて、制度の良し悪しを論じられるはずです。
    賛成するにも反対するにも、出発点は「いま、日本でどう運用されているのか」という事実であるべきです。

    本当に価値ある調査は、多大な手間暇を要します。
    制度の実態を調べ、複数の運用例を示し、メリットとデメリットを整理し、回答者が最低限の前提を理解したうえで判断できるよう設計しなければならない。
    逆に、言葉の響きだけで賛否を問うアンケートは紙面を埋めるには便利でも、政策判断の土台としては脆弱です。
    最も恐ろしいのは、その脆弱な調査が「これが民意だ」という顔をして大学運営や政策決定を左右してしまうことです。
    よく考えられていない反応の集積が、社会の総意であるかのように扱われ、現場を動かしていく——本末転倒もいいところです。

    メディアが本来果たすべき役割は、知的怠慢から生まれた無価値な数字を垂れ流すことではなく、制度の複雑な運用実態や背景を丁寧に解説し、人々に「考えるための材料」を提供することのはずです。
    女子枠を論じるなら、感情的な賛否や言葉のイメージではなく、現実の制度設計そのものを議論の対象にすべきです。
    面倒でも、その手間を抜きにした「世論」に振り回されてはなりません。

    ちなみに冒頭で触れた『恐怖の四季』所収の「死体」は、映画『スタンドバイミー』の原作です。
    タイトルの印象と中身が、これほどまでに違うのです。