診療報酬では守れない面会の権利:面会制限を追った私たちのBMJ共著論考

7月17日、医師の岩井一也氏が、アゴラに「面会は『権利』である:英BMJ掲載論考が問う日本の面会制限の構造的欠陥」を寄稿した。

面会は「権利」である:英BMJ掲載論考が問う日本の面会制限の構造的欠陥
アゴラにたびたび寄稿している九条丈二氏、「コロナ後の医療・福祉・社会を考える会」共同代表である私、そして精神科医の高木俊介の3名による、日本で続けられている面会制限に関する論考が、英国の医学専門誌BMJの医療倫理ブログに掲載されました(日本...

岩井氏と精神科医の高木俊介氏、そして独立研究者である私の3人で執筆した論考が、英国BMJグループのJournal of Medical Ethics Blogに掲載されたことを受けた記事である。

A right that exists only as a billing rule is not yet a right

A right that exists only as a billing rule is not yet a right - Journal of Medical Ethics blog
By George Kujo, Kazuya Iwai and Shunsuke Takagi Suppose a hospital lets you sit with your dying mother only because, if ...

※ 日本語訳はこちら

岩井氏は、2026年度診療報酬改定によって面会制限に一定の歯止めがかかった一方、患者は依然として「権利の主体」になっていないと指摘した。

面会を認めなければ病院の診療報酬が減る。それは前進ではある。しかし、「報酬を失うから面会させる」ことと、「患者には大切な人と会う権利があるから面会を保障する」ことは、似ているようで根本的に異なる。

では、この共著論考はどのように生まれたのか。

出発点は、医師でも医療機関でもなかった。私が一人で、病院の面会制限と、コロナ陽性妊婦に対する一律的な帝王切開の問題を追い始めたことである。

一人で始めた「病院という聖域」の検証

私はアゴラで「病院という聖域」シリーズを書き始めた。最初に問うたのは、コロナの緊急期が終わった後も、なぜ病院だけが家族を排除し続けているのか、という素朴な疑問だった。

面会は15分、家族2人まで、子どもは禁止、県外者は不可。病院によっては全面禁止が続く一方、有料個室では比較的自由に面会できる。職員や業者は毎日出入りしているのに、患者にとって最も重要な家族だけが制限される。

感染対策という言葉を付ければ、どの程度の制限でも正当化される。いつ解除するのか、誰が判断したのか、どのデータに基づいたのかを病院が説明する仕組みもない。

同時に私は、コロナ陽性や濃厚接触を理由として、本人の希望や個別の医学的状況とは別に帝王切開が選択されてきた問題も調べていた。

病院という聖域⑧:コロナ禍の帝王切開は医学的理由だったのか
(前回:病院という聖域⑦:診療報酬政治の構造社会——保険料上昇「悪夢のスパイラル」)コロナ禍での出産には、ほとんど議論されていない問題がある。感染妊婦に対して帝王切開が広く行われたことである。当時の医療現場では、それは当然の対応と考えられて...

面会制限と帝王切開は、一見すると別の問題である。しかし、根は同じだった。

病院が「感染対策」を理由に患者の自由や身体への介入を決め、患者側には異議を申し立てる制度がない。医療者側の安全や業務上の都合は可視化されるが、患者や家族が失う時間、出産経験、親子関係、尊厳はコストとして計上されない。

日本の制度は、患者の我慢で成立していた。

アゴラの記事からJME論文へ

アゴラで問題を提起するだけでは、病院側はほとんど動かなかった。

そこで私は、日本の面会制限を医療倫理の枠組みで整理し、単著論文としてJournal of Medical Ethicsに投稿した。

病院という聖域(特別編): 国際医療倫理誌が指摘する日本の面会制限とリベラリズム不在
日本の病院の面会制限を分析した論文が、医療倫理の国際専門誌『Journal of Medical Ethics(JME)』に掲載された。日本国内ではほとんど議論されなかった問題が、国際医療倫理誌で検討された形になる。Visitor rest...

論文では、緊急措置が緊急期の終了後も惰性的に残る「予防の惰性」、権利制限に必要な比例原則、家族との関係の中で患者の意思決定を捉える「関係的自律性」、そして制限に終了条件を設けるサンセット条項の必要性を論じた。

この論文は2026年3月に掲載された。日本国内ではほとんど検証されてこなかった問題が、国際医療倫理誌では論じる価値のある問題として扱われた。

Visitor restrictions beyond the emergency phase: lessons from Japan for proportionality and sunset mechanisms

Just a moment...

この掲載をきっかけに、「コロナ後の医療・福祉・社会を考える会」の共同代表を務める、岩井一也氏、高木俊介氏との連携が始まった。

岩井一也氏、高木俊介氏は医師としての立場から面会制限を問題視し、「コロナ後の医療・福祉・社会を考える会」を立ち上げており、情報発信と、大学病院・日本赤十字病院における面会制限の実態を調べ続けてきた。

Notion | Where teams and agents work together
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岩井氏は感染対策の専門的知見と病院実務の視点を持つ。高木氏は精神科医として、患者を家族や社会との関係から切り離すことの意味を知る。私は、生活者の側から病院の公表資料、制度、診療報酬、個別事例を追ってきた。

医師だけでも、非医師だけでも見えにくかった問題を、異なる立場から検証する体制ができたのである。

厚労省は面会制限の終了へ舵を切った

その後、厚生労働省は2026年度診療報酬改定で、面会制限の常態化を終わらせる方向へ舵を切った。

入退院支援加算の施設基準には、「感染対策等の正当な理由なく、家族等による面会を妨げてはならない」と明記された。やむを得ず制限する場合も、必要以上に厳格にしてはならず、面会規定を策定して定期的に見直し、患者や家族に周知することが求められた。

パンデミック後も続く病院の面会制限:診療報酬で是正へ、問われる正当理由
令和8年度の診療報酬改定の全容が明らかになった。その中で面会制限について新たな動きがあった。この厚労省の説明資料によると、「正当な理由なく面会制限を行う」と病院の収入が減額されることを意味する。疑義解釈資料では、正当な理由の一例として「新型...

私は施行前、病院が整備すべき面会方針や内部規程のテンプレートまで作り、アゴラで公開した。制度が変わり、実務上の処方箋も示された。これで病院も変わると思いたかった。

しかし、現実はそうならなかった。

病院という聖域(番外編):面会制限緩和に悩む病院への処方箋(テンプレ付)
令和8年度診療報酬改定で、入院基本料等の通則および入退院支援加算1〜3の施設基準に、面会制限に関する新規定が盛り込まれた。施行日は2026年6月1日。残された時間はもう1か月を切っている。しかし筆者の見るところ、多くの病院がこの改定の意味す...

6月1日になっても、病院は変わらなかった

診療報酬改定が施行された2026年6月1日、日本赤十字社医療センターは、麻しんを理由として一部病棟で未就学児の面会を新たに禁止した。しかも「当面の間」とされ、見直し日も終了条件も示されなかった。

病院という聖域(番外編):厚労省は日赤に舐められているのか
6月1日、令和8年度診療報酬改定が施行された。今回の改定で厚生労働省は、入院患者への家族等の面会について、感染対策等の正当な理由なく妨げてはならないという方向を診療報酬上に明記した。面会は患者の療養生活の質や尊厳の保持だけでなく、円滑な退院...

一方、同じ東京都内で母子医療を担う愛育病院は、その約10日前、麻しん報告数の減少を理由に制限を解除していた。

同じ地域、同じ感染症、近接した時期で、一方は解除し、一方は開始する。

病院ごとに判断が異なること自体が問題なのではない。感染対策上、医療機関の事情が異なることはある。

問題は、患者側が「なぜ必要なのか」「いつ見直すのか」「何を満たせば解除するのか」と質問し、第三者に検証を求める制度がないことだった。

診療報酬改定は病院に文書を作らせることはできる。しかし、患者に権利を与えるものではなかった。

制度改正だけでは足りない。その限界を国際的な医療倫理の議論として整理する必要があった。そこで私たち3人は、Journal of Medical Ethics Blogに共著論考を送った。

高木俊介医師——人が人と会うことの意味

もう一人の共著者である高木氏は、本稿に寄せたコメントで、精神科医の立場から、面会が患者の心身や人とのつながりに持つ意味を次のように述べている。

人間はいついかなる場合でも、個人の属するコミュニティーから切り離されて生きているわけではない。たとえ現実には郷里を離れて一人暮らす時にも、人は心の中に多くの親しい人々の表象を持ちながら、新たな現実的対人交流を身の回りに築こうとする。入院という非日常に投げ込まれる時、ほとんどの場合、それは自らの心身にとって緊急事態であり、その脅威と不安に苛まれながら、自らを医療者という見知らぬ他者に委ねなければならない。

病の中での孤立は、様々な心身の変調をもたらす。激しい不安、不眠、悲哀、絶望、抑うつは誰でも想像の及ぶところであろう。猜疑心は人を被害妄想的にするし、治療への拒否も生み、良好な患者治療者関係を破壊しうる。手術後に意識レベルが戻らず幻覚や妄想を伴って興奮状態をきたすせん妄は、孤立状態がもたらす重篤な精神症状であることも周知のことである。

このような時に回復への意志と希望を絶やさずにいるためには、家族や親しい人々との交流は不可欠である。それは回復のための環境を整えるという治療行為の一環であるとともに、患者の健康権、その家族や知人も含めた人々の幸福権という重要な権利である。そして、病院全体の感染対策という他者の健康権、幸福権を守ることとの間の、慎重で十分な比較衡量を要するのである。

面会は単なる慰めや便宜ではなく、孤立を防ぎ、治療関係と回復を支える環境の一部である。高木氏の指摘は、面会を患者と家族の権利として捉える今回の共著論考の問題意識につながる。

診療報酬上の権利は、まだ権利ではない

7月13日、私たちの共著論考「A right that exists only as a billing rule is not yet a right」がJournal of Medical Ethics Blogに掲載された。

日本語にすれば、「診療報酬上にしか存在しない権利は、まだ権利ではない」である。

新制度では、病院が面会規定を作り、定期的に見直すことになった。だが、患者には面会する権利が明示されていない。

病院が制限理由を患者に説明する義務も、見直し日や終了条件を示す義務も、患者が異議を申し立てる手続きもない。

患者が不合理な制限を受けても、残された手段は事後の民事訴訟に近い。しかし、入院中の患者や、今まさに最期を迎えようとしている家族にとって、数年後の判決にはほとんど意味がない。

失われた面会時間は戻らない。

岩井氏はアゴラ記事で、日本の制度には「誰が申し立てられるか」「誰が正当化責任を負うか」「訴訟前にどのような救済があるか」という3点が欠けていると整理した。

患者が申し立て、病院が必要性を説明し、第三者が調査して是正する。この最低限の構造が、日本にはない。

一人の違和感を制度の言葉に変える

私は医師ではない。

面会制限の問題を追い始めた当初、医療界に協力者がいたわけでも、研究機関に所属していたわけでもない。

病院のウェブサイトを読み、公表資料を集め、診療報酬を調べ、病院ごとの違いを比較した。患者や家族が「おかしい」と感じながら、声を上げられない構造を言葉にした。

その問題提起がアゴラの記事になり、JMEの単著論文になり、2人の医師との連携につながり、BMJグループの医療倫理ブログに掲載された。

これは個人の成功物語ではない。

本来問われるべきなのは、なぜ患者の権利を守るために、独立研究者が病院の規則を一つずつ調べ、海外の医療倫理誌まで問題を持ち込まなければならなかったのか、である。

日本では、病院は長く聖域だった。

しかし、病院の中にいる患者は、病院の所有物ではない。

面会は病院が善意で許可するサービスではなく、患者が人間として生きるための権利である。

診療報酬改定で壁にはひびが入った。次に必要なのは、患者が自ら異議を申し立てられる制度と、病院側に制限の正当化責任を負わせる患者権利法である。

「病院という聖域」の検証は、BMJ掲載で終わらない。

海外で言葉にした患者の権利を、日本の病院の中に取り戻すまで続く。

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