病院という聖域⑧:コロナ禍の帝王切開は医学的理由だったのか

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(前回:病院という聖域⑦:診療報酬政治の構造社会——保険料上昇「悪夢のスパイラル」

コロナ禍での出産には、ほとんど議論されていない問題がある。感染妊婦に対して帝王切開が広く行われたことである。

当時の医療現場では、それは当然の対応と考えられていた。「感染対策のためには仕方がない」——多くの人がそう理解していたはずだ。しかし今振り返ると、一つの疑問が残る。感染対策は、どこまで患者の身体への介入を正当化できるのだろうか。

帝王切開率の変化

筑波大学の研究によれば、日本の帝王切開率はCOVID-19流行前(2018年4月〜2019年12月)の20.27%から、流行期(2020年1月〜2022年10月)には21.19%へと上昇した。第6波では22.14%に達している。

差は約1ポイントにすぎない。しかし当時の日本では年間およそ80万件の出産があった。人口動態統計から単純に計算すれば、この差は年間7000件以上の帝王切開増加に相当する。パンデミックが数年続いたことを考えれば、数万人規模の出産が影響を受けた可能性がある。

もちろん帝王切開率はコロナ以前から増加傾向にあり、この変化のすべてを感染対策の影響と断定することはできない。それでもパンデミック期の医療体制が出産方法に影響を与えた可能性は否定できない。

筑波大学「日本におけるCOVID-19流行に伴う帝王切開の割合の変化」2025/7/23

日本におけるCOVID-19流行に伴う帝王切開の割合の変化 | 医療・健康 - TSUKUBA JOURNAL
日本における帝王切開の割合が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行中(2020年1月~22年10月)は21.19%となり、流行前の20.27%から約1ポイント増えたことが明らかになりました。COVID-19流行に伴って、感染制御な...

国際ガイドラインと日本の指針

国際的な産科ガイドラインは一貫している。世界保健機関(WHO)、英国王立産婦人科医会(RCOG)、米国産婦人科学会(ACOG)はいずれも「COVID-19感染それ自体は帝王切開の適応ではない」と明言している。出産方法は母体の状態、胎児の状態、通常の産科適応によって判断されるべきとされている。

一方、日本では異なる動きがあった。日本産科婦人科学会、日本産婦人科医会、日本産婦人科感染症学会の3学会合同指針には、分娩時間の短縮や感染制御を目的として帝王切開が行われることがある旨の記載があった。筑波大学の論文もこの点を明示している。国際基準との乖離がそこに生じていた。

医療現場がこの国内指針を参照しながら対応したことは理解できる。しかし、感染管理という目的で外科手術を選択することが患者の自己決定の観点からどこまで正当化されるのか、当時十分に議論されたとは言いがたい。

英国との対比

英国ではパンデミック期、むしろ別の議論が起きた。それは母体希望帝王切開(maternal request caesarean section)を制限してよいのかという問題である。つまり英国では、患者が希望する手術を守るべきかが議論された。

日本では逆に、患者が望まない可能性のある手術が制度的に増えた可能性がある。この対比は、パンデミックが医療制度にどのような影響を与えたかを象徴している。

日本赤十字病院の記事

当時の医療現場の状況は、日本赤十字社の公式サイトの記事にも表れている。そこでは感染妊婦に対して帝王切開で分娩対応した事例が紹介されている。記事は感染対策の困難さや医療スタッフの努力を強調する内容であり、現場の献身には確かに敬意を払うべきだろう。

しかしこの記事には一つの特徴がある。帝王切開という外科手術が、患者の選択というより医療体制の問題として語られているのである。記事では手術の理由として医療スタッフの感染リスク、分娩時の感染管理、医療体制といった要素が説明されている。これらは医学的適応というより、医療運用上の制約である。

日本赤十字社:赤十字NEWS 2022年4月号『コロナ禍で生まれる命を守る』

コロナ禍で生まれる命を守る|赤十字NEWSオンライン版|広報ツール・出版物|赤十字について|日本赤十字社

病院掲示に見える制度

当時、複数の病院のホームページでも同様の方針が掲示されていた。「感染妊婦は帝王切開で分娩する」、さらには「濃厚接触者も帝王切開で対応する」といった方針が示されていた。現在では削除されている例も多いが、インターネットアーカイブで複数の医療機関において当時の掲示内容を確認することができる。

※ 2022年前後、複数の病院ホームページに掲示(現在は多くが削除済み)

ここで重要なのは、これらの方針が必ずしも個別の医学的適応ではなく、感染管理体制という制度上の理由から設定されていたことである。そもそも「濃厚接触者」まで帝王切開の対象に含めることに、医学的適応があると断言できる医師はどれほどいるのだろうか。

つまり医学的必要ではなく、医療体制の制約が出産方法を左右した可能性がある。

帝王切開は本当に医療的判断なのか

パンデミック医療を描いた映画「フロントライン」では、災害医療チームDMATがダイヤモンド・プリンセス号の現場で直面した倫理的葛藤が描かれている。限られた資源の中で誰を優先するのか。感染リスクを抱えながら患者をどう守るのか。そこでは医療者が人道と現実の狭間で苦悩しながらも人道を優先する姿が描かれている。

しかしコロナ禍の産科医療を振り返ると、そこには別の風景が見える。感染対策の名のもとに帝王切開という身体侵襲が広く選択された。その理由は必ずしも医学的必要ではなく、医療体制や感染管理の都合であることも少なくなかった。

災害医療の現場では人道的判断が強く意識される一方で、通常医療の制度の中では、患者の身体への介入が制度の論理として淡々と実行される。この対比は、日本の医療が抱える構造的な問題を示しているのかもしれない。こうして制度と社会の空気が身体侵襲を正当化したのである。

不必要な帝王切開を避けた病院

しかし、日本でも異なる対応を取った医療機関が存在した。大阪府のりんくう総合医療センター※)である。同センターは感染症医療を担う基幹病院として、コロナ禍でも感染妊婦の経膣分娩を原則維持した。

※)りんくう総合医療センター(大阪府泉佐野市)は、漫画『コウノドリ』の主人公・鴻鳥サクラのモデルとなった産科医・荻田和秀部長が勤務する病院である。

院内資料によれば、2020年以降130例以上の感染妊婦を受け入れてきた。同センターが大阪府下の医療機関と経験を共有したことで、大阪府下全体では感染妊婦の約3分の2が経膣分娩を行うまでになったと報告されている。さらに、この対応による院内感染クラスターは大阪府下で1件も発生していないと報告されている。

もちろん個別施設の経験だけで全国の状況を判断することはできない。しかし、この事例は少なくとも一つの事実を示している。感染妊婦の出産が必ずしも帝王切開である必要はなかった可能性である。もしそうであるなら、問題は医学的必然ではなく、医療体制や制度の判断にあったことになる。

選択肢を奪う日本の医療構造

もし出産方法が医学的判断ではなく制度の論理で決まるとすれば、それは患者の身体の自己決定に関わる問題である。

見落としてはならないのが、医療制度そのものが持つ構造的な特性である。帝王切開は予定手術として日時を設定できるため、夜間や休日の緊急対応を回避しやすいという運用上の利点がある。また、帝王切開は入院期間が経膣分娩より長くなる傾向があり、その分の入院収益が施設に生じる。

一方で正常分娩は保険適用外の自費診療であり、施設ごとに価格を設定できるという別の構造もある。いずれにせよ、医療制度が特定の選択を取りやすくする構造を持っていることは否定できない。

パンデミックのような緊急事態では、感染対策、医療体制、そして制度上の慣性が重なり合い、手術という選択がより合理的に見える状況が生まれる。その結果、本来は個別の医学的判断であるはずの出産方法が、制度と運用の論理によって決まってしまう可能性がある。

パンデミックの検証とリベラリズム

パンデミックの検証とは、感染対策を否定することではない。むしろ、緊急時でも患者の自己決定をどう守るかを考えることにある。

欧米では出産の自己決定権は重要なリベラル課題として議論されてきた。しかし日本では、コロナ禍における帝王切開方針や分娩制限など、妊婦の選択を狭める措置に対して、リベラルやフェミニズムから強い問題提起がなされることはほとんどなかった。

感染対策の名の下では、身体の自己決定さえも容易に後景に退いてしまう。このこと自体が、日本の医療と社会の構造を示しているのかもしれない。

【次回予告】
パンデミック期の医療を振り返ると、もう一つの問題も見えてくる。それはPCR検査を中心とした医療体制の変化である。

検査が事実上の「診療」となり、陰性証明が社会の通行証のように扱われた。その一方で、発熱患者の診療を断る医療機関が相次ぎ、救急搬送の困難も各地で報告された。検査、発熱拒否、マスク、搬送困難——。感染対策の名のもとで、医療アクセスそのものが揺らいだのである。

PCR万能論のもとで医療はどのように機能不全に陥ったのか。この問題については、次回あらためて考えてみたい。

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