病院という聖域(特別編): 国際医療倫理誌が指摘する日本の面会制限とリベラリズム不在

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日本の病院の面会制限を分析した論文が、医療倫理の国際専門誌『Journal of Medical Ethics(JME)』に掲載された。

日本国内ではほとんど議論されなかった問題が、国際医療倫理誌で検討された形になる。

Visitor restrictions beyond the emergency phase: lessons from Japan for proportionality and sunset mechanisms

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日本語にすれば「緊急期を超えて続いた面会制限:比例原則とサンセット条項に関する日本からの教訓」である。

論文の問いはシンプルだ。

なぜ日本の病院では、コロナの緊急期が終わった後も面会制限が続いたのか。

この問題は、筆者がこれまでアゴラで提起してきたテーマでもある。

拙稿「病院という聖域①:面会制限が守るものは、命か、それとも特権か」では、日本の医療機関における面会制限の不合理さを論じてきた。

今回の論文は、そうした問題を医療倫理の枠組みで整理したものと言える。

 面会制限は本来「緊急措置」だった

2020年のパンデミック初期、多くの病院で面会禁止措置が導入された。

未知の感染症への対応として厳しい感染対策が取られたこと自体は理解できる。問題はその後である。

2023年5月、日本ではCOVID-19が感染症法上の「5類」に移行した。社会全体では行動制限がほぼ解除された。しかし多くの病院では、家族の面会制限が長期間続いた。

例えば、

  • 面会は15分以内
  • 家族2名まで
  • 県外者は不可

といった制限が、明確な説明もないまま維持されていた。なお、2026年現在でも面会禁止を維持している病院や介護施設は少なくない。

一方で医療スタッフや業者は日常的に出入りしていた。また、有料個室では面会が比較的自由に認められるケースもあった。

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こうした状況を見れば、自然に次の疑問が生じる。

なぜ家族だけが排除されたのか。

論文が指摘する三つの倫理問題

論文は、日本の面会制限を医療倫理の観点から分析し、三つの問題を指摘している。

第一に、比例原則。

倫理学や法学では、権利制限には比例原則が求められる。

制限の強さは目的に見合っていなければならない。

パンデミック初期には厳しい面会制限も合理的だったかもしれない。しかし感染状況が改善した後も同じ措置を続けるなら、それは比例性を欠く可能性がある。

同じ政策でも、状況が変われば正当性は変わるのである。

第二に、関係的自律性。

医療倫理では患者の自律性が重視される。

しかし実際の意思決定は家族との関係の中で行われる。これを関係的自律性(relational autonomy)という。

面会禁止は患者を家族から切り離す。

その結果、患者の意思決定そのものを弱めてしまう可能性がある。

とくに終末期医療では、この影響は小さくない。

第三に、公平性。

日本では面会制限の内容が病院ごとに大きく異なっていた。

ある病院では全面禁止、別の病院では通常面会。さらに、有料個室では面会が緩和される場合もあった。

このようなばらつきは、倫理的に見れば公平性の問題を生む。

患者の基本的な権利が、施設ごとの裁量に委ねられていたのである。

サンセット条項という視点

論文が特に強調するのがサンセット条項(sunset clause)である。これは緊急措置にあらかじめ終了条件を設定する制度である。

例えば、

  • 一定期間ごとに継続の必要性を再評価する
  • 感染状況が改善すれば自動的に解除する

といった仕組みだ。

日本の病院の面会制限には、このような制度設計がほとんど存在しなかった。

その結果、緊急措置が惰性的に続く「予防の惰性(precaution drift)」が生じた可能性がある。

「病院という聖域」

筆者がこれまで指摘してきた「病院という聖域」という問題はここにある。

社会では解除された制限が、病院では長く続いた。しかもその合理性を説明する公開の議論はほとんど行われなかった。

しかもその合理性を説明する公開の議論はほとんど行われなかった。

今回の論文は、この現象を医療倫理の言葉で説明したものと言える。

日本におけるリベラリズムの不在

この問題は、より広い政治思想の問題でもある。

リベラリズムの基本原則は、個人の自由を制限する権力には厳格な正当化が必要であるという点にある。

つまり、

  • 制限は必要最小限であるべき
  • 制限には明確な根拠が必要
  • 制限は期限付きであるべき

という原則である。

しかし日本では、こうした議論はほとんど行われなかった。

感染対策という名目の下で、家族との面会という基本的な自由が制限されても、その正当性が社会的に検証されることはほとんどなかったのである。

日本では「人権」という言葉は頻繁に使われるが、権力の行使を制約する意味でのリベラリズムは驚くほど議論されない。

この意味で、面会制限問題は日本の医療制度の問題であると同時に、日本社会における自由主義の弱さを示す事例でもある。

緊急措置には出口が必要だ

パンデミック初期に厳しい対策が取られること自体は否定されるべきではない。

問題は、それをどのように終わらせるかである。

緊急措置には明確な終了条件を設ける。そして継続の必要性を定期的に検証する。

今回の論文が示しているのは、日本の面会制限問題は単なる感染対策の問題ではなく、自由主義社会における制度設計の問題だということである。

面会制限問題は、日本の医療制度の特殊性を示す事例であると同時に、日本社会の自由主義の弱さを映す鏡でもある。

次のパンデミックが来たとき、同じ問題を繰り返さないためにも、緊急措置の「出口戦略」を今から議論しておく必要があるだろう。

Journal of Medical Ethics(JME)に掲載された論文の全文は下記に著者自身がアップしています。(英文版・日本語版)JMEとの契約により著者最終稿の著者自身による開示は認められています。ただし、商業利用は不可となっていますのでご注意ください。

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