理論物理学者アルベルト・アインシュタイン(1879年~1955年)は「教会が主張する神は信じられないが、スピノザの神ならば信じられる」と告白したという。ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年~1832年)は「スピノザの著書をポケットに入れて散歩する時が最も至福の時だ」と語っていたというのだ。アインシュタインとゲーテの心を掴んだ哲学者スピノザとはどのような人間だったのか。

「神と自然は同一」(汎神論)と主張したスピノザ、ウィキぺディアから
バールーフ・デ・スピノザは1632年11月、オランダのアムステルダムの裕福な貿易商のユダヤ人の家庭に生まれ、将来はユダヤ教会のラビになると期待されるほど、優秀な若者だったが、後日,正統派のユダヤ教会から「神を侮辱する人間」としてオランダのユダヤ人コミュニティからへーレム(破門)された哲学者だ。そして哲学者スピノザの大作「エチカ」(倫理という意味)は生前は出版されなかった。友人たちがその著書をスピノザの死後、別の名前で編集出版したが、その著者が誰であるかは明らかであったため、出版禁止処分にされた。スピノザの「エチカ」は死後、世界の哲学界で大きな影響を与えていく。
ユダヤ教会、プロテスタント教会、そしてカトリック教会はスピノザの思想に自らの信仰を根底からひっくり返してしまう危険な内容が含まれていることを感知していた。
スピノザは生前、大学の哲学教授の職も断念し、レンズ磨きの職人として生活の糧を得、仕事が終われば、夜には自身の思考を紙に書いていたという。机の引き出しの中には多数の覚書きや原稿が入っていたという。生前に出版された著作は、1663年の「デカルトの哲学原理」、および1670年に匿名で出版された「神学政治論」のみだ。
哲学史では、スピノザは汎神論者と言われる。神が唯一の実体である以上、精神も身体も、唯一の実体である神における二つの異なる属性としての思惟と延長に他ならないと考える。「アブラハム・イサク・ヤコブの神」を信じる有神論者からみれば、スピノザの神は「アブラハムの神」とは明らかに異なっていた。スピノザは人格を有する「アブラハムの神」を信じていなかったため、時には無神論者と罵倒されたという。
「スピノザの神」は、宇宙ばかりか、自然万物世界の至る所に実存する。簡単に言えば、神は自然だ。キリスト教徒らが聖典とする聖書も神の霊の導きで記述された聖典ではなく、書き手がその時代、風習、慣習、伝統などの影響のもと、その時々の内容をまとめた書物と考えていた。
しかし、科学至上主義が席捲し、世俗化するキリスト教社会の今日、「スピノザの神」が脚光を浴びてきているのだ。ウィーンの天体物理学者フランツ・ケルシュバウム氏はザンクト・ペルテンの教会紙『Kirche bunt』(8月12日号)のインタビューで、「私自身、超越的な何かの存在を確信しているが、それが科学的な探求の対象ではないことも認める。そして宇宙だからといって、草原よりも神の痕跡を多く見出せるわけではない。私としては、星の中に神を見出すのと同じくらい、『あなた』――つまり他の人々――の中にも神を見出している」と述べている。同氏は「スピノザの神」を信じているのか否かはインタビューの中では言及していないが、その世界観、神観は「スピノザの神」に近い。
同氏はまた、「人生の意味は何か」「自己意識はどこから生じるか」「自由意志は存在するか」といった「意味」を問う問いに対して、科学が寄与できることはほとんどないという。天体物理学者にとっては、「自分という存在の本質が根源的な基盤に根ざしていると信じることは、心の安らぎとなるのだ。魂の拠り所とは、おそらく神そのものなのだろう」と説明している。その神観は、教会が教える「三位一体の神」とか、奇跡を行う全能の神といったものではない。
もし特定の物理定数がほんのわずかでも異なっていれば、核融合の過程で炭素が生成されることはなかった。そして、炭素は生命を意味する。「宇宙全体が、炭素、ひいては生命が生まれるような仕組みになっている。しかし科学者として、それがとりわけ人間の存在をもたらすために創られたのだと主張することはできない」というのだ。
量子テレポーテーションの実現の業績などで2022年ノーベル物理学賞を受賞したウィーン大学の量子物理学教授、アントン・ツァイリンガー氏は、「量子物理学が神と直面する時点に到着することはあり得ない。神は実証するという意味で自然科学的に発見されることはない。もし自然科学的な方法で神が発見されたとすれば、宗教と信仰の終わりを意味する」という。それでは、宇宙すべては偶然に誕生したものだろうか。ツァイリンガー教授は、「偶然でこのような宇宙が生まれるだろうかと問わざるを得ない。物理定数のプランク定数がより小さかったり、より大きかったならば、原子は存在しない。その結果、人間も存在しない」と説明する。宇宙全てが精密なバランスの上で存在しているというわけだ(「量子物理学者と『神』の存在について」2016年8月22日参考)。

最後に、なぜ今、「スピノザの神」に関心を持つ人々が増えているのかだ。スピノザの神=自然という汎神論の場合、その神はキリスト教会が主張する人格神ではない。神の教えを守れと厳格に命令する存在ではない。それゆえに、「スピノザの神」から現代人は自由とその責任という重荷を軽減できるのを感じるからだ。全ては因果関係で存在するから、目的にがむしゃらに進むといった仕事人間も心の安らぎを感じることができるからではないか。
世界そのものが神、「神即自然(汎神論)」の考え方は、一神教的な厳格さよりも、日本の「八百万の神」のような自然観や仏教的な一元論に近く、日本人にとっても非常に受け入れやすい土壌がある。デカルトが心と体を切り離した「心身二元論」に対し、スピノザは「心と体は、一つの実体の表と裏にすぎない」と唱えた。「身体の状態が感情を左右する」という指摘は、現代の神経科学者アントニオ・ダマシオ氏らによって「脳科学的に正しい」と評価されている。
豊かな自然環境と物質的恵みの中で生きている現代人にとって、砂漠から生まれた「アブラハムの神」は余りにも戒律が厳しい。その点、「スピノザの神」は至る所に神を見出せるから、多くの人間は神の中に生きている自分を発見し、癒しを感じるのではないか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年8月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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