
今月の『群像』9月号に載った、加藤典洋の未発表原稿が話題である。1995年の日本で起きた「敗戦後論」の炎上のせいで、米国の学会でも自分が極右扱いされてることを知った加藤が、抗議のために英語で執筆したものだ。
あまりにも本人の主張と乖離した虚像が横行する様子を喩えて「不思議の国のカトウ・ノリヒロ」と題した草稿が、この度訳されたのだが、その内容ではなく、読んでいまSNSで持ち上げる人たちの態度が、面白くない。

去年出した本でも描いたとおり、加藤は「敗戦後論」にともなうキャンセルを乗り越えて成熟し、文藝評論の大家として認められる。その後の日本で「加藤さんって別に、悪い人じゃなかったよね」と言うのは、きわめて安全な行為である。
が、原稿が明かすのは、米国の日本研究の世界ではカトウ・ノリヒロを貶しておくのが、同じように “きわめて安全に” 学会でウケるためのマナーだったという事実だ。そこに気づけない人は、たぶんちゃんと読んでいない。

また基本的な背景を知らない人が、安全だからときわめて安易に「うおおおカトウ・ノリヒロ!」する例も目立つ。ただこれは、近代日本研究というマイナーな世界を体験しないとわからないことなので、ぼくが補足しよう。
草稿に出てくるいちばんの悪役は、ハルトゥーニアンという学者である。この人は日本語が怪しく、しかも加藤の原文を読んでないのに「カトウはウヨクだから叩いとけ」とする論調を定着させたとして、加藤は怒っている。
ところが米国のジャーナルへの加藤の寄稿は、「ハリーが応答を執筆するならセットで載せてもいいが、彼は忙しいので」として、断られてしまう。なんでこの人がそんなエラいんだ? と、予備知識のない読者は思うだろう。

ハルトゥーニアンは1929年生まれで、日本でいうと網野善彦(28年生)と同じ世代の歴史家だ。最初の単著は、明治維新を準備した徳川時代の政治思想についてで、1970年に出た。
その後シカゴ大学で教鞭をとり、テツオ・ナジタ(36年生)と組んで日本思想史上の「シカゴ学派」を作る。ポストモダンの哲学を引用し、日本の近代化を “批判的” に捉える筆致が特徴だが、そうなったのにも理由がある。
米国で加藤の稀少な盟友だった、マイケル・エメリックが附した草稿の解説に、謎を解くカギはある。加藤による投稿を却下した、3つのアメリカの学術誌のうち最初のものは、掲載不可の理由にこんな説明をつけてきた。
加藤が不満の対象としている研究者たちの多くが、アメリカにおける地域研究型の日本研究そのものに対する重要な批判的研究を行ってきた〔のに〕……加藤はそのような政治性にはまったく無関心である。
彼は明確に、アメリカによる日本占領をイデオロギー的に正当化しようとしてきた、アメリカの日本研究における保守的伝統の側に立っている。
『群像』2026年9月号、93頁
(強調と改行を付与)
ふつうの人には文字どおり意味不明な文章だが、戦後の米国では基本的に、アメリカが日本(に代表されるアジア)を「近代化してあげた」のは、いいことだとされてきたのだ。こうした学問上の立場を “近代化論” という。
象徴するのはハーバード大のライシャワーで、1910年生まれ。61年にケネディ政権に任命され、駐日大使を務めたように、その学説はアメリカの外交政策とも一体だった。これが先の引用にいう「保守的伝統」の意味である。

ところがアジアを共産主義に傾かせず、「近代化できるように」介入してあげよう、とする米国の姿勢は、ベトナム戦争を通じて信用を失ってゆく。そのとき問い直しの先頭に立ったのが、ハルトゥーニアン以下の世代だ。
なので彼らシカゴ学派にとっては、(日本の)近代化そのものが “悪” なのである。「えっ!?」と思うかもしれないけど、そうなんです。日中戦争以降の “侵略” はよくなかったよね、じゃなくて、最初から全部ダメなの。

ハルトゥーニアンは読んでないのだから、言ってもしかたないが、加藤の「敗戦後論」は侵略戦争が “悪” であったことを認めた上で、そうした悪をなした者の末裔として反省するには、いまなにが必要かを問うものだった。
ところが “近代化した時点で悪” だと思ってる人からすると、そんな反省はチョー中途半端で、「国民として先人を偲び、戦没者を追悼する」といった、近代より後に生まれた思考そのものを全否定しないとダメなのである。
反論しようものなら、「なぜ我々が近代化論と戦ったかをわかっていない! お前は日本の近代化支持であり、米軍の介入支持であり、ウヨクだ!」とされてしまう。加藤さん(48年生)だって、全共闘でベトナム反戦だったんですけどね。

さて、なんでぼくが①こんなことをいっぱい知っていて、②わざわざ今回noteまで書いたのかというと、もちろん理由がある。
まず①だが、以下の記事でも名前だけ出した日本近代史の指導教官が、アメリカの学者と交流するのは好きだがポストモダンが大嫌いという人物で、ハルトゥーニアンほかの悪口をゼミで毎週のように聞いてたのだ(苦笑)。
もっともその本人もハルトゥーニアンが書いた原文は読まず、「また聞き」で言ってたようだから、ミイラ取りがミイラにならないように、批判の中身を書くのはやめておく。知りたい人は、お酒でも奢ってください。

より大事なのは②で、実際に加藤が書いたものは読まないまま、伝言ゲーム的に入った情報だけを基に、「俺らの陣営に不都合なコイツは敵だ!」と排除を煽る行為が、キャンセルカルチャーそのものなのは論を待たない。
ところがいま『群像』を読んで「うおおおカトウ・ノリヒロ!」してる人の多くは、加藤が蒙ったのと同じ被害を受ける人が目の前にいても、ちっとも気にせずスルーして平気らしいのだ。
たとえばプライベートな場での失言だったので、どんな文脈だったか外からわからない場合でも、SNSで悪いやつだって空気になったし、海外とつながるエラいセンセーが「潰せ!」って言ったから叩く……みたいな話って、カトウ・ノリヒロに起きたこととほとんど同じですよねぇ(笑)。

ちなみに先の指導教官氏だが、この人、なんとその件で任期付助教のクビを切った一味だった上に、弟子にまで「なぜキャンセルされたやつと共著を出したのだ、けしからん」と言ってきたので、こちらが呆れて縁を切った。
(元)弟子としては晩節を汚さずにいてほしかったが、まぁ、日本はもう「2600年以上の皇統」とか国会でふつうに言われる国になって、歴史学者の権威なんてこれ以上落ちようがないんだから、しかたないですね。

「敗戦後論」が日本で炎上したのは1995年だが、加藤典洋がアメリカにまで広がっている自分の “悪評” を知り、今回訳された草稿を執筆したのは2010年のようだ。そのくらい、無責任なキャンセルがもたらす傷は深い。
誰であれ、人は誤りを犯す。しかし自らの失敗を記録し、なぜ躓いたかを振り返らない者が、歴史とか批評とか、まして「戦争の反省」を語る姿は笑止だ。それらはすべて、彼らのようにならないためにあるからである。
参考記事:

(ヘッダーはちょうど2010年の「アリス・イン・ワンダーランド」。加藤の着想への影響は不明)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年8月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください







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