「八二三砲戦勝利68周年追悼式典」に思うこと

68年前の58年8月23日、中国は福建沿岸の450門から約3万発の砲弾を金門島に撃ち込み、国民党軍500名を死傷させた。毛沢東は同夜、「我々の要求は米軍が台湾から、蒋軍が金門・馬祖から撤退すること。さもなければ攻撃する」と述べた。10月5日まで続いたこの砲撃戦が「八二三砲戦」または「金門砲戦」である。

台湾の賴清徳総統はこの8月23日、大雨が降りしきる金門島を訪れ、太武山公墓(軍人墓地)で「八二三砲戦勝利68周年追悼式典」を執り行った。式典には、参戦将兵の代表や遺族らと共に野党国民党の鄭麗文主席や政府関係者らが参列した。本稿では、この「金門砲戦」の経緯と今日的意味を探ってみたい。

笹川平和財団研究員の福田潤一氏が21年6月16日、「第二次台湾海峡危機(1958年)の歴史に学ぶ、離島防衛における核エスカレーションのリスク」(以下、「福田論考」)と題する論考を公表している。そのキーワードは「ダニエル・エルズバーグ」が再び漏洩した「ペンタゴン・ペーパーズ」の機密情報だ。

『ニューヨーク・タイムズ』(NYT)は21年5月22日、71年にエルズバーグがメディアに漏洩したベトナム戦争に係る機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」の「2.0」ともいうべき機密情報を掲載した。記事は、58年8月23日からの「金門砲撃」に対し、「ペンタゴンが中国への核攻撃計画を策定していた」と記していた。

「福田論考」は要旨こう書いている。

文書によると米軍首脳部は、中国の同盟国であるソ連が報復し、数百万人が犠牲になると考えていたにもかかわらず、核攻撃の先制使用を支持していた。エルズバーグ氏はNYTに対し、ペンタゴン・ペーパーズをコピーした50年前に台湾海峡危機に関する機密文書もコピーしていたが、当時は公開しなかったと語った。代わりに彼は、台湾の運命をめぐる米中間の緊張の高まりを懸念し、2021年春に文書を公開した。

彼は、通常兵器による軍事衝突で決定的な勝利が得られなかった場合に備え、ペンタゴンが再び中国への核攻撃の緊急計画に関与していると推測した。「参加者たちが、中間層や現内閣の人々よりも愚かだったり思慮に欠けていたりしたとは思いません」と彼は述べ、バイデン大統領、議会、そして国民に注意を促した。

「福田論考」の要点を箇条書きにすると次のようになる。

  • 毛沢東の砲撃目的は、中華民国と米華相互防衛条約を締結していた米国アイゼンハワー政権の安全保障コミットメントが金門島などの離島に及ぶのかどうかを試すことにあったとされた
  • 米国が周辺海域に多数の空母を集結させ、中国による離島への侵攻を座視しない姿勢を取ったため、中国は砲撃を停止し、大規模なエスカレーションには至らなかった
  • が、エルズバーグの漏洩によって、当時の米国が核の先行使用を検討したことが事実だったと判明、離島を巡る小規模な衝突が大国間の核戦争を招く可能性があり得たことが再認識された
  • 背景には54年1月にアイゼンハワー政権が公表した、ソ連の通常戦力の優位を米国の核戦力の優位によって相殺し、東側の攻撃を抑止する「ニュールック」:別名「大量報復」戦略があった
  • が、この抑止戦略には、東側も同じように核報復(ソ連は49年、中国は64年に核保有)で応じる事態を招き、小競り合いが全面的な核戦争に発展してしまうという欠陥のため、抑止の信頼性を欠いた
  • これが顕在化したのが、58年の「金門砲撃」だった。毛沢東は金門砲撃が米国の全面核報復を招くとは考えなかった(毛は46年、アメリカは「張り子の虎」と述べた)
  • 米国が当時検討したのは、紛争が始まった時点で中国空軍の滑走路のみに核兵器を使用することだった。こうした抑制的な核使用によって、後ろ盾のソ連からの核報復の可能性を最小化できると米太平洋空軍の司令官が主張していたとされる
  • 当時の統合参謀本部議長は、こうした先行核使用で終結しなければ「中国の奥深くに核攻撃を行う以外に選択肢はない」、それは「ほぼ確実に台湾や沖縄への〔ソ連の〕核報復を伴うだろう」が「国の政策・・であるならば、その結果は受け入れなければならない」と述べ、ダレス国務長官も同調したとされる
  • 最終的にアイゼンハワー大統領がこれらの意見を採用せず、通常戦力で対応する決定をしたことで、先行核使用は実行されなかった
  • が、資料は「中国共産党がこの作戦を中止しない限り、すぐに核攻撃をしなければならない、というのが全員の共通の考えだった」と記している

「福田論考」は次のように結ばれている。

離島だからとエスカレーションを恐れてコミットメントを限定することは、すなわち相手の挑戦に対する宥和を意味する。宥和による緊張緩和は更なる挑戦を生み出し、むしろ紛争を深刻化させてしまうかもしれない。米国は同盟国を守れない「弱い」国家だとの評判に拍車がかかり、同盟国の離反や国際的な主導権の喪失に繋がるかもしれない。台湾であれ尖閣であれ、その喪失は米国にとっての「死活的な」利益の喪失に直結し得る。

米国にはイランに対するのと同様、台湾や尖閣、加えて北朝鮮の核問題でも「強く」あって欲しいものだ。米インド太平洋軍のデービッドソン元司令官は21年3月、中国は今後6年以内に台湾に侵攻する可能性があると上院軍事委員会公聴会で述べた。その6年が経った。

米軍は目下、2月末からのイラン戦争でミサイルの過半を使い果たし、複数の空母打撃軍も中東に貼り付けになっている。つまり、東アジアに大きな空白が生じている訳だが、中国に動く気配はない。だが、頼総統は23日、「中国の権威主義勢力は68年間、外部への拡大という野望を一度も止めたことがない」と述べた。

そして「平和な時であっても、戦争を忘れることは危険だ」と国民に警告し、与党と野党双方が8月23日の軍民団結、反共、台湾防衛の精神を堅持し、国防予算を共同で支持することで、台湾海峡の平和のためのより強固な基盤を築くことを期待すると表明した。「平和ボケ」を戒めたのである。

以下に20年11月の拙稿の一節を記して、結びとする。

58年の毛沢東も米軍介入を招く金門上陸には慎重だった(イランに地上軍を送らないトランプに似る)。米国も「大陸反攻」に巻き込まれるのを嫌った。が、ダレスは「金門・馬祖などを保護するために軍を使用する権限が米大統領に認められている」「金門・馬祖の防衛と台湾の防衛は密接に結びついている」と声明した。

これには毛も、米海軍の金門接近を防ぐことは決めたものの「新たな外交闘争を配合させる」と日和った。ダレスも蒋介石に、9月の米中大使級会談(毛のいう「外交闘争」)まで金門・馬祖の占領を続ける代わりに、そこを「大陸反攻」の拠点にしないと妥協するよう提案した。

ところがフルシチョフはアイゼンハワー宛の書簡で、中国に対する核の傘を保証すると威嚇、それを『人民日報』が全文掲載する一幕もあった。そこでダレスは9月の国連総会で、中国がこの9年間、台湾も金門・馬祖も統治していない事実と、だのに中国が武力でこの地域を制圧しようとするのは不当だ、と力説した。

ソ連の停戦勧告もあり、中国は米国との交渉を模索、情勢は大使級会談へと向かう。金門・馬祖解放の棚上げがむしろ「二つの中国」論を遠ざけると考えた毛は、「世界上にはただ一つの中国しかなく、二つの中国はない」との「台湾同胞に告ぐ」の発出を以て、砲撃を停止したのだった。

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