かつて北海道や沖縄では、本州・九州・四国を「内地」と呼んでいた。いまは「本土」という。古代から北海道や沖縄は日本の領土として意識されていたが、その一方で、国郡制などは実施されていなかったのである。
そんな問題も『誤解だらけの沖縄と領土問題(増補改定版)』(清談社)では扱っているので、紹介したい。
琉球処分と「内地」という呼び方
沖縄は島津氏の支配下にあり、幕府との関係では薩摩藩の石高の内数にも入っていた。しかし、琉球国は引き続き存在し、間接支配であり、琉球国は清国に朝貢もしていた。
そのややこしい関係を断ち切るために、明治12年(1879)に琉球処分が行われ、沖縄県が置かれて官選知事が任命され、国王は東京に移って侯爵になった。

琉球処分時に、首里城の歓會門前に立つ日本政府軍 Wikipediaより
しかし、それで完全に本土と同じ扱いになったわけではなく、義務教育が始まったのは1901年、国会に代表を送り出せるようになったのは1912年になってからのことである。また、台湾とともに南洋道を設立しようという構想もあり、もし、これが実現していたら、戦後、沖縄が日本に留まることは難しかったかもしれない。
そこで、沖縄の人は本土のことを「内地」と呼び、それは戦後も続いたが、本土復帰運動のなかで、本土と呼ぼうという意識が高まり、移行していったというわけである。
法律上の「内地」と慣用上の「内地」
ただし、法律的には、日本帝国の中に複数の異なる法域が存在したため、その相互関係を処理するために1918年(大正7年)に制定され、同年4月17日に公布された「共通法」(大正7年法律第39号)の第1条で、帝国内を「地域」に分け、「内地、朝鮮、台湾又ハ関東州」とされ、北海道も沖縄も内地になったのだが、慣用的には内地という表現が使われた。ただし、「外地」という表現は、朝鮮や台湾などを呼ぶために発明された言葉であるから、北海道や沖縄に外地という表現が使われたことはないようだ。
沖縄史については、琉球処分や太平洋戦争における沖縄地上戦で県民の4分の1に当たる15万人が亡くなったことはよく知られているが、その中間の時期については、あまり知識がない方が多いので、おさらいをしておきたいと思う。
琉球処分後の沖縄統治をどう見るか
琉球処分から太平洋戦争が始まるまでの日本政府の沖縄統治は、全体としてはまずまず高い評価をすべきだと私は思っている。
もちろん、批判はいろいろある。過度に旧慣を尊重したので庶民たちの生活は容易に向上しなかったという意見もあるし、逆に沖縄社会の慣習や文化を尊重しなかったという批判もある。
琉球処分をしたものの、旧支配層が清に救援を求めるという事件があったので、政府は旧慣尊重をしばらく方針とした。これに対して、第2代の県令として赴任した上杉茂憲はこうした守旧策を批判し、沖縄県民本位の統治を提案したので、いまでも県民からたいへん尊敬されている。
しかし、新たな支配地域を得たときに、現地の旧支配層の利権を維持して穏健に対処するか、庶民の利益を図るために果敢に改革に乗り出すかは、難しい問題である。文化もレベルアップを優先して画一化すべきか、不便が生じても独自性を温存する方がよいかという単純な回答などないし、必ずどちらかの立場からの批判はあるわけであるから、仕方ないのである。
近代化と沖縄社会の葛藤
そういう悩みを象徴する事件がある。沖縄では1894年に、沖縄尋常中学(現在の首里高校)で、新任の校長が、普通語(標準語)すらままならない生徒に外国語まで教えるのは気の毒として、外国語をカリキュラムからはずすという事件があり、馬鹿にするなと怒った生徒が6か月のストまでした。
この時の首謀者がのちに海軍少将となり、昭和天皇訪欧の際のお召し艦の艦長だった漢那憲和である。退学処分になったのだが、奈良原知事の配慮で海軍士官学校に進んだというのが、明治人のおおらかさである。
全国的にみれば、明治政府の経済社会の近代化政策は、非常に急進的なものだったと思う。そこで、士族からの不満があった。朝鮮半島でも特権を奪われた両班の不満がいまも続く反日の原点である。
もちろん、改革が徹底しなかったとか、日本(ヤマト)の資本家などの利益が図られたという批判もある。しかし、全般的には、やや強引といえるほど大胆に近代化を図った結果として、教育の普及、経済の発展、庶民生活の向上に立派な成果を上げたと思うし、それは沖縄にも当てはまる。
ただ、沖縄の場合には、たとえば、台湾の開発などと比べると将来性が乏しく、戦略的な意味もないという判断がされたようだ。一方、台湾の統治は、沖縄に中継地としての役割を与え、台湾に帝国大学など上級学校が設立されたことは、沖縄の人にとって大きな恩恵になった。
た、気候が似た台湾や南洋群島へ多くの沖縄県民がチャンスを求めて出稼ぎへ行き、南洋諸島などは、まさに沖縄人の王国となった(1943年には人口の65パーセントが韓国・台湾を含む日本人。そのうち60パーセントが沖縄本籍)。
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