我々に自由意思はない!?

田村 耕太郎

脳科学の大家で東大大学院薬学系研究家の池谷祐二准教授と脳について議論
させてもらった。一番おもしろかったのは「われわれに自由意志はない」とい
う点。

 


脳は新参者である。地球が生まれて47億年。生物が生まれてからは38億年。
脳が生まれたのは5億年前だ。そう、生物が生まれてからの歴史の中で8割以
上の時間、生物は脳を持たなかったのだ。ちなみに言語が生まれて10万年。言
語というものは生物にはなじみがないし、脳にとってもやっかいなもので、ま
だまだ脳は言語の扱いに慣れていない。言語の習得がなかなかできなくても無
理はないのだ。

 脳を持つ原子生物としてヒルがある。ヒルの脳はどこにあるかというとヒル
の身体全体に散らばっている。これを観察すると脳の生まれた経緯がよくわか
る。脳は「反射」のために生まれたのだ。身体が感じた感覚が脳に伝わり、身
体の運動につながる、それだけの役割から始まったのだ。ヒルを触れば逃げる。
ヒルに血の匂いをかがせるとやってくる。それだけだ。

 人間にも脳は「反射」から生まれたという歴史がみられる。人間の表情筋と
脳のどこの感覚がつながっているか調べればよくわかるのだ。たとえば嫌悪と
いう感情を抱いた時の脳の感覚をその表情筋から見ると、それは苦いものを食
べた時の表情筋と同じ動きをする。つまり、苦みと嫌悪は脳の同じ場所を使っ
てその感覚を処理しているのだ。よく「“苦い”思い出」との表現があるが、
それは洋の東西も使う表現だが、まさにその通りなのだ。

 一方、喜びと甘さは同じ表情筋を動かすことになる。「甘い思い」とか「ス
ィートメモリーズ」とか表現がある通り、うれしさや幸福感と甘さは脳が同じ
場所を使って処理している。また辛さと痛みも同じ場所を使って脳が処理して
いることもわかっている。つまり、身体で感じる感覚と感情は脳内の同じ部分
で感じているのであり、心というのは疑似身体感覚にすぎないのだ。

 心は身体感覚であり、それは感覚に応じた行動を身体に起こさせるための反
射であり、それを脳経由でやっているだけなのだ。脳は反射のためにある。

 そして我々の決断も反射の一つなのだ。脳に入ってきた感覚に“ゆらぎ”が
加わって処理され、それが身体の反応となる。身体の反応として代表的なもの
は人間の意思決定だ。われわれは自分の自由意思で物事を決めていると思って
いる。しかし実は、人間は何事も合理的に決断しているように見えるが、物事
を決める時の人間の脳内のシナプスの様子をMRIで観察すると、シナプスの発
火にはゆらぎが見られる。何度か同じような決断をしている時の脳内のシナプ
スの様子をみてみると、毎回違う神経回路がつながっているのだ。

 このゆらぎとは無秩序のことではない。環境に影響された反射なのだ。誰が
周りにいるか、取り巻く環境はどんな様子なのか、どんな服装をしているのか、
これらによって人間は決断を変えている。リラックスして家族といる時と、深
夜にメールをチェックしている時と、会社で同僚や上司と緊張感を持って仕事
をしている時と、気の置けない仲間と食事や飲食をしている時と、ゆらぎが加
わった脳の反射、つまり自由意志なるものは変わってくる。

 この仕組みがわかったら、ゆらぎをコントロールすることを試みよう。自分
が一番いい決断ができた状況を振り返ってそれを再現してみよう。

 ちなみに皆さんは直観とひらめきの違いがおかわりだろうか? ひらめきと
は理由がわかる考え。別名、論理的推論といわれる。この活動をつかさどって
いるのは大脳皮質。一方、直観とは理由がわからない、考えてそうなるもので
はないもの。これをつかさどっているのは脳内の線条体という部分。プロ棋士
は線条体を活用して将棋をさし、アマチュアは大脳皮質で将棋を指す。

 線条体とは経験とか訓練が積み重なって初めて大きくなっていく脳の部分。
歳を重ねるほど大きくなり、訓練すればするほど鍛えられる部分だ。テニスや
ゴルフで身体が勝手に動いてくれる反応などがその代表だ。身体知となって体
に叩き込まれた感覚は、いちいち上腕二頭筋をこうして大腿四頭筋をああ使う
とか、脳は計算しているものではない。

 ゆらぎも直感も鍛えることができるものだ。二つともいい経験をたくさん積
み重ねることで鍛えられていく。“いい経験”の中には、「失敗」もある。こ
れからは人類史上最大の変化の時代が来る! どんどん挑戦してそこから学ん
でいくスピードをアップしてゆらぎや直感を鍛えておこう。