日本では、「内部告発」や「機密漏洩」行為を「卑怯」だとか「裏切り」だと考える偏見が未だに残っています。その背景には、この行為が何となく「後ろからばっさりやる」と言う印象や、主君を裏切った明智光秀を思いださせる事が影響しているのかも知れません。自分の利害を捨てた「内部告発」や「機密漏洩」行為は、「卑怯者」に出来る様な生易しいものではありません。
国家の不法行為を告発した代表的な機密漏洩には、70年代初めのペンタゴンペーパー事件と沖縄密約問題がありますが、これ等事件の日米の司法とメデイアの対応には大きな違いがありました。
沖縄密約問題では、この情報を漏らした毎日新聞西山記者と外務省女性事務官の不倫関係が暴露され「ひそかに情を通じ、これを利用した」という文言が起訴状に含まれる事が表沙汰になると、状況は一転しました。報道の自由を守ると宣言していた毎日新聞は、起訴状が提出された日に「本社見解とおわび」を掲載し、以後この問題の追及から手を引きました。
一般のマスコミや裁判所の対応も、男女関係や機密資料の入手方法の問題に終始し、肝心の「報道の自由」は勿論、密約の有無や沖縄密約についての政府の責任追及は完全に蚊帳の外に置かれて仕舞いました。
最高栽も「国家機関による秘密の決定と保持は行政府の権利及び義務で、報道の自由には制約があり、国家公務員法の守秘義務は非公務員にも適用される」と言う検察側主張を全面的に認め、西山記者は国家公務員法違反で有罪判決を受けました。
その後、密約の存在を示す文書が米国国立公文書記録管理局で公開されて、西山記者の正しさが証明されると、政権の交替もあって、政府は全てについて密約及び密約に類するものの存在を認めた事は皆の知る処です。新事実は、政府が永年に亘り、組織を挙げて証拠隠蔽と偽証を続けた事を証明しましたが、日本の司法が動く気配はありません。
それに対しペンタゴンペーパーの場合は、極秘情報に接する高い地位を利用して、情報を意図的に漏洩したエルズバーグ博士は「責任ある国民として、法に違反して国民からこの情報を隠蔽し続ける政府に、これ以上協力は出来ない。私は、この機密漏洩を自分だけのリスクで行ったのであり、いかなる結果になろうとも、私一人の責任である事は良く承知している」と言う立場を一歩も譲りませんでした。
報道の自由を掲げて米国政府の発行停止要求に抵抗した、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト両紙は「国家の安全と言う広範で重大な結果を国民に齎す問題で、政府が国民や議会を欺き続けた事を、一般に知らせるペンタゴンペーパーの意義は大きい」として、報道の自由を保障した米国憲法修正第一条の権威者を総動員して、報道の権利とエルズバーグ博士の正当性を主張しました。
世界を揺り動かしたこの大事件の米国最高栽判決は、6:3の評決で政府側の敗訴に終りましたが、国家の根幹に触れる問題だけに、9人の判事が、夫々別の判決理由を発表すると言う珍しい判決でした。
ブラック判事の判決理由には「政府の不法行為を効果的に防止できるのは、完全に自由な環境に置かれた報道の自由しかない。一方、自由な報道が犯してはならない崇高なる責任は、政府に欺かれて海外に派遣された国民が、その地の狂乱や銃弾で殺される様な行為を政府にさせない事である」と報道機関の責任にも言及しました。
スチュアート判事は「外交と国防の分野は、三権のチェックアンドバランスが一番及ばない分野であり、公権の行き過ぎを防止できる唯一の方法は、情報に明るい批判精神に満ちた聡明な国民に頼るしかない。それ無しには民主政治を維持する事は出来ない以上、報道の自由は最大限保障されなければならない」と述べて、政府の要求を退けました。
日本の最高裁が要件の定義を避けて「報道の自由の制約」を理由として判決を下したのに対し、米国最高栽は「報道の自由の制約」を普遍的に定めた、1931年の判例と照らし合わせ、その要件を満たしていないとして政府の要求を退けた処が、大きな違いです。
この様に、日本の裁判が「機密資料の入手方法」の適法性の有無に集中したのに対し、米国では「報道の自由と国家機密の保持」のバランスを何処に置くかと言う、民主主義の根本理念に審理を集中しました。この基本的人権に対する大きな考えの違いが、米国では主権在民が確立し、日本では未だに確立しない違いを生んだ一因でしょう。
「報道や言論の自由」を勝ち取った経験の無い日本国民は、「報道の弾圧」より男女の不倫の方が「より重大な不道徳」と考え、西山記者の糾弾に走った事も反省しなければなりません。判り易くて実利的な価値を優先する国民性が、ますます勢いを増す最近の傾向を見ますと、心配でなりません。
欧米先進国に比べれば、まだまだ狭いとは言え、日本でも国民が公権力を「告発」する道は開かれています。我々も、ウイキリークス事件を教訓に、陰口、悪口ばかりの国民性を卒業し、機密を「漏洩」してでも、公権力の不正を「告発」する勇気を発揮して、一刻も早く日本を「主権在民」の国家にしたいものです。
コメント
つい最近も尖閣ビデオの流出問題で似たようなことが起きました。
さすがに検察は起訴が難しいと判断したようですが、海上保安庁は政府の圧力に屈し、停職以上の懲戒処分にする方針のようです。そしてマスコミはそれについて特筆するような報道を行っていません。
むしろ国民の方がなぜ保安官が罰を受けなくてはならないのかと憤っている状態ではないでしょうか。国家の問題を個人的な服務規程違反に矮小化する形で報道したのはマスコミです。いくら政府首脳の見解がそうであるとはいえ、真実を報道するというジャーナリズムは日本のマスコミに全く期待できないのだと改めて思い知らされました。
国民性といいますが、アメリカだってスキャンダルが大好きでセンセーショナルな報道を好む層は非常に多いわけで、イエロペーパーが乱立している理由はそこにあります。輿論を誘導する快感に酔いしれ、マスコミにジャーナリストたらんという気概が育たなかったことが、真の不幸でしょう。
香港にはICAC(香港廉政公署:Independent Commission Against Corruption)という、市民や役人の密告をもとに捜査を行う機関があります。ICACは特に上級公務員(警察、行政など)の不正を摘発してきました。
中国でも、北京政府は各省や直轄市の上級役人の腐敗の摘発を積極的に行っています。上海市長や深�祁市長など超メジャーな役人が、ここ5年間で捕まっています。そのせいか、最近は役所の所長クラスの上級役人は、部下からの密告を恐れて、罰金もみ消しの為にアンダーテーブルマネーを受取る事を非常に怖がっているようです。