「ネット」は個人の精神を豊かに出来たのか?

山口 巌

今となっては、余程山奥にでも引越し、炭焼きでもして生計を立てない限りネットと無縁の生活を送る事は不可能と思う。


そして、個人として一度立ち止まり深く考えねばならないのは、「ネット」は個人の精神を豊かに出来たのか? という基本的な疑問であると思う。

抽象的な話をしても仕方ないし、そもそも出来ないので私の身に実際に起こった事を書いてみたい。

実は2年前から、私の「交友関係」や「価値観」、「興味の対象」が大きく変化している。

2年前から始めた、アゴラへの投稿とフェイスブック活用が大きなインパクトを与えている。

アゴラは健全な「議論の場」として設計されたと聞いている。従って、きちんとした「反論」や「質問」には真摯に対応する義務があると自覚している。

そして、この作業は手間暇はかかるものの勉強になると同時に、その後の実際の行動に直結する事が多い。

最近の実例を二件紹介してみる。

先ずは、矢澤豊氏の中國人を愛せなければ、尖閣は守れないである。

山口巌氏のエントリー「中国海軍による海自護衛艦へのレーダー照射事件と望まれる今後」を読み、その結語に至りたまげてしまった。

たまげられたまま放置する訳には行かないので、指摘された記事を読み返してみた。成程!これでは誤解されても致し方ないと思い、早速、誤解の原因となった二行を別記事、未来ある若者は決して中国とは関与すべきでない、として書き直した。

矢澤氏の了解を得るに至り、アゴラ内では一旦終結である。しかしながら、若者に対し中国への関与を控える様忠告した以上、代替案を示す義務があるのでは? と感じていた。

偶々、このやり取りを読んでおられたベトナム、ホーチミン在住の方(奥様はベトナム人女性で既にお子様もあり)からメールを戴き、ベトナム訪問を強く勧められた次第である。

私は1990年に中東駐在から帰国し、5年間ベトナムの市場開拓に従事した経験がある。そういう経緯から、ついつい自分はベトナムを熟知しているが如く思い上がってしまう事がある。しかしながら、私が担当していた時から20年近くが経過している。

早い話、一度行かねば! と思ったのである。ベトナムに行くなら、ミャンマーへの出遅れは許されない!を書いた手前、ここにも回って来るかと思っている。

ミャンマーは、東南アジアで行った事のない数少ない国の一つなので、何となく遠足前夜の小学生の様にわくわくする(笑)

今一つの例は、辻先生(上智大学教授)から頂戴した、「稼げぬ大学」が「使えぬ卒業生」を量産するへのコメントと、これに対応して書いた記事、「使えない人」、「使えなくなる人」、「使える人」である。

日本に生まれ育った日本の若者が、日本に暮らし続けたいと願う事は自然な人の情である。しかしながら、通常の「商品」の製造現場は人件費の安いアジアの新興産業国に移転してしまう。

従って、日本で暮らし続けたいと願うのであれば、日本ならではの「高度商品」に基礎研究、応用研究、商品開発などの何れかのフェーズで関与可能な能力を持つ必要がある。

そして、それを可能にするのは唯一「教育」という事になる。

所が、今の状況は、大学は基礎教育に専念し、一方企業には最早若者に「職業訓練」を施す余裕がない。

詳しくは、若者が失ったものは「修行の場」では?で説明の通りである。

若者に取って、基礎教育から商品開発のレベルまで登る階段がない訳である。従って、不格好な手作りの縄梯子でも何でも、兎に角、若者が高みに登れる様にする必要があると思っている。

一昨日の、「産学共同」の可能性について考えてみるの背景はここにある。当日参加者の妙案を期待している。

それから、27の月例勉強会の結果は「成果報告書」の形でアゴラの場をお借りして発表させて戴く積りでいる。

アゴラと共に私を助けてくれているのがフェイスブックの存在である。

初めはアゴラ投稿記事への理解、共鳴があってコメントが戴ける。次いで、フェイスブックでの友達申請、やり取りを経ての相互理解の深化となる。人物を見極めた後、私が主催している月例勉強会への招待となる。

私は古い人間かも知れないが、飲食を共にし「胃袋で繋がる」事は人間関係で極めて重要と考えている。従って、勉強会の後は必ず懇親会を設定している。「ネット」のみでの人間関係には懐疑的だ。

今月27日の勉強会で講師をお願いする内山氏、精神を病むに至った若者をどうやって救済するか?で紹介した、来月マレーシアに調査のため出張してくれる長井氏、長井氏を現地マレーシア、ペナンで支援してくれる大竹氏とも、こうやって人間関係を構築して来た訳である。

実は、彼ら以外にも併行して一緒に楽しみな案件を進めている同志、仲間が多数いる。勿論、全て世の中を良くするものである。今少し、具体化したら公表させて戴く積りにしている。

こういう事が可能になったのは起業家の気質の変化も大きい様に思う。

私は12年前に縁あって、あるベンチャー企業に転職した。その時、色んな起業家が接触して来たが、彼らの頭の中にあるのは、先ず「金」。次いで、「名誉」。透けて見えたのは「女」、「豪華な自宅」、「車、フェラリー」、「クルーザー」といったところか。

六本木ヒルズ族という言葉が持て囃されたのはこの直ぐ後の事である。当時の起業家は金に貪欲で、脂ぎっていて、限りなく「山師」であったと思う。

彼らの多くは一時的には羽振りは良かったものの、今は落ちぶれているのでは? 偶に街で会うと、頬と顎に贅肉が付き、おまけに腹が出て汚らしい中年になり果てているケースが多い。

彼らに取って「ネット」は飽く迄、金儲けの「ネタ」に過ぎず、「ネット」を通じ自分を高めるとか、世の中に貢献するなど有り得ない話であった。

そして、金を目当てに回りに人だかりが出来ていた訳で、金の匂いがなくなれば、まるで潮が引く様に誰も居なくなる。実に寂しい話である。

一方、今の起業家の多くは本当に「社会貢献」に熱心だと思う。

起業した会社が中々安定せず、とても「社会貢献」など出来ない状況であっても、早く会社を軌道に乗せ「社会貢献」に一歩を踏み出したいと願っているケースが多い。

どうも、10年前のフェラリーや豪華なクルーザーを所持する夢が、「社会貢献」に参加する事に取って替わられた様である。

私に対してと同様、アゴラやフェイスブックの果たした役割は大きいと思う。

正直にいって、こういった志の高い人達と意見交換をし、世の中に対し役に立つと思われる事を一緒になって進めて行くのは本当に楽しい。豊かな精神や善意に触れる事でこちらも触発される。

こういう経緯もあって、最近「ネット」は「地図」であり、「コンパス」ではないかと思う様になった。

今自分が何処にいて、どちらの方向に向けて進むべきかを教えてくれるからである。しかも、その上に一緒になって歩いてくれる、同志、仲間も紹介してくれる。

山口 巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役