中国で『中国化する日本』の話をしよう(その2):互いに相手を鏡とする未来へ

與那覇 潤

昨日掲載の「中国で『中国化する日本』の話をしよう(その1)」の続編です。また、文中に出てくる北京師範大学での講演内容はこちらから。

日本を上回った教室の熱気

2泊3日の日程は初日の晩に北京師範大学で講演、2日目の夜は書店での座談会、空き時間はすべて現地新聞・雑誌の取材対応となった。特に驚いたのは初日で、夜の8時から10時というスケジュールにもかかわらず、200人は入るという教室に学生さんが満員で、立って聞く人もいる。通訳は、中国語版の翻訳者の何暁毅先生、コメンテーターは北京大学の王新生先生である。

しかも、講演後の質問のレベルが決して低くない。「丸山眞男のいう日本社会の『無構造の伝統』と、あなたの中国化論はどう関係するのか」、「明治憲法の第1条にしたがえば戦前の天皇は専制君主、第4条にしたがえば立憲君主になると思うが、両者の関係をあなたはどう捉えているか」など、ふだん日本の学生からもそうめったには聞かない学術的な質問がでる。流暢な日本語で質問してくれる学生もいた。

なにより印象的だったのは最後まで挙手が林立して途切れなかったことで、いかにして「手を挙げさせるか」に苦労する日本での教室が嘘のようである。王先生が「中国社会にはグローバル化に適した特徴もあるが、それを高く評価されたとしても慢心するのではなく、むしろまだまだ至らない点を反省していくことが大切だ」とフォローしてくださったので、私も「定められた共同体の枠内で完成度を高めてゆくことに関しては、日本人が中国人より遥かに優れているが、逆に既存の枠組み自体を壊したり、その外に出ていくことでは、今晩のみなさんの積極性が示すように中国人が勝る。両者が互いの強みを活かし、弱みを補いあう関係ができれば理想的だ」とリプライして会を閉じると、サインを求める学生の列ができた。

拙著は中国では刊行から1か月が経ったばかりの著作で、話題になっているとも思えない。それでもこれだけの熱心な聴衆が集まるのには、むろん――かつての日本もそうだったように――「先進国」のゲストと見ればあらゆることを学ぼうとする、成長時代の国家が一般に持つ熱気もあろう。しかし私はむしろ、有史以来一貫して巨大な「人材(人口)のプール」だったという、かの国の個性を感じた。とにかく母集団が圧倒的に大きいのだから、日本の学者の風変わりな著作に興味を示したり、日本人顔負けなほど日本史に熱中したりするような、「レアキャラ」だけでも相当な数にのぼるのだと思う。

この無尽蔵に近い人材供給力が、歴史的に見て中国の強みであり、弱みでもあった。「人あまり」は当然、「使い捨て」を可能にもするからである。もっとも、やはり『「日本史」の終わり』でも議論したように、「土地の希少さに対して過剰な人口を浪費する」のは、勤勉革命と呼ばれる日本にも共通の特徴だから、日本人もそうそう笑ってはいられない。

中国の読者が読んだ『中国化する日本』

取材にみえた記者さんは、拙著を相当読み込んでいる方と、それほどでもない人とに分かれたが、彼らとの対話も楽しかった。『中国化する日本』のベースは内藤湖南の「宋代以降近世説」で、しかし宋朝の下でこそ中国史を画する変化が起きたということを日本人は知りませんね、という話から始まるのだが、これは中国人も同様だという。宋といえば「周囲の国に侵略された弱い王朝」として、一般的な人気や評価もむしろ低いとのことだった。ある国や時代の重要性は、その国の「領土の大きさ」とは何の関係もなく、むしろその国や時代が「社会にもたらした変化の質」によって決まるのだ、と答えて、やんわりと現今の中国の拡張政策にも示唆を送ったつもりだったが、伝わったかどうかは心もとない。

時事問題へのコメントを求められるのは講演も取材も同様で、特に安倍晋三首相が「右翼的」と見られているためか、同政権の下での日中関係の展望を問う質問が必ず出る。それは逆で、民主党が尖閣問題で(中国から見た際に)「強硬路線」をとらざるを得なかったのは、ハト派の彼らは「中国寄りだ」という批判を一番恐れる立場だからだ。安倍氏を「親中派」と攻撃する有権者は誰もいないからこそ、妥協に踏み切れる可能性もある――と答えても、当初は理解されずにぽかんとされる。「反共主義者のニクソンだからこそ、毛沢東と握手できたのと同じだ」と補うと、少しわかってきた風になり、「日本の政治家は選挙があるので、中国の政治家よりも民意に弱いのです」と言うと笑いが起こる。

もっとも、最大の爆笑が起きたのは「安倍政権はいつまで続くのか」という質問に、「政府にコネのある学者ではないから知らないが、安倍総理は習近平主席と同じくらい続けたいと思っておられると思う」と答えた時だった。ひょっとすると、日中それぞれで「保守」するものの中身が違うとはいえ、どちらも「華がなくだらだらと続きそうな保守政権」として、似たものどうしと見られているのかもしれない。

やはり中国の読者が知りたがるのは「中国化」と「西洋化」の関係で、「西洋人が個人主義的なのに対し、中国人も日本人も集団主義的で……」という記者に、「いや、私には中国人は個人主義的に見える」というと、きょとんとされる。孫文が散沙(沙漠の砂)に喩えたように、社会の中の共同体が解体されてバラバラの個人しかいないという点では、日本と異なり中国は「個人主義」の国だ。ただ、西洋のようにそれが「国家に抗する個人」にまで高められていないのだ、と伝えると、わかったような顔になる。

ともに個人主義だが、個人に「私的な利益を追求する自由」、ないし「政府に無関心でいる自由」のみを認めるのが中国化で、「政府と違う意見を表明する自由」までをも保障したのが西洋化だ。後者は、王(政府)に抵抗できるだけの権力を持った貴族が、近代の直前まで残った西欧だからこそ発展し、逆に宋朝の中国は「進みすぎていて」、科挙を導入して貴族を全廃したから中国化になったのだ、と説明すると、得心してくれたようにみえた。

グローバル化した世界では他の国でも同様だろうが、一番苦心するのは日本独自の道としての「江戸化」の説明で、われわれ日本人なら「江戸時代的な」の一言で幕藩体制、ムラ社会、イエ制度、その他のもろもろがぱっと脳裏に浮かぶところを、一から説明せざるをえない。もっとも、中国人相手の場合には一番ピンとくるはずの比喩があって、「毛沢東時代のようなものだ」と言えばいいのだが、これは読解にリテラシーが必要なうえに、政治的にも微妙かもしれないという雰囲気も感じた――座談会ではひと工夫して、「マルクス主義なしの社会主義体制」と言ってみると、何人かの聴衆がニヤリとしてくれた。逆に、「政治権力は一極集中だが市場経済は自由開放」という宋朝(中国化)の特徴を説明するのは実に簡単で、「鄧小平の『社会主義市場経済』と同じだ」とだけ伝えれば、毎回必ず納得してもらえた。

相互誤解から相互理解へ

座談会は「大悦城」というショッピングモール内の書店で行ったが、こちらも着席・立ち聞きを含めて常時数十名が耳を傾けてくれたと思う。雑誌『外交』でもご一緒した作家の劉檸氏を司会に、何先生も交えての鼎談である。中国化にも江戸化にも欠けているのは「多様性の尊重」だ、という趣旨を劉氏はよく汲み取ってくださって、何度もその点を強調されていた。中国の読者の場合、「なんだ、わが国は日本よりも進んでいるのか。それならもう問題ないではないか」と誤読される懸念が話題となったが、日本人にもちょうど逆に誤読して著者を攻撃する人たちがいますよ、とお答えした。ちなみに、やはり最初は読解に不安を覚えた記者さんにも、丁寧に含意を説明したところ、「あなたは非常に中立的な論者に見えるが、日本で親中派だと叩かれたりしませんか」と、逆に気遣われてしまった。

中国の人々や、北京在住の日本人の方々と話しあって教えられたことは多々ある。日本人は「中国人はわれわれと違う」と思いがちだが、中国人はまだまだ(非西洋という点で)日本人を「同じ存在」だとみなしていて、だからこそ自らの意思が伝わらないと、苛立ちを覚えること。普段は「個人主義的」でまったく空気を読まない中国人が、こと対日問題では――あたかも日本人のように――「空気を読んで」、旅行や行事の自粛に踏み切ってしまうこと。

結果的に、私が中国で伝えたかったメッセージは、日本国内でのそれと同じものになったと思う。すなわち「無自覚に、相手の悪いところを真似るな。みずからの足りない点を自覚して、お互いに鏡にしあおう」と。

與那覇潤(愛知県立大学准教授/日本近現代史)
※ 関連サイト「史論家練習帳