宮崎駿が引退を表明した。今回の引退の決断を支持したい。そして、たまたま発見したが、朝日新聞デジタルには『「72歳で引退、若すぎる」 宮崎駿監督惜しむ声』などというタイトルの記事が出ていた。70代に、若すぎるはないだろう。彼の引退報道を通じて、仕事と年齢について考える。
宮崎駿監督の引退は、厳密に言えば、本人が直接発表したわけではない。スタジオジブリの星野康二社長がイタリアで開催中の第70回ベネチア国際映画祭会場で発表した。6日に東京で宮崎駿氏本人が記者会見を開くという。
好きか嫌いかは別として、彼の業績は圧倒的である。なんせ、よく売れた。賛否両論ありつつも、名作と言われる作品は多数ある。宮崎作品で何が好きかは、飲み会でよく盛り上がるテーマだが、私は『カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』『紅の豚』がお気に入りだ。例の喫煙問題にゆれ、戦争を描いたことや、庵野秀明氏を主人公の声優に起用したことなどでも賛否両論を呼んだ最新作『風立ちぬ』も、私は好きか嫌いかで言うと、好きな作品である。
今回の引退については、この朝日の記事にあるとおり
映画評論家の秋山登さん(75)は「72歳で引退は若すぎる」と驚いた。「世界には100歳を超す映画監督もいる。映画界では引退すると言ってまた撮る人も多いので、今後も監督を続けてほしい」
などと言われるのだが、たしかに年齢を問わない仕事ではあるものの、「100歳を超す映画監督」は特例であって、そうそういないだろう。もちろん、世界には100歳以上の高齢者数は2011年の段階で約31万6600人いるそうで(国連人口基金調べ)、いてもおかしくはないのだけど。
とはいえ、先日、NHKで放送された『プロフェッショナルの流儀』の特別編を見ても、素人の視点で恐縮だが、どう考えても衰えは明らかだった。もともと長編はあと数本と言っていたそうだが、体力的にも精神的にも厳しいだろう。
もちろん、スタジオジブリにとっては、宮崎駿氏の引退は大きいだろうが、数年前から「いつか来る日」としてわかっていたことである。「宮崎作品」ではなく「ジブリ作品」が安定して供給され、一定の成果が出ているのだから、「引退できる」状態だったとも言える。そう、大御所は、その関係者を食べさせるために、引退したくてもできないものなのだ。
もう十分働いた。それでいいじゃないか。
これが企業だったら、定年が延長したら大騒ぎになるし、実際、今年の4月に改正高年齢者雇用安定法が施行されたときにはそうなった。今後、70歳、いやそれ以上になっても働く時代がきてもおかしくはない(個人的には、定年の延長は、役職と給料の上手な下げ方とセットで考えるならば賛成だし、雇用の確保という観点だけでなく、高齢者が働く自由は認めたいのだが)。
映画監督は年齢に関係ない仕事だとこの記事にもコメントがあるが、とはいえ仕事である。そして、高齢化社会ではあるものの、70代は老人である。引退する自由も認めてあげたい。そして、我々は今週をもって、宮崎駿から自立しなければならない。
ややうろ覚えだが、『風立ちぬ』では、主人公堀越二郎が憧れるイタリア人設計士カプローニがこんなセリフを言っていた。
「創造的人生の持ち時間は10年だ。 芸術家も設計家も同じだ。君の10年を力を尽くして生きなさい」
個人的に突き刺さったセリフである。いや、名作、佳作を出し続けるつくり手はいるのだけど、とはいえもっとも輝くのはたしかに10年だ。実はこのセリフを登場人物に語らせたことこそ、宮崎駿の引退宣言だったのではないかと私は捉えている。
私は豊かな世の中とは、可能性と多様性がある世の中だと思っている。ずっと働き続けるのも可能性、多様性の象徴だが、引退する自由も認めたい。それも可能性、多様性である。
もっとも、またやりたくなったら、やればいい。
私は大槻ケンヂを尊敬していて、先日も無駄に熱くその件をラジオで語り、ついには、本人と会うこともできたのだが・・・。
彼の名言に、こんな言葉がある。
「ロックバンドの解散とプロレスラーの引退は信じちゃいけない」
「地獄が凍りついても再結成はない」と言っていたイーグルスは、『 Hell Freezes Over(地獄は凍りついた)』というアルバムを出して復活した。大仁田厚は何度も引退後、復活し「信じるほうが悪いんじゃ」とまで言っている。
大映画監督先生にロックバンドやプロレスラーというたとえはあまりに下世話だったが、またやりたいと思うならやればいい。
まだ、正式な会見はない。なんらかのかたちで映画界、アニメ界に関わるならそれもいいし、ゆっくり隠居するのもいいだろう。
というわけで、朝日新聞よ、72歳の老人に「若すぎる」なんて、言うなよ。宮崎駿さん、お疲れ様でした。
そして、引退会見で「バルス」と叫んでくれることを、ささやかに期待するのだった。