脳神経学者は「悪魔」を発見できるか --- 長谷川 良

アゴラ

今年もノーベル賞受賞シーズンがやってきた。最初はノーベル生理学・医学賞で3人の脳神経学者が受賞した。スウェーデンのカロリンスカ研究所は10月6日、英ロンドン大のジョン・オキーフ教授、ノルウェー科学技術大のマイブリット・モーザーとエドバルド・モーザー夫妻の両教授に贈ると発表した。

3氏は「場所細胞」と呼ばれる機能を有する脳内の海馬について研究し、記憶の仕組みを解明したことが授賞理由という。このニュースを聞いた時、記憶を司る海馬について昨年、一冊の本を読んだことを思い出した。池谷祐二氏と糸井重里氏共著「海馬」という本だ。素人の読者にも理解できるように脳科学者池谷祐二氏が対話形式で説明している本だ。


池谷氏は「感情は全て過去の記憶から生まれる。あれが好きだ、これがいいといった段階から、人に対する好き嫌いまで脳内で記憶を管理する、小指ぐらいの大きさの海馬という部分で生まれてくる」というのだ。

今回の受賞理由の説明では、「脳内には周辺の空間を地として認識し、GPS(全地球測位システム)のように自分の位置を把握する精密なシステムがあることを明らかにした」(読売新聞電子版)という。海馬の仕組みを研究していけば、今後、認知症のメカニズム解明につながると期待されているという。

最近の脳神経学の発展は急速だ。当方もこのコラム欄で数回、脳神経学の近況を報告した。例えば、人間の頭脳にはミラーニューロン(独Spiegelneuronen)という神経系統が存在し、他者の行動を模写するだけではなく、その感情にも反応する機能があることを紹介した(「ミラーニューロンが示唆する世界」2013年7月22日参考)。

ミラーニューロンは1996年、イタリアのパルマ大学の頭脳研究者Giacomo Rizzolatti氏の研究チームが偶然にそれを発見した。1人が欠伸すると、傍の人にも欠伸が伝染する。それだけではない。悲しい映画を見ていて主人公の悲しみ、痛みに共感し、泣き出す人が出てくる。その共感、同情は、人間生来、備えているミラーニューロンの神経機能の働きによるという。

池谷氏はその共著の中で「人間が無宗教では生きていけない存在」と主張している。脳内側頭葉の上、北半球に神の領域というべき場所があって宗教的体験はそこで行われるという。「脳内に神との回路があるから、神を否定することは、人間にとって自然ではない」という興味深い論理を展開されていた。

いずれにしても、脳神経学の発展によって、人間の思考、感情の世界のメカニズムが次第に明らかなってきたことは嬉しいが、その一方、脳神経学ブームについて警告を発する学者も少なくないのだ(「『脳神経学』ブームに警告」2013年8月1日参考)。薬理学者フェリックス・ハスラー氏(Felix Hasler)はその一人だ。

ハスラー氏は「fMRIと呼ばれる脳血流動態のニューロイメージングをご存知だろう。人間の脳内機能を探る手段として利用されている。fMRIは人間の頭脳内の血流の動きを映し出している。脳神経学者がそのデーターから人間の思考、感情の世界の位置を見つけ出し、過大解釈することは要注意だ」と警告している。

脳神経学者のノーベル賞受賞は朗報だが、脳神経学が将来人間の全ての思考世界を解明できるとは思えない。脳(神経)をラジオとすれば、ラジオ自体は音楽もニュースも流さない。ラジオが電波をキャッチして初めて音楽が聞こえてくる。脳神経が人間の全ての思考を操っているという考え方は、ラジオが同時に電波であると主張しているのと同じだろう。ハスラー氏は脳神経学への過大な期待を「脳神経学のインフレーション」と呼んでいる。

最近、脳神経学者の一人が「悪魔の住処を発見できる」と主張している、というニュースを読んだ。しかし、fMRIが「悪魔」を捉えたとはこれまで聞かない。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年10月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。