百田『日本国紀』は井沢『逆説の日本史』に似てる?

八幡 和郎

「日本国紀」の平安時代から関ケ原までを読んでみると、一言で言えば、とくに百田史観!炸裂!というような毒が強いものではない。例によって、日本人はいつの時代も素晴らしかったということの再確認をしたい人には気持ちよく読めるのではないか。

百田氏と井沢氏(百田氏ブログ、BSジャパン「逆説の日本史」サイトより:編集部)

そんななかで目立つのは、井沢元彦氏からの強い影響である。祟りや怨霊の重視、武士の勃興についての見方、刀伊を撃退した藤原隆家の称揚、足利義満の皇位簒奪計画という見方への支持、信長や秀吉についての見方などである。古代では応神天皇についての記述とか、すでに「「日本国紀」の江戸時代観には根本的な矛盾がある」で書いた江戸時代の経済政策などの見方もそうだ。

これらは、パクリとか盗作とかいうことではまったくないが、井沢元彦氏の「逆説の日本史」の猛毒が聞いたユニークな分析に百田氏は非常に刺激されるところがあって、それに賛成されている箇所が多いのだと思う。

井沢氏の歴史観は、しばしば、陰謀史観チックなものだ。だから「そういう決めつけはいかがなものか」と私はいいたいが、ただ、そんじょそこらのいい加減な作家でないから、かなり緻密に破綻は避けられており、「ありえないと決めつけるのは難しい」という性格のものだ。

それでは、井沢氏に影響された箇所が多いにもかかわらず、その旨に触れていないことの是非についていえば、こうした通史の場合、引用や参考文献をあげていけばきりがないから、一切、書かないという方針はあり得ないわけではない。

また、そもそもどこかに書いていたとしても孫引きかどうかを知ることも難しい。そのあたり、初出が必ず出ている学術論文や専門の学者が書いた本とは違う(もっとも、私が概説本で書いてから普及して一般常識になったようなことが平気で無断引用されていることも多い。学者は学術論文以外には著作権がないと思っているようだ)。

ただ、私自身が通史のようなものを書く場合には、非常に多くを負っている著作は参考文献として掲げているし、非常にユニークな見解ないし分析などを採用したときは、そのむね、その箇所で紹介したりしている。

そういう意味では、「日本国紀」は、ほかの歴史家や作家に比べて井沢氏にかなり強く影響されているのは明らかなので、そのユニークな意見を採っているので、一言、触れておいた方が良かった気がする。

そのあたりは、池内恵さんが「先生の説は池上彰さんに似てますね」といわれたというのと同じことになりかねないのはたしかだ。池上彰さんは池内先生の専門的な知見をコメントなしに自分の意見だとして使っていたのである。池内さんの分析はかなりユニークなものだから、一般的によく知られている情報ではなかったので笑われることになった。そのへんは作家なのだから、アナウンサーよりは著作権について清朝さを維持した方がよいと思う。

信長と秀吉については、私は秀吉を非常に重視しているのだが、百田氏はそれほどではない。文禄・慶長の役が負け戦ではなかったことなどは、私と共通した意見だ。

中国や韓国との関係については、すでに 「中国・韓国との関係を「日本国紀」はどう書いたか」で詳しく書いたので省略するが、平安時代を唐の影響からの離脱の時期と捉えているが、私は初期はむしろ唐の影響が頂点に達したとみている。

足利義満の皇位簒奪計画には、私は否定的で、むしろ義満が非常に公家的な人間で、摂関家のような立場になりたかったのだと思う。お気に入りの子である義嗣のポジションを上げるための数々の行動は、義嗣を義持にかえて将軍にするためのものというほうが、よほど説明がしやすい。義嗣天皇で兄の義持が将軍というのも考えにくい。

日本国紀
百田 尚樹
幻冬舎
2018-11-12