明治レジームを総括する②明治における道義外交

玉木 雄一郎

>>>①「明治・戊辰150年に思う。」はこちら

安倍総理は、プーチン大統領との会談で

「1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させる」

ことに合意しました。

私自身、代表質問で「日ソ共同宣言を土台とした交渉の加速」を提案しましたので、今後の進展を注意深く見守りたいと思います。

副島種臣(デジタル大辞泉、編集部)

ここで、日ロ関係を考える意味でも、明治初期の日本の外交指針について振り返りたいと思います。明治4年(1872年)5月22日。今後の日ロ外交を考える際、一つの文書が発出されます。

「樺太国境画定のため副島種臣を魯国に派遣し給ふ勅語」です。

これは、ロシアとの樺太の国境線画定交渉に際して、全権となる副島種臣(そえじまたねおみ)に対して、明治天皇が発出した詔勅ですが、そこには、このような一節があります。

「なんじ種臣、其れ機宜(きぎ)に従い、其の事を正し、両国人民をして其の慶福を保たしめ、かつ以って交誼のますます厚く、永久にかわらざらんことを。これ朕が深く望むところなり」

この「両国人民をして、その慶福を保たしめ」というところから読み取れるのは、国際関係の構築にあたっては、露骨に自らの国益のみを主張するのではなく、両国の人民の間での末永い平和発展を実現させたいという理念です。

さらには、共同体や伝統的な友愛、相互扶助、信義、民族の信頼が、国際間での人間社会を立ち行かせるのだという思想です。

この理念こそ、今後の日ロ交渉の基本線として、また、日本が国際社会に対して世界のあり方を問う際の立脚点としても、繰り返し主張していくべきことではないでしょうか。

かつて四島に暮らしていた人、そして、現在、北方領土に暮らしている人、両国の人々が末永く交誼を厚くできるようにすることは、今後の交渉でも求められる理念だと思います。

なお、この勅語から3年後、明治政府の外交政策は、一つの転換点を迎えます。明治7年(1875年)の政変です。西郷隆盛と大久保利通との間で、朝鮮に対する外交方針で対立、論争が生じました。この論争では、最終的には大久保の考えが通り、西郷は明治政府から下野します。

外交方針で対立した西郷と大久保(国立国会図書館サイトより:編集部)

大河ドラマ「西郷どん」では、まさにこのシーンが描かれていました。大久保が「人を信じるまつりごとは、甘い」と西郷に言い放った後、この盟友二人にとって生涯最後の別れが訪れました。切ない情景でした。

ドラマのことはさておき、この論争は、どのような政治思想で対朝鮮外交を進めるかとういうのが対立の焦点だったというのが重要なところです。

大久保は、徹底した合理主義を主張して、自国の利益を優先させるという考えに立ちました。それに対して西郷は、道義の外交という立場を貫こうとしました。

自国の利益だけではなく、相手の国民のことを考えた提案を示すという誠意ある交渉に取り組む。最後まで妥結のための提案を用意し、それでもダメな場合にのみ、武力に訴えることを覚悟する。さらに、勝負が決した後の対応まで、共存に向けて心を尽くし、道義上の優位を保つ。これが、道義の外交です。

実際、西郷は、すぐにでも武力を使えというような板垣退助らの主張にはくみしませんでした。まずは情理を尽くして話をすべきである。そのために自ら朝鮮に行くと主張したのです。

西郷が志向したのは、単なる「力の外交」ではありません。それは、道義主義を貫徹しようとする外交だったと言えます。欧米流の自国利益ばかりを優先する合理主義外交では、弱肉強食の「覇権主義」を助長するのは明らかです。外交針路として、西郷の「道義の外交」を再評価すべきだと思います。

ちなみに、今年は、日中平和友好条約締結から40周年ですが、条約第2条には「反覇権主義」が明記されています。

(参考)日中平和友好条約第2条

両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

日中両国のみならず、ロシア(当時ソ連)を含む関係国も覇権主義に依るべきではないとの平和友好条約の理念は、今こそ重視すべきです。だからこそ、日本外交の姿勢としても、道義主義を原点に据え、関係国との共存に向け、単なるゼロサムゲームに陥らないようにすることが肝要だと考えます。

では、どうするのか。

今後の領土交渉において、世界の国境問題のモデルとなるような新たな構想を創造できるかどうかがポイントとなるでしょう。

そして、その一つの答えは、共同経済活動を進めるにあたって合意した、両国の法制度を害さない「特別な制度」の中に見い出し得るのではないかと期待しています。

残念ながら、2016年の安倍総理とプーチン大統領との長門会談から2年経ってもこの「特別な制度」の姿は依然として見えてきませんが、うまく具体化できれば、それは、平和条約の原型にもなり得る内容となるはずです。外務省の事務方は苦悩しているでしょうが、ここが腕の見せどころです。

交渉に百点満点はありません。だからこそ、「両国人民をして、その慶福を保たしめ」る「新しい答え」が必要なのです。

知恵を結集しなくてはなりません。


編集部より:この記事は、国民民主党代表、衆議院議員・玉木雄一郎氏(香川2区)の公式ブログ 2018年11月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はたまき雄一郎ブログをご覧ください。