伝統に合理的根拠を求める愚かしさ:池田信夫氏の論考を読んで--- 岩井 秀一郎

新天皇の即位に伴い、「新しい天皇に女系を認めるか否か」の議論が盛り上がりつつある。

そんな中で、池田信夫氏が「アゴラ」に投稿した「『男系男子』の天皇に合理的根拠はない」という論考は、基礎的な部分で重要な欠陥があるので、筆者なりにこれを批判してみたい。

新嘗祭神嘉殿の儀(2013年、宮内庁サイトより:編集部)

様々な問題点が指摘できる池田氏の論考だが、一番は次の部分だろう。

現実にはDNAが天皇家の「男系」ではない天皇がかなりいたと思われるが、皇統譜では例外なく男系で継承してきたことになっている。それは神武天皇と同じく、神話にすぎないのだ。

残念ながら、噴飯ものと言わざるを得ない記述だ。第一に「思われるが」と勝手な思い込みを基礎に置き、「神話にすぎない」と切り捨てている。思い込みを根拠に男系継承を否定し、神武天皇を持ち出して神話扱いするなど、ご自身の言説の方がよほど神話じみていると言わなければならない。この時点で、池田氏の論考の説得力はほぼ無くなった。

そして、このお粗末な記述の後に展開される議論がまたおかしい。

古代の家系は女系だった。それは天照大神が女神だったことでも明らかだ。

ここで苦笑した読者も多いだろう。池田氏は、なんの根拠もない思い付きで男系継承を否定し、それを「神武天皇と同じく、神話にすぎない」としておきながら、ここではまぎれもない「神話」の存在である天照大神が女神だったことを持ち出し、古代の家系が女系であることを「明らか」だと宣う。自分で書いていて、この矛盾に気が付かなかったのだろうか。

日本で大事なのは「血」ではなく「家」の継承だから、婿入りも多かった。平安時代の天皇は「藤原家の婿」として藤原家に住んでいた。藤原家は外戚として実質的な権力を行使できたので、天皇になる必要はなかった。

これも間違っている。「家」を維持するのに「血」を無視することなどありえない。もちろん、養子を跡継ぎとして家を継承させることもないではないが、皇統の話は全く別で、血を無視して継承させた事実はない。

安倍首相を初めとする保守派には、明治以降の制度を古来の伝統と取り違えるバイアスが強いが、男系男子は日本独自の伝統ではなく、合理性もない。それは明治天皇までは側室がいたので維持可能だったが、一夫一婦制では選択肢が狭まってゆくばかりだ。

バイアス、というより無知に基づく勘違いをしているのは池田氏の方である。ここでもまた男系男子を「日本独自の伝統ではない」と断言するが、先ほども言ったようにこれは池田氏による事実無根の思い込みである。池田氏が何か有力な史料的根拠を示さない限り、皇統が男系でつながってきたことは覆せない事実である。

そして、百二十六代目となる今上天皇まで、女性の天皇自体の数は非常に少ない。「男系男子」に絞った皇室典範の方が、よほど日本の伝統に近いと言えるだろう。

池田氏は「合理」という言葉を使う。根本的に、この考え方が間違っているのだ。「合理性」というならば、そもそも世界の皇室(王室)の存在自体、合理的根拠はない。「合理性」を推し進めれば、それは皇室否定にいきつく。「伝統」というものそれ自体に合理的根拠のない場合は多数ある。

しかし、人間を人間たらしめるのは、まさしくその「不合理」に他ならない。「文化」とは不合理なものであり、しかし人間にとって必要なものなのだ。合理的思考は現代に必要であるが、こと皇統がどうあるべきかという話について、合理的云々で話を進めるのは、そもそも間違っているといわざるを得ない。

岩井 秀一郎 著述業
1986年長野県生まれ。2011年3月、日本大学卒業後、一般企業で働くかたわら、昭和史を中心とした歴史研究・調査を続け、2017年、『多田駿伝:「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念』(小学館)でデビューした。第26回「山本七平賞奨励賞」受賞。