「名前連呼選挙カーやむなし」論に対する再反論

高橋 富人

こんにちは。千葉県佐倉市議会議員の高橋とみおです。必要上、肩書も含めてあえて名乗ってみました。

イラストAC:編集部

参議院議員選挙を前にして、再び「名前を連呼するだけの選挙カーは必要悪」という論調の記事を目にすることが多くなりました。たとえば、産経新聞宮崎謙介氏の記事がそれです。

読んでみると、かつて私が書いた重要な視点の考察なしに、善良な人たちに「確かにそうだよね。仕方ないか」と思わせるように書かれています。

そんなわけで、しつこいようですが、ここでもう一度「名前連呼選挙カーやむなし」論に反論しておきます。

「やむなし」論の筋立てを簡単に整理すると

【前提】
・名前を連呼する選挙カーはうるさい。
・他方、「名前連呼」には効果がある。

【結論】
上記から、「政策にまったく関係のない」名前の連呼だけのためでも、(また多少迷惑であっても)候補者は選挙カーを使わざるをえない。

以上の理屈に「現行の公職選挙法は、圧倒的に新人に不利なので、せめてこれだけでもやらせてあげて」とか、「お金持ちでなくても選挙運動ができるように考えられた苦肉の策なのです」とか、「高齢者層はネット選挙にはなじまないので、今は仕方ないのです」などの枝葉がつきますが、養護派の理屈の幹は上記のとおりです。

確かに、「選挙に受かる」という点を基軸に考えれば、ごもっともな意見です。
しかし、冒頭に言ったとおり「名前連呼選挙カーやむなし」論に、必ず抜けている視点があります。

それは、政治家の仕事は、税金の使い道をチェックすることである、という点です。

政治家と選挙カーのパラドックス

候補者が選挙に当選した後、政治家としてする重要な仕事は、地方国政にかかわらず、「税金を原資とする予算の使い道の無駄」をチェックすることです。

さて、選挙カーのレンタル料、ガソリン代、運転手の費用は、すべて税金でまかなわれます。

先の理屈は、あくまで「選挙に受かる」ことを目的に組み立てたものでした。それでは、「税金の適切な運用」という、政治家本来の仕事をベースに、前提は先の筋とあえて同じにして考えてみましょう。

【前提】
・名前を連呼する選挙カーはうるさい。
・他方、「名前連呼」には効果がある。

【結論】
しかしながら、「政策にまったく関係のない」名前の連呼だけの選挙カーは、「政策を広く知らしめ、国民に賛同を得る」ための選挙運動の本義からは外れるため、税金を使うことはできない。まして、マイク等を使った車上からの名前連呼が国民に「うるさい」という生活上の不利益を生じさているのであれば、即刻やめるべきだ。

と、ならないでしょうか?

「選挙のための名前の刷り込み」が目的ならば、税金の無駄や国民の不利益も「問題なし」という理屈で政治家になった人が、市民国民のために税金の無駄遣いをチェックできるものなのでしょうか?

「大丈夫、それはそれ、これはこれなのだよ。」という、きわめて「政治家センセ」的回答以外に、しっかりした理屈があるのなら教えてほしいと思います。

高橋 富人
佐倉市議会議員。佐倉市生まれ、佐倉市育ち。國學院大學法学部卒。リクルート「じゃらん事業部」にて広告業務に携わり、後に経済産業省の外郭団体である独立行政法人情報処理推進機構(IPA)で広報を担当。2018年9月末、退職。
出版を主業種とする任意団体「欅通信舎」代表。著書に「地方議会議員の選び方」などがある。