拉致事件は北朝鮮への迎合の結果か
2002年9月17日に開催された日朝首脳会談において朝鮮労働党総書記の金正日氏(2011年没)が自国工作員による邦人拉致を公式に認めた。
戦後日本で外国政府による日本国民への人権侵害でこれほど衝撃的だったものは他にないだろう。
日本史を顧みても外国の軍隊による攻撃自体、稀な話であるため「外国の工作員」による攻撃は拉致事件公式化までは一般の日本人にとっては創作の世界の話だった。
もちろん一部の専門家やジャーナリストは北朝鮮による邦人拉致を指摘していたが、その指摘は大勢にならず、小泉純一郎という日本社会ではどちらかと言えば「非常識」に属する人間の行動によって公式に認められたのである。
そして邦人拉致が公式に認められたことで旧社会党(現・社会民主党)系列の左派は決定的打撃を受けた。
旧社会党は朝鮮労働党と極めて密接な友好関係にあったにも関わらず拉致問題の解決には全く貢献せずそれどころかその存在すら否定した。
旧社会党のこの姿勢は完全に北朝鮮への迎合である。
自民党も55年体制の談合政治の影響か野中広務氏のような親北朝鮮派が幅を利かせ、これが拉致事件の発覚を遅らせた。
政党だけではない左派の立場を採るマスコミ・言論人はこの問題にほとんど貢献しなかった。
彼(女)らは平和や人権を守らなかった。左派の口から放たれる「平和」や「人権」は所詮、自己正当化・立身出世・他者攻撃、要するに他人より優位に立つための「方便」に過ぎなかったのである。
旧社会党を始めとする左派の北朝鮮への迎合が拉致事件の半ば「呼び水」の役割を果たしたことは否定できまい。
そして今でも左派は外国に迎合している。その迎合先は韓国である。
日韓関係を破壊する「左翼治外法権」
現在、日韓関係の悪化は深刻である。韓国側の対日批判は限度を超えており、一部韓国人が行っている日本製品の不買運動や旭日旗を弾劾する姿勢は正視に耐えない。
我々がまず確認しなくてはならないのは被害者や加害者の肩書を強調して他人を「断罪」することは大した行為ではないということである。はっきり言って「断罪」は誰でも出来る。評価に値しない行為であり未熟な人間が行うことである。
だから日韓の歴史認識問題は未熟でただ騒ぐことが目的な一部韓国人に消費されているのではないだろうか。
もし現在の韓国に安易に妥協したら、韓国の対日批判は「行くところまで行く」可能性も否定できまい。
こうした韓国の過激な姿勢に迎合しているのが日本の左派系大学人・マスコミ人である。
参照:韓国は「敵」なのか
朝日新聞の従軍慰安婦の誤報に代表されるように、これら左派系大学人・マスコミ人が韓国左派に迎合した結果、日韓関係が破壊され過激な一部韓国人の台頭を許している。
日本の左派系大学人・マスコミ人と韓国左派は兄弟・姉妹のような関係であり、彼(女)らがいる限り日韓関係は修復されない。
それにしても何故、左派系大学人・マスコミ人はここまで韓国左派に迎合するのだろうか。その一つの理由として彼(女)らが保護産業の住人だからである。
日本の大学、特に私大は補助金依存度が高く自立経営が出来る大学は少ない。新聞は独占禁止法の一部適用除外措置(再販制度)を受けているし、来月の消費税増税も免れる。放送局も行政(総務省)との距離が極端に近く新規参入は事実上、出来ない。過去の放送内容も民放は公開しない。久米宏氏や田原総一朗氏が過去のニュース番組で何を語ったのか我々国民は検証も出来ないのである。
何よりも「記者クラブ」に加入しなければ政治・行政情報にアクセスすることも困難である。
これら大学・マスコミへの優遇措置は「学問の自由」「大学の自治」「報道の自由」の大義名分で正当化されている。それだけではない。これらの大義名分が大学・マスコミへの批判を妨げている。
「学問の自由」「大学の自治」「報道の自由」は自由社会の発展に寄与することが期待されているわけだが、実際に起きていることは逆である。
もちろん韓国に迎合している大学人 ・マスコミ人は全体の一部だろう。
しかし保護産業の場合、内部で極端な行動に出る者を抑制するインセンティブは弱い。
自分の同僚が韓国左派に迎合し、それを不快に思ったとしても、その迎合が所属する組織に悪影響を与えなければ「見て見ぬふり」をするのが普通の感情ではないだろうか。
こうした保護産業は自由社会の盲点である。
日本はマクロな視点で見れば自由社会だが、ミクロな視点ではそうではない。我々が住む社会には「治外法権」と呼べる空間が存在し、ブラック企業はその代表例である。
そして大学・マスコミも「治外法権」と呼べないだろうか。
韓国左派に迎合する大学人・マスコミ人は「治外法権」の住人、言うなれば「左翼治外法権」の住人であり、外部からの批判が困難なため思想が腐敗し韓国に対日「断罪」の理論を提供する存在に成り下がってしまった。
「韓国は『敵』なのか」という主張の裏には大学人・マスコミ人の思想的腐敗がある。
この「左翼治外法権」が日韓関係悪化の原因である。
美辞麗句では自由社会は守れない
日韓関係の修復には規制改革を通じた「左翼治外法権」の正常化が必要だが、それが政治的に極めて困難であることは容易に想像出来る。
ネット上では「左翼治外法権」の住人とその支持者はしばしば「反日」と呼ばれる。
この「反日」という言葉は非常に評判が悪い。ほとんど罵倒語のような扱いを受ける。しかし「反日」は罵倒的な意味しかないのだろうか。罵倒以外の側面もあるからよく使われているのではないだろうか。必要なのは「反日」の罵倒的要素を抜き議論を活性化させる言葉に転換することではないだろうか。
そういう趣旨で以前、筆者は「反日」について記した。
参照拙稿:「反日」は市民権を獲得するか?
現在、この論説に修正を加えるならば国内の「反日」の主体は「日本人」としたが、これを「日本在住者」に修正したい。現在の日韓関係を巡る騒動を見てもわかるように国内では日本人だけが対外関係を議論しているわけではないからである。
上記の論説も踏まえて言えば単に日本や日本人を批判する行為を「反日」と評価すべきではないが、外国、少なくとも韓国のように公然と著しい侮辱や挑発を行う国や中国・北朝鮮のような独裁国家の利益のために日本の利益を害する行為は「反日」と呼んでも問題ないのではないだろうか。
ともすれば外国のしかも侮辱や挑発を繰り返す国や独裁国家の政府が前面に出てくる分野で一般人が自由に主張するのは極めて困難である。
だから、自由社会を守るためにこの分野においては「反日」に「市民権」を付与することをためらうべきではない。
望ましいのは「反日」という言葉を法的に定義し、その実態を調査・公表し外国の不当な干渉を拒否するための政策論争を活発化させることである。
「平和」「友好」といった美辞麗句だけでは自由社会は守れない。もちろん「嫌韓」でも守れない。
本稿ではあえて「反日」に「市民権」を付与することが自由社会の防衛に繋がるとした。
もちろん別の言葉があればそれはそれで結構な話だが。
高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員