欧州諸国が「日本モデル」踏襲 ~ 日本人は「日本モデル」を誇りに

篠田 英朗

マスク着用の学生たち(9月撮影、オーストリア・ザルツブルク大学flickr

欧州諸国で新規陽性者の拡大が見られている。だが、すでに指摘したように、死者数は、3月・4月の時期のように新規陽性者に比例しては増加していない。日本と同じような傾向を見せているのだ。

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7月以降の日本では新規陽性者数の拡大が見られ、新規死者数も増加したが、3月・4月とは異なる比率でしか増加しなかった。全く同じ現象が欧州で起きているように見える。

確認しておこう。日本では、7~8月の新規陽性者数は、4月の水準を大きく上回った。しかし死者数の増加は抑制され続けた。ただし、全く増加しなかったわけではない。増加はした。ただ、3月・4月の時点よりも明白に抑制されていた。そのように死者数の増加を抑制し続けているうちに、新規感染者数も抑制した、という流れであった。

現在、欧州では、新規陽性者数の顕著な増加が見られている。一部諸国では、3月・4月の水準を上回っている。ところが欧州全域で、死者数の抑制が図られている。日本と同じだ。

もっとも死者数は、時間差をおいて、増加はしてくるだろう。すでに漸増する兆しが見られる。しかし発症から死亡までの期間は、平均で2~3週間と言われる。数カ月も時間差を置いて死者数が比例的に増加することまでは考えられない。現時点の欧州における死者数の新規陽性者数に対する比率(致死率)は、3月・4月の時点とは全く異なる、と言えることは明らかだ。

日本では、「日本の死者数が欧米より少ない」ことに着目した様々な「仮説」が出されてきた。しかしそうした「仮説」の根拠になっているのは、「3月・4月の欧州よりも」日本の死者数は大幅に少ない、という点であった。

これに対して私は、繰り返し、「3月・4月の欧米諸国の致死率が異常だっただけに過ぎない」という趣旨の文章を書き続けてきた。そして、「世界の中心は欧米諸国で、世界で信頼できるデータは欧米諸国と東アジアに関するものだけ、科学者にとっては欧米諸国と東アジア諸国以外の国々など存在していないに等しい」主義の方々を批判してきた。

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3月・4月の欧米諸国の致死率は異常だった。ただし、現在の欧州と、7月・8月の日本を比べるならば、むしろ酷似している。新規陽性者の大幅な拡大が見られるのに、新規死者数は抑制されたままなのだ。

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前回私が世界各国の動向を一覧で示したのは7月13日だったので、そこまでの時点の致死率と、それ以降9月25日までの致死率を比べてみよう。

かつて世界最悪の致死率を示しながら、劇的な改善を図っているEU主要国であるフランス、オランダ、ベルギー、ドイツなどが位置する西欧地域を例にとってみると、6月15日時点で致死率は11.2、7月13日時点の致死率は10.6だったが、9月26日時点の致死率は5.34まで劇的に下がっている。

これはどういうことかというと、7月13日から9月26日までの期間の西欧諸国の新規陽性者数593,151人に対して新規死者数は2,659人であり、致死率は実に0.4%という驚異的に低いレベルにまで抑制されているのである。

ちなみに同時期の日本の致死率は、0.9%である。日本の致死率も1%未満という好水準に抑制されているのだが、過去2か月余りの間だけをとれば、西欧の成績のほうが日本より良いのだ。

新規陽性者の拡大時期にずれがあるため、7~9月の致死率は日本に不利に働く要素はある。欧州の死者数の微増の傾向は見せ始めており、致死率も微増する可能性がある。それにしても3月・4月の西欧諸国が、実に10%を軽く超える致死率という異常値を見せていたことを考えると、劇的な変化が起こったことは明らかだろう。

私はすでに7月上旬の文章で、欧州の致死率が顕著に低下していることに注目すべきだと書いていた。そもそも感染者の10%以上が死亡するといった異常値は、3月・4月の欧州諸国くらいでしか確認できなかった。その後、欧州諸国は世界平均の動きを見せ、今や日本に匹敵するくらいの良好な成績を見せているのである。

日本では、旧専門家会議が2月中旬に招集され、医療崩壊を防ぎ、重症者対処に焦点をあてる方針が確認された。

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それは、裏を返せば、2月の時点ですでに日本では新型コロナの封じ込めは不可能である、無理な封じ込め政策はかえって混乱を招く、という英断の所産であった。

旧専門家会議(現「分科会」)の中心メンバーであり、「日本モデル」の最重要人物と言うべき押谷仁・東北大学教授は、著書で次のように述べている。

このウイルスに関しては、自国だけで完結した封じ込めシナリオは成り立たないのです。日本で大きな流行が起きそうになった時に最も懸念されるのは、重症者が急増することで医療の限界を超えてしまうことです。それが起きそうになったら、徹底的に社会活動を制限して、ウイルスの拡散を止める。いったん落ち着いたら、また淡々とクラスターを潰していく。そうした長期戦を覚悟する必要があります。(押谷他『ウイルスVS人類』96頁)

押谷教授(東北大HPより)

私は、こうした押谷教授の感染症の専門的知識に裏付けられた深い科学的洞察と、WHO勤務経験に支えられた政策裁量範囲の現実的判断が、「日本モデル」の土台を形成していると評価している。そしてそのことが、初期対応の混乱にもかかわらず、日本が比較的良好な対応を見せていることの大きな要因だと考え、押谷教授を国民の英雄と呼んでいる。

押谷教授の考え方にそって日本で強調されることになった「三密の回避」は、すでにWHOが公式に推奨する考え方になっている。3月には封じ込めに躍起になっていた欧州諸国も、今やその基本メッセージを素直に受け入れている。そして結果を出してきている。

いわば欧州諸国は「日本モデル」を踏襲する路線を進み始めているのである。

このように言うことは、もちろん、「日本モデル」が、永遠に(相対的な)成功を続ける、と断言することとは、違う。

しばしば統計処理に走りすぎる方々が誤認されているように見えるが、新規陽性者数の拡大も、致死率の抑制も、すべて「人間的な」営為の所産である。致死率の低下に、何らかの知られざる要因があるのかないのか、私は知らない。

しかし、高齢者と慢性疾患保持者の脆弱性に対する社会的認知と政策的配慮が働けば、致死率は下がる。ウイルスの完全な封じ込めが不可能であっても、押谷教授らの業績により、「三密の回避」などの人為的努力によって感染拡大の抑制を図ることが可能であることも知られている。

それらは全て自然法則のようなものに支配されている事柄ではなく、人間的な努力の有無によって大きく影響されるような事柄なのだ(ただしそれは必ずしも「西浦モデル」が要請する「人と人の接触の8割削減」ではない)。

欧州諸国は、そのことの意味を当初は誤認していた。しかし後に是正した。そして今はその成果を見せている。

新型コロナをめぐって、何やら数理モデル的な理解が流行りすぎている。だが、新型コロナ対策は、むしろ「人間的な」営為によって有意な差が作られる、ということを、もう少し重視すべきではないだろうか。

そして、そのことを深く洞察する押谷教授の「日本モデル」路線の比較優位を、日本人は素朴に認めたうえで、さらなる深化の方法について真剣に検討していくべきではないだろうか。

また新規陽性者数が拡大すれば、「煽り系専門家」の毎度おなじみの「日本は2週間前のNYだ」論でひと稼ぎしようとする輩がはびこるのだろう。

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うんざりする。無責任なメディアに騙されることなく、「日本モデル」の比較優位性に自信を持ちたい。