西浦博教授の著作を読んで思うこと

篠田 英朗

rockdrigo68/iStock

新型コロナの「第三波」はまだ終わりが見えず、苦しい状況が続く。ここで最も警戒すべきは、「生命vs.経済」の図式にのっかった二項対立的な社会の分断だ。二極分化の構図は、全ての建設的な議論を無効化する落とし穴のように働いていくだろう。

参照拙稿:新型コロナ、日本人が最も恐れるべきなのは「社会の分断」であるワケ(現代ビジネス)

そんな中、西浦博教授の新刊『新型コロナからいのちを守れ!』を読んだ。かなり威勢のいい題名で少し身構えるところがあったが、内容は落ち着きのあるもので、感銘を受けた。

西浦 博:川端 裕人
中央公論新社
2020-12-11

冒頭の「はじめに」における「一、自らの研究者としての実力は確かであり、それを役立てられること」という宣言から始まるのは、やはり身構えざるを得ないようなものである。

ただ、本文中では、自分が頑張らなければ日本における理論疫学/感染症数理モデルを専門にする後進に迷惑がかかる、という心情で身構えてしまっていることの説明が何度か吐露されており、それは本心なのだろうということは伝わる。

つい先日、西浦教授から直接ツィートをいただくという光栄があった(ちなみに私は西浦教授のフォロワーだが、西浦教授は私のフォロワーではない)。

11月25日の記事で西浦教授が「都市部では指数的関数的拡大」が見られると話しているのを見て、私が果たして本当に「指数関数的拡大と言えるのか」という疑問を提示したためだ。私は11月27日のブログで疑問を提示しているので、西浦氏のツィートの内容は該当しないと、自分自身のツィートでつぶやいた。

新規陽性者数:本当に「指数関数的」拡大なのか?(アゴラ)

その際、少しRtが1以下にならないという問題があるのはわかるが、それは「指数関数的拡大が起こっているか」という話とはまた別だろう、といったこともつぶやいたのを、おそらく西浦教授のファンのどなたかが西浦教授に通報したのだろう。

西浦教授は12月7日の私の記事の題名だけを見て反応されたのだろう。しかし12月7日記事は、27日ブログで書いたことの追記のようなものに過ぎない。私がそのことを述べると、西浦教授は冷静になってくれた。

大変な渦中を潜り抜けられたので物事に過敏になられているのは当然だろう。もちろん私が西浦教授について何度も書いてきている人物であることも関係しているかもしれない。

私が最初に西浦教授について書いたのは、3月23日だ。

「密閉・密集・密接」の回避は、「日本モデル」の成功を導くか(アゴラ)

私の西浦教授への期待は大きく、私は次のように書いた。

今、日本において、西浦教授ほど重要な人物は他にいないのではないか。私が政治家なら、即座に巨額の研究資金を西浦教授に預けるために奔走する。間違っても来年度の研究費の申請書作りなどのような事柄に、西浦研究室のメンバーを従事させてはいけない。

しかしその後、ツィッターでの発信などに余念がなく、研究者というよりも社会運動家のようになってしまったように見える西浦教授の姿に、僭越ながら私は不満を覚えるようになる。

社会運動家化する「専門家」たちの「責任」

「42万人死ぬ」の記者会見の後は、こうした行動は研究者としての西浦教授ではなく、社会運動家としての西浦教授の行動なのではないか、という疑念がいよいよぬぐえなくなった。

西浦教授に研究者に戻ってほしい

西浦教授に対しては「最悪の被害想定を述べただけだ」という擁護論が根強いが、それは4月15日の時点で記者会見を開いて披露した見解の正当化理由としては、不十分だ。

新規感染者数がすでに鈍化し始めていた段階でなおそのような発言で人々の不安をかきたてること努力をすることは、マラソンの途中で、急に50メートル徒競走の全速力を子どもに命じているようなやり方で、全く長期戦向きではない。私はそう考えた。それでその後もこだわり続けることになった。

西浦モデルの検証⑧ 西浦教授は専門家会議から撤退せよ

安倍首相に贈る日本モデルへの賛辞 〜 日本モデル vs. 西浦モデル2.0の正念場⑧

今回の著作では、私こそが真の専門家、といった肩ひじを張ったトーンの文章だけでなく、西浦教授の率直な思いも語られているのが興味深かった。「42万人死ぬ」事件の述懐について引用させていただきたい。

押谷先生とは、この件では事前に打ち合わせができていませんでした(発表の当日朝に電話しようとしてくださっていたとご本人からうかがっています)。この後、第一波の間にこの話についてもっとも気を揉んでくださったのが押谷先生なのですが、先生は体調を崩されてあまり出てこられない時でもありました。それで、後々に押谷先生からは、「これは首相が言うべきことなんだ」「調整が整わないんだったら言ってはいかんのだ」といったふうに諭されました。僕が世間から批判されるのを誰よりも心配してくださったから、ここで相当に私を叱ってくださったのですよね。

一方で、激昂されたのは、「励ましが足らない」ということです。ここで何人死ぬというようなメッセージは脅し・恫喝に近いニュアンスのようにさえ受け取られるリスクがある。専門家で今後の対策を思慮深く考えるならば、「いま自粛すればゼロが一つ二つ取れていく」という話をもっと強調すべきだった、と僕も反省させられました。

実際のところ、僕だけではなくて押谷先生はこの件について「西浦さんが困難な立場に置かれたじゃないか!」と前述の科学コミュニケーションのチームに対しても強く苦情のように話されてきました。それ以降、押谷先生は何度も「俺たちはデータ分析に徹するべきだ」「リスク管理に立ち入りすぎたらいけない」「緊急オペレーションセンターには広報部署は要らないんだよ」と主張されました。表舞台でもほとんど話さなくなり、実際に押谷先生は事後検証の新聞やテレビのインタビューなどもほとんど受けられなくなったのです。

武藤先生にもずっと後になって間接的にチクッと言われたんですけど、僕はピュアにやりすぎている、と。僕自身ももっと賢くならないといけないんだなと教えられました。
(『新型コロナからいのちを守れ!』[中央公論新社]186-187頁)

非常に興味深いやりとりだ。私はこれらの方々に全く面識がないのだが、関心をもって発言を追っているうちに抱くようになった人物像そのままである。

西浦教授に「ピュアな」正義心があふれていることに疑いの余地はないだろう。そのために強固なファンがついているし、同時に批判者もついた。

押谷仁教授(東北大HPより)

押谷教授は、その正義心にも、厳しい言葉を発したという。押谷教授の徹底したストイックな姿は、研究者の鏡だ。私は学者の端くれとして、こうした鬼気迫る学者の発言には、心を震わせられるものを感じる。私のようなうだつの上がらない平凡な学者にとっては、圧倒的な魅力だ。研究者の鏡と呼ぶべき人物が、研究者として社会に多大な貢献をしている事実に、ただ素直に感動を覚える。

私は西浦ファンの間では西浦教授の批判者として知られているようだが、私個人の気持ちとしては、私は、要するに、尾身会長と押谷教授のファンである。そのことは繰り返し表明しているし、お二人を何度も「国民の英雄」と呼んで称賛してきている。

西浦教授の行動に批判的なことを書いてきたのも、西浦教授の正義心が「真の専門家の科学的な行為」になってしまい、押谷先生のようなスタイルが埋没してしまうことを、非常に不満に感じたからだ。要するに、私は尾身先生や押谷先生を、微力ながら守りたいだけなのである。

そのため私は、今回の著作で、西浦教授が繰り返し尾身会長や押谷教授を称賛しているのを読んで、深い安どの気持ちを覚えた。

西浦教授には、分科会から外れたところで、さらにいっそうの研究で貢献し、外から尾身会長や押谷教授を助けていっていただければと、切に願う。