龍馬の幕末日記⑤ 坂本家の給料は副知事並み

2021年01月05日 06:00

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」 』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。

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坂本家は、161石取りという金持ちの郷士である。父の八平は坂本家の跡取り娘である幸と結婚して婿養子となって、このときすでに39歳だった。諱は直足、常八郎、長兵衛と呼ばれていたこともある。

160石だと三分の一くらいが年貢の実収であるが、米一石がだいたい一両である。だから、年収は50両余りである。

それでは、一両がどれくらいかということについて、少し考えてみよう。

まず、最もオーソドックスな計算は、金貨としての小判を現代の金価格で計算する方法だろう。江戸時代を通じて小判は改鋳され続け、慶長時代のものなどと比べると質がだいぶ悪くなっていた。天保時代だと小判には金6.4グラムしか含まれておらず、これは21世紀に入ってからの平均的な相場では最近の金1グラムが約1500円であることから計算すると、一万円くらいにしかならないのである。つまり、50石の武士の年収は税引き後であるが、20万円ということになる。

しかし、それでは、身も蓋もないので、もう少し別の計算をやってみよう。これもよくされる計算だが、米価を基準にするのである。米価を基準にすると内外価格差の問題があって、国内価格だと年収100万円だが、国際価格でなら20万円といったところだ。先述の通り、米一石=一両がひとつの標準だった。米一石とは、2.5俵、150キログラムであり、そこから現代の米一キログラムが300円台だとすると、5万円くらいだというのである。だとすると、年収は100万円になる。

しかし、現代の日本では、政府の保護のもとで、米価はほかの物価より高い政策価格となっており、グローバルマーケットと比べると先進国の2倍、発展途上国の10倍といわれている。平均して5倍と計算すれば、国際価格としては、だいたい一両は一万円ということになる。だとすれば年収は最初の計算と同じく、20万円ということになる。

ほかにも、諸物価を基準にすると、品目の性質によって違うが、江戸の諸物価などから、感覚的には4文が100円という計算がある。6000文が一両だから、これだと、一両は15万円ということになり、年収は税引き後で300万円である。

金の価格を基準にすると、単純に平成になってからの平均金価格で計算すれば一両が一万円になるが、物価を基準にすると5~10万円だ。大工さんの手間賃を基準に所得水準を計算すると、一両が30万円くらいの感覚になる。

つまり、現代の所得水準で言うと、坂本家の税引前の年収は金価格だと50万円、物価を基準にすると250~500万円以上、人件費を基準にすれば1500万円以上で、現在の高知でなら副知事クラスということになる。

しかも、親戚で城下有数の豪商である才谷屋の援助もあったようで、暮らし向きは大変豊かだった。いってみれば、部長クラスではないがいろいろな事情でそれと同水準の高い給料をもらい、そのほかに財産収入も多いという特殊なサラリーマンみたいなものだ。

それから、父はもともと「白札」(後に説明する)という上士並みの格式を誇る郷士・山本覚右衛門の次男で、その姉の子が土佐勤王党の創設者となった武知半平太である。母は幸といって父よりひとつ年下である。

※本稿の内容は、『江戸三〇〇年「普通の武士」はこう生きた』 (ワニ文庫)による。

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評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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