「女性蔑視」発言:一過性で終わらせてはいけない

太田 房江

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言を巡る騒動は、森会長の辞任で終わらず、後任に有力視された川淵三郎さんも辞退される混乱が続きましたが、橋本聖子さんが五輪担当大臣を辞任されて新会長に就任。大臣職は丸川珠代さんが引き継ぐことになりました。

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森発言の何が問題だったか

森前会長の発言が女性蔑視ではないのか、という非難が巻き起こっています。発言全文(参照:日刊スポーツ)を読みますと、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」「発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る」などとラグビー協会引き合いにして語っておられます。

これは森さん個人の見解というよりも、「誰が言ったかは言いませんけど」と述べられているように、協会関係者の意見を“身内の恥”として紹介したようにも見えます。また、そのあとのくだりで女性理事の多い組織委員会と対比しつつ、女性登用の意義を述べたようにも見えます。

森前会長のご長女と孫娘さんがメディアの取材に応じて、女性蔑視を感じたことはない旨の回答をされているように、森さんに悪意があったのではないでしょう。実際、20年前、初の女性知事を目指し、私が大阪府知事選に出馬して当選した際、当時自民党幹事長だった森さんは、野中幹事長代行とともに熱心に応援してくださり、初の女性知事誕生にご尽力賜りました。

しかし、森さんの本来の思いがどうも伝わっていないどころか、説明が極めて不十分だったことも含めて、世論の誤解を招き、実質公人ともいえる立場での公の場での発言としては不適切だったことは否定できません。

全文を読まれた方でも批判されている理由の一つに、森さんが持ち上げたつもりの組織委員会の女性理事についても「わきまえておられる」と述べたあたりに、男尊女卑の価値観がにじみ出ているというものがあります。この日のスピーチは予定外のことだったようで、不用意な言葉遣いになってしまったのかもしれませんし、森さんに悪意がなかったとは思いますが、結果として、スポーツ界の旧態とした体質が変わっていないのではないかと憶測を招いてしまいました。

振り返れば、ラグビー協会で2013年、女性理事が初めて登用されたのは、当時、女子柔道の日本代表選手に対するパワハラ事案が社会問題になったことがきっかけでした。ラグビー協会としてはW杯の自国開催をめざしていたこともあり、ダイバーシティを尊重し、風通しのよい組織運営をしようと改革したはずで、当時会長だった森さんはその流れを作ったはずです。初の女性理事になられた稲沢裕子さんが今回の騒動後に驚かれたのは当然だと思います(参照:毎日新聞)。

「一過性」で終わらせてはならない

思えば私が大阪場所で優勝力士に賜杯を渡すために男性知事と同じく土俵に上がりたいといってから20年余り。女子柔道の問題が起きてからでも8年余り、スポーツ界全体の体質が変わっていないと印象付けることになってしまいました。

土俵問題で世間をお騒がせした経験から思う「社会的教訓」があります。騒動がたびたび起きても、一過性の問題に終わりがちで、その場しのぎの女性登用を進めたところで根本的な解決にはならないということです。男女格差をはかる「ジェンダーギャップ指数」において、日本は153か国中121位(2019年世界経済フォーラム)と、G7でダントツの最下位。中国や韓国にすら劣っているという厳然たる事実があります。政界やスポーツ界だけの話では全くなくて、メディア、企業、私たち社会の構成員一人一人に突きつけられています。

私自身も率直に反省をすると、知事時代、土俵問題では大阪場所の時期になるたびに、マスコミから取材されては「今年こそ土俵に上がりたい」と申し上げましたが、問題提起にとどまってしまった感はありました。もちろん、府知事時代に、庁内のジェンダーギャップ解消に向け、幹部に女性登用を積極的に押し進めましたが、身内のことだけではなく、もう少し社会を巻き込む動きができていればと忸怩たる思いがあります。

日本がデジタル化などの産業構造の転換に遅れた「平成の敗戦」は、この男女格差解消が進まなかったことも大きな要因です。デジタルの世界では、テレワークなど、女性の能力発揮のための環境が整い、男女がフラットに競争し、高め合うことができます。いま菅政権が最も力を入れているデジタルとグリーンは、まさに女性の力を発揮しなければ成功しないのです。初の女性知事として政治生活をスタートした私自身の「集大成」として、ジェンダーギャップ解消に取り組む決意です。