今月半ば菅総理は就任後初の外遊先となる米国で、これも就任後初めて外国首脳を迎えるバイデン大統領と会談する予定だ。就任して80日、未だ大統領としての一般教書演説(正確には両院合同会議演説)すらしていないバイデンだが、この会談で中国問題が主たる議題になることは間違いない。
筆者は、先のアラスカ米中会談を「米国にとって不要な会談」とし、ウイグルに関する「制裁」も「効果がない」ので「北京五輪ボイコット」を勧め、また香港問題で米国は「香港ドルと米ドルの自由兌換」の「優遇措置を停止」を推した。つまり米国(と西側諸国)は「肉を切らせて骨を断て」ということ。
菅総理はバイデンと中国問題を話す時、日本にとって何の益もない気候変動をバイデンが持ち出す前に、機先を制して台湾の承認問題を議題に上げることを筆者は提案する。なぜかといえば、台湾の独立こそが、取りも直さず尖閣問題の解決にもつながるからだ。以下にその理由を述べたい。
尖閣諸島が日本の領土であることは外務省のサイトに詳しく述べられており、これを読めば中国と台湾(おそらく朝鮮半島も)を除く国際社会は尖閣が日本の領土と理解しよう。が、韓国による竹島不法占拠やロシアとの北方領土交渉を顧みれば、理屈や話し合いで領土問題が片付くとは思われない。
そこで尖閣諸島だが、中国による尖閣領有の主張はもっぱら台湾に絡めてのものだ。良く知られるように、台湾と中国が尖閣領有の主張を始めたのは、69年5月の国連アジア極東経済委員会(ECAFE)による学術調査で、東シナ海に石油埋蔵の可能性があると指摘された直後のことだった。
日中共同声明の詰めの交渉が行われていた72年9月27日、周恩来総理は田中角栄総理との会談の中で「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」と述べている。
その1年前の71年12月、中国外交部は尖閣諸島について次のように声明した(以下、何れも外務省による抜粋)。
-・・この協定の中で、米日両国政府は公然と釣魚島などの島嶼をその「返還区域」に組み入れている。これは、中国の領土と主権に対するおおっぴらな侵犯である。・・釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である。はやくも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球、つまり今の沖縄に属するものではなくて、中国の台湾の付属島嶼であった。-
中国はこの声明で明らかに「中国の台湾の付属島嶼」としての尖閣諸島の領有権を主張している。つまり、尖閣は台湾に付属する、その台湾は中国の一部だ、よって尖閣は中国のものだ、と三段論法だ。他方、台湾の領有声明は中国より半年前の6月で、台湾外交部は次のように述べている。
-・・同列嶼は台湾省に付属して、中華民国領土の一部分を構成しているものであり、地理位置、地質構造、歴史連携ならびに台湾省住民の長期にわたる継続的使用の理由に基づき、すでに中華民国と密接につながっており・・米国が管理を終結したときは、中華民国に返還すべきであると述べてきた。-
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筆者が在勤していた12~14年当時の台湾は国民党馬英九政権だった(余談だが、日本も悪夢の民主党政権で、80円を前後する超円高に悩まされた)。08年に総統になった馬英九は中国との三通を促進、相互に数百品目の関税を撤廃するECFAも発効(09年9月)させ、台湾企業の大陸展開が活発化した。
三通とは中台間の通商・通航・通郵のこと。中国は79年から三通を求めたが、李登輝が大陸委員に抜擢した蔡英文と習近平福建省長との交渉で、01年に廈門と金門島が交流する小三通が始まるに留まった。が、馬英九政権になるや中台は直行便を増便するなど、相互の観光客受け入れなどを促進した。
馬英九は12年8月に提唱した「東シナ海平和イニシアチブ」で尖閣の領有権を主張した。9月には旺旺集団の支援の下、多数の台湾漁船が尖閣に向かい、日台の巡視船が日本の領海で放水合戦を演じた。日本が「日台漁業協定」で譲歩して事を収めたが、馬英九は漁船の活動を評価した。
三通による大陸移転で高雄の出口加工区(保税区)も櫛の歯が欠けたようになった。が、昨年来のコロナ禍でサプライチェーンが見直され、台湾回帰で今や満杯状態だ。台湾はコロナを抑え込み、20年のGDPの伸びは1.56%と主要国で唯一プラス、21年も4.64%の伸長を見込んでいるという。
台湾の国立政治大学が90年代から毎年行っている「台湾民衆重要政治態度」という世論調査がある。この中で「あなたは何人か」と「独立か、現状維持か、統一か」との設問の回答は下表の様な推移だ。
(単位*%)
94年 | 10年 | 20年 | 94年 | 11年 | 20年 | |||
台湾人 | 20.2 | 52.7 | 67.0 | 独立志向 | 11.6 | 20.2 | 35.1 | |
両方 | 44.6 | 39.8 | 27.5 | 現状維持 | 48.3 | 61.2 | 52.3 | |
中国人 | 26.2 | 3.8 | 2.4 | 統一志向 | 21.7 | 10.3 | 5.8 |
この26年の間に自分を中国人と思う者、大陸との統一を志向する者が激減した。11年に現状維持が6割を超えたのは三通の効果による「一睡の夢」だったか。その後の習近平政権の覇権主義による脅威で、台湾人アイデンティティーを持つ者が3分の2を上回り、独立を志向する者も3分の1を超えた。
漢族が台湾を支配したのは17世紀の鄭(成功)氏政権の23年間だけだ。次の210年は清朝、即ち満州女真族の支配で、次の50年間は日本が統治した。蒋介石は45年9月2日の一般命令第一号で台湾の日本軍が武装解除した相手に過ぎず、サンフランシスコ講和条約でも日本は台湾を放棄しただけだ。
つまり蒋介石による台湾接収は不当であり、台湾の国際法上の地位は日本が放棄したままの状態だ(北方領土も同様)。仮にそのことは措くとしても、49年10月に成立した共産中国が台湾領有を主張する根拠は、「大陸を台湾の一部」とした蒋介石の「国民党の中国は一つ論」を逆手に取ったものだ。
その蒋介石も今はなく、蒋経国の死に伴う本省人総統李登輝の登場と、彼の下での民主化で疾うに「国民党の中国は一つ論」は雲散霧消した。勿論、民進党蔡英文政権もこれを認めていない。だのになぜ台湾は独立を言い出せないのか、言い換えれば、国際社会はなぜ台湾を国として承認できないのか。
それは偏に共産中国の威圧あるからだ。それでも習近平登場までは、72年のニクソン・キッシンジャー以来の西側社会の中国民主化願望の下、台湾独立は鳴りを潜めた。前述の様な台湾人の意識もあった。香港返還時にも、サッチャーや国際社会は鄧小平の韜光養晦に騙され、大陸の香港化を夢想した。
だがもういい加減にしてはどうか。台湾は独立の声を上げ、国際社会は挙って台湾を国として承認する時期に来ている。これを主導する責任が、かつて統治した日本と戦後の秩序を作った米国にはある。菅総理はバイデンと台湾承認を密約し、台湾に独立を持ち掛けよ。無論、尖閣領有論の放棄が前提だ。
その上で、先ず台湾が独立を宣し、間を置かず日本と米英加豪NZ(ファイブアイズ)、EUとクアッドの一角インドがこれを承認する。この電光石火の一撃に共産中国が打てる手があるとは思われない。共に外交面では少し頼りなげな菅総理とバイデン大統領だが、これで歴史に名を残して欲しい。