地方議会では与党は存在しない:毎日小学生新聞のヒヨコさんに寄せて
毎日新聞「毎日小学生新聞」記事の「なるほどヒヨコ 与党と野党の違いは?」を読み、残念な気持ちになりました。
日本の国政における与党の説明を聞いたヒヨコさんが、記者に「都道府県も同じなの。」と質問すると、記者が「(前略)知事を都道府県議会で応援する政党・会派を議席数に関係なく、「(都道府)県政与党」と呼びます。(後略)」と答えています。
確かに、新聞記事を書く際、「県政与党」とか「市政与党」などと表現することは、限られた文字数を前提とする新聞記事では利便性が高いのかもしれません。
しかし、日本の地方議会のように二元代表制をとり、大臣にあたる執行部幹部が政治家から選ばれない制度において、「与党」や「野党」という表現は適切ではありません。このようなメディアの認識が、先に行われた千葉県知事選挙における「党派性モリモリの記事」を生み、ひいては県民市民の理解をゆがめる大きな原因となっているのではないでしょうか。
この際、日本の地方議会については、与野党を分けて表現することはやめるべきだと考えます。
「議員内閣制」下の国政における与党と野党
日本の国政における議院内閣制では、内閣総理大臣は国会議員の中から指名されます。
もちろん、内閣総理大臣は国民選挙で選ばれた国会議員ですが、「内閣総理大臣選挙」で直接国民から選ばれるのではなくて、現在は最大政党である自民党の中から、国会議員により選ばれています。
また、「●●大臣」などの閣僚の任免権は内閣総理大臣が握っていますので、大臣のほとんどは「政権与党」である自民党と公明党の所属議員から選ばれます。
その意味で、自分たちが選んだ総理大臣が組閣した政権に「与して」国政を切り盛りし、また大臣の人材プールとしても機能する政党が「与党」と表現されることに違和感はありません。
一方、日本の地方議会が採用している二元代表制では、このような「与党」の存在は制度上予定されていません。
二元代表制では首長と議会が牽制関係にある
日本の地方が採用している二元代表制は、国政よりずっとシンプルな構造です。
日本の地方では、首長(県知事や市長など)は、直接県民市民によって選ばれます。また同時に、首長が運営する県や市の執行部に対するチェック機関の人員として、地方議会議員も直接県民市民から選ばれます。
さらに、国政における「国務大臣(例えば「総務大臣」)」は、佐倉市の場合は「部長(総務部長)」となりますが、日本全国どの地方でも、政治家が執行部の「部長」的位置にいる例はありません。つまり、地方議会議員は、行政の人材プールとしては一切予定されていないのです。
以上から、日本の地方政治においては、どのような教科書にも「住民を代表する首長と議会が互いにチェックし合いながら、緊張感とバランスを保ちつつ政策実現すること」が期待されていると書かれているし、制度設計上間違いなくそうあるべきなのです。
他方、地方政治の現場において、「自分は与党議員だ」とうそぶく議員をときどき見かけます。議会は行政のチェック機関なので、上記のような発言は「自分は議員としての仕事をしていない」と言っているに等しい発言でしょう。もちろん、首長の政治姿勢に共感をもつことは議員個人の自由ではありますし、何らかの大儀のために首長の特定政策を一時的に推す、という政治手法は必ずしも否定するものではありません。しかし、地方議会とは構造上、首長に「恒久的に与して」、お支え申し上げる議員活動をする場ではないのです。
その意味で、圧倒的多数の会派が存在し、当該会派自らが与党といってはばからないような議会をもつ地方は、議会は単に「儀式の場」に堕しているという意味において、予算の無駄遣いです。
さらに言えば、議案を通したいために議会多数派との蜜月を維持したい執行部との間で、裏で利権がやりとりされる土壌となるために、議会の存在が「市政にとってかえってマイナス」となるケースも多々あると感じています。
このようなゆがんだ地方政治を「当たり前」なものとしている背景のひとつに、メディアの報道姿勢があると考えます。
そもそも、与党と呼ばれることが当たり前と考える不勉強な地方議員が、こういう破廉恥な振る舞いをすることになるのです。
春日部オール与党体制の「行政と議会の癒着構造」 芦田 祐介(アゴラ)
「毎日小学生新聞」も、ヒヨコさんの質問に対して「知事を都道府県議会で応援する政党・会派」としての与党の存在を認めるようなたわけた回答は改めるべきでしょう。