ヘンリー王子は「犠牲者役」の脱皮を

長谷川 良

ヘンリー英王子夫妻に第2子の長女が誕生したニュースが届いた。朗報の時に今回のコラムのテーマは相応しくないかもしれないが、書き出した。

ヘンリー王子の近況を報じたオーストリア日刊紙クローネン日曜版表紙(2021年6月6日から)

英王室があるロンドンとヘンリー王子夫妻が住む米国カリフォルニア州との間には約9000kmの距離があるが、それが単なる地理的隔たりだけではなく、英王室関係者と米移住者ヘンリー王子夫妻との人間的繋がりの疎遠化とならないことを願いたい。

問題はヘンリー王子夫妻が昨年、突然英王室を去り、米国に移住を決めた時から始まるが、英王室との葛藤は今年3月8日、米国の有名なトークショーのオプラ・ウィンフリーさんとの長時間インタビューが火をつけた。メーガン妃(39)がインタビューの中で「英王室の人種差別」を批判し、「王室に入って以来、英王室の慣習に慣れるために苦労したが、助けを求めても、誰も助けてくれなかった」と述べ、英王室での孤独な日々を語った。「絶望から自殺も考えた」と吐露した時、彼女の目が少し潤んだ。

メーガン妃の人種差別批判は英王室関係者には驚きとショックを与えたことは間違いない。その後もヘンリー王子はポッドキャスト番組やドキュメンタリーシリーズに登場して祖父母エリザベス女王夫妻の子供教育についても批判し、その悪影響はチャールス皇太子だけではなく、3代目のウイリアムと自分へと世代に継承されてきたというのだ。

ヘンリー王子(36)のエリザベス女王夫妻への批判に及んで、英国民はもはや平静ではおられないだろう。英王室内のさまざまな問題点をメディアを通じて全世界に告発するヘンリー王子夫妻に対して、英国民の忍耐も切れかかっている。心の世界の全てを公開することを好む米国文化と、それらをオブラートで包みながら、ユーモアや時には皮肉を交えながら吐露する英国民のメンタリテイとはもともと相いれない。それ以上に、ヘンリー王子夫妻には「我々は犠牲者だ」といった犠牲者メンタリティが強く、自身のメンタルヘルス問題すら公表することを躊躇しない。ヘンリー王子の場合、母親ダイアナ元妃の悲劇も重なってくる。

ヘンリーとウイリアムは独身時代、仲のいい兄弟と言われてきた。ウイリアム王子が冗談で「僕は国王になりたくないよ」と言うと、ヘンリー王子は「それなら、僕にくれて」といったという。兄弟の間では、「ヘンリーは自由を、ウイリアムは特権を」と、一種の棲み分け、役割の分担が行われてきた。

それがメーガン妃とヘンリー王子が婚姻することで、ウイリアム王子夫妻とヘンリー王子夫妻の間には一種の対立が浮かび上がり、両夫妻の間に隙間風が吹き出してきた。ヘンリー王子がメーガン妃の助言に乗って、英王室の負の輪を断ち切るために米国に移住していったわけだ(「英王室に住む『幽霊』の話」2021年3月10日参考)。

オーストリア最大の日刊紙クローネン日曜版(6月6日)ではヘンリー王子の近況を特集していたが、その中でオーストリアの心理療法士、マルティーナ・ライボヴィチ博士は、「ヘンリー王子は自身の内的葛藤、英王室での生活を赤裸々に公開し、聴取者や聞き手に同情を勝ち取ってきたが、その一方、自分は犠牲者だというメンタリテイが自身の中で固定化していった」と分析している。すなわち、ヘンリー王子は常に「自分は犠牲者だ」と考えるようになっていく。その結果、ヘンリー王子は犠牲者ステイタスから抜け出せなくなり、犠牲者メンタリテイの犠牲者となるというわけだ。

それでは犠牲者メンタリテイはどこに起因するのだろうか。聖書学的にはカインとアベルからともいえる。神の祝福を受けたアベルと祝福を得られなかったカインとの戦いから始まったというわけだ。それがヤコブの時代に入って、兄エソウとのヤコブの和解が成立したことから、勝利者を意味するイスラエルという呼称が与えられたといわれている。

聖書の話をしなくても、英国民なら兄弟間の葛藤と言えば、英ロックバンドのスター、オアシスの兄ノエル・ギャラガーと弟リアム・ギャラガーとのいがみ合いを思い出す人が多いかもしれない。ギャラガー兄弟のいがみ合いから最終的にはグループは解散に追い込まれていった(最近になって、兄弟の和解が進んでいて、グループの再結成という話も流れてくる)。

ただ、犠牲者メンタリティはカインとアベルの兄弟間の戦いよりもっと広範囲の世界、神から愛されている者とそうではない者の間の葛藤から生まれてくるのもではないだろうか。米国では少数派の権利を擁護する人種差別反対運動や性少数派(LGBT)擁護が広がっている。民主党が選挙対策の一環として「黒人は常に犠牲となっている」と口癖のように主張してきたこともあって、多くの黒人は、「自分たちは犠牲者だ」と信じている。「自分はあなたよりもっと犠牲となった」と、犠牲者争いのような状況すらみられる。その犠牲という言葉の背後には、「私はあなたのように愛されてこなかった」という告発が潜んでいることを見逃してはならないだろう。そのため、「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」運動は時には攻撃的な言動に走る。アピールではなく、告発だから、加害者を見つけ出して訴えなければならないからだ。

欧米社会では弱者、犠牲者を過大に擁護する傾向がある。その結果、そのステイタスに甘んじる少数派が増えてきている。社会学者はそれを「犠牲者メンタリティ」と呼んでいる。犠牲者メンタリティは「われわれは多数派によって迫害され、虐待されてきた。全ての責任は相手側にある」という思考パターンだ。フェミニズム、ミートゥー運動もその点、同じだ。しかし、それが行き過ぎると、弱者、少数派の横暴となる一方、強者=悪者説が広がり、強者は守勢を強いられる。社会は活力を失い、健全な社会発展にもブレーキがかかる(「成長を妨げる『犠牲者メンタリテイ」2019年2月24日参考)。

ヘンリー王子の「犠牲者精神」に戻る。36歳の王子の話を聞く世界の聴取者は彼に涙と同情を禁じ得なくなる。ヘンリー王子がメーガン妃のように俳優出身だったら、その役を終わると、化粧落としをする。そして次の台本に基づいた新しい役作りに取り組む。しかし、ヘンリー王子は俳優ではないので、いつまでその役を続けるべきか分からない。俳優業の先輩、メーガン妃は、ヘンリー王子が犠牲者役に疲れてきたら素早く助言すべきだろう。「あなた、その役は終わったのよ」と。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年6月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。