謀略と欺瞞にまみれた中国共産党100年を糊塗する習演説

高橋 克己

100周年を迎えた中国共産党の式典の様子と習近平国家主席の「重要講話」を1日の報道各紙が伝えている。見出しを挙げれば、「中国共産党が100周年式典 習氏『小康社会』実現宣言」(朝日)、「中国・習氏『台湾統一は歴史的任務』党創立100年式典」(日経)といった具合だ。

祝賀式典での習近平氏 NHKより

「小康」は、同日の環球時報も「Xi declares completion of moderately prosperous society(習は適度に繫栄した社会の達成を宣言)」との記事で、「xiaokang」と斜字体にしている。共産中国が念仏のように唱える、日経の「台湾統一」も予想の範囲だ。

が、筆者は新華社が「China’s national rejuvenation historical inevitability: Xi」と記事の見出しに使った「rejuvenation」という語が目に付いた。

邦訳すると「中国nationalのrejuvenationの歴史的必然性:習」となり、「national」を「国民」とするか「国家」とするか、また「rejuvenation」を「若返り」とするか「活性化」とするか迷う。が、実はこれが「中華民族の復興」なのだ。

習の「夢」とされる「偉大な中華民族の復興」を公式な英訳では、民族を「national」、復興を「rejuvenation」とすると初めて知った。前者は「race」や「people」もあるがやはり「national」かな。だが「復興」は「revival」でも「reconstruction」でも良さそうなのに。

新華社の見出しをAI翻訳すると「中国国民の若返りの歴史的必然性」となる。この英文を読んだ英語圏の人々は、中国が先に3人目まで子供を容認したこともあり、さては習が、超高齢化した少子化社会に突入することを懸念して、新政策を打ち出したか? などと考え違いをしてしまいそうだ。

その新華社のサイトに「Speech at a Ceremony Marking the Centenary of the Communist Party of China」として1日の講話の全文が載っている。ここでは、中文の外にも英文、仏文、西文、日文など様々な言語で読むことができる。

筆者は英文と日文を中文と見比べながら読んでみた。さもないと「复兴(復興)」➡「rejuvenation」➡「若返り」などとする事態に陥りかねない。文字数は中文7,270字だが日文は仮名交じりだからか11,600字と5割増し。英語は字数でなく単語数で5,150語だ。

字数や単語数は「ワード」の検索機能で容易く判る。頻出のキーワードを多い順に並べると、中国136回、人民86回、共产党56回、民族55回、中华53回、复兴26回、革命17回など。中华民族が44回登場するから、民族と中华の単独使用は10回位前後だ。

なぜこんな些末なことに目が向くかといえば、習の講話の中身が余りに貧弱だったからだ。

冒頭で「小康社会」に触れた一節で習は、「あらゆる面で適度に繁栄した社会を構築するという最初の百年の目標を実現したことを宣言することを光栄に思う」とし、「現在、あらゆる面で中国を偉大な現代社会主義国に構築するという次の世紀の目標に向けて自信を持って前進している」と述べる。

が、前進している割に、国際社会にその横暴を糾弾される現況だし、将来ビジョンといえば「今後は、新時代の軍事力強化に関する党の考えと新時代の軍事戦略を十分に実行し、人民軍に対する党の絶対的リーダーシップを維持し、中国の軍事開発への道を辿らねばならない。・・法律に従ってそれらを運営するための包括的な措置を講じる」と暴力に一層磨きをかけるつもりらしい。

「繁栄した社会を構築した」というが、それは事実とは程遠い共産党史、つまり、大逃走を長征と呼び、チベットや南モンゴルやウイグルを侵略し、大躍進や文革での数千万の国民を殺した歴史であり、外国技術の盗取や不公正な補助金、農民工や辺境民族の低賃金の奴隷的労働による経済成長に過ぎない。

これらに口を拭って、「中国は常に世界平和を守り、世界の発展に貢献し、国際秩序を維持するために努力してきた」とか、「党は、平和、開発、公正、正義、民主主義、自由という共通の人間的価値を促進するために、平和を愛するすべての国と人々と協力し続ける」などとえばられても腹が立つだけだ。

さらに次のようにいわれれば、誰もが呆れて読み続ける気になるまい。

中国人は正義を支持し、力の脅威に脅かされていない人々だ。・・我々は他国の人々をいじめたり、抑圧したり、征服したりしたことは一度もないし、そうすることもない。同様に、いかなる外国の力も我々をいじめたり、抑圧したり、征服したりすることを決して許さない。そうしようとする人は誰でも、14億人以上の中国人によって鍛造された鋼の万里の長城との衝突コースにいることに気付くだろう。

では習の「偉大な中華民族の復興の夢」はいつ形成されたか。それは「北京週報」日本語版の「習近平国家主席が『中国の夢』を語る」という記事に書いてある。

習近平は党総書記に就いて2週間後の12年11月29日、「復興の道」展を見学した際、「誰しも理想や追い求めるもの、そして自らの夢がある。・・私は中華民族の偉大な復興の実現が、近代以降の中華民族の最も偉大な夢だと思う」と述べた。

13年3月、習は国家主席として第12期全人代第1回会議でも「小康社会の全面完成、富強・民主・文明・調和の社会主義現代化国家の完成という目標の達成、中華民族の偉大な復興という夢の実現は国家の富強、民族の振興、人民の幸せを実現させるものである」と演説した。

外国訪問でも、13年3月にタンザニアで「中国人民は中華民族の偉大な復興という中国の夢の実現に向けて努力し、アフリカ人民は連合自強と発展振興というアフリカの夢の実現に向けて努力している」とし、同年6月のオバマとの共同記者会見でも「中華民族の復興という『中国の夢』の実現に取り組む。・・『中国の夢』は『アメリカン・ドリーム』と相通じる」などと述べた。

が、筆者は19年5月に「習近平が復興したいらしい偉大な「中華民族」って?」との拙稿で、中国人とは、紀元前に中華または中原と呼ばれる黄河中流域の洛陽盆地で興亡を繰り返していた四夷、即ち「東夷、西戎、南蛮、北狄などの諸種族が接触・混合して形成された都市の住民であり、それは文化上の概念」で、「人種としてはこれらの異民族が混血した雑種」と書いた。

更に、中国という国家も20世紀に至るまでは存在せず、秦や唐、元や明や清という王朝が興亡を繰り返していただけで、元々中国では、国家とは国と家、公的生活と私生活、を意味する対語に過ぎなかったので、中国人や中華民族なる概念もまた存在しなかったとの、岡田英弘氏の説を紹介した。

東アジア史の泰斗岡田氏は、「漢族」という概念が生じたのは、明治以降の日本で正統とされた「日本人は全て天照大神の子孫という思想」を中国人が真似て、「漢族は全て神話の最初の帝王、黄帝の血を引く子孫である」とし、「中国は黄帝の子孫たる中華民族の国」だという観念が発生したからという。

現在の中国国民は、少数民族に分類されるウイグル族、チベット族、満洲族、チワン族、回族、イ族、苗族以外は漢族に分類される。要すれば、漢族という単一民族など存在しない。

後漢から辛亥革命までの王朝を見ても、隋と唐の3百年余は鮮卑の王朝、漢族の宋2百年の後、女真の金とモンゴルの元の王朝が約250年あり、漢族の明王朝280年の後も、女真の清王朝が辛亥革命まで270年続いた。つまり、ほぼ半分は北方民族に支配されていたことになる。

それを踏まえるなら、周縁の自治区や満州などの民族自決を認めることの方が、むしろ空間に過ぎない中国の「rejuvenation」そのものであるまいか、と思う次第だ。