一連の公共契約改革で随意契約は「警戒の対象」となった。指名競争とともに随意契約は不正の温床であるといわれ続け、今では公共発注機関は随意契約が妥当な場面であっても、会計法令上の「随意契約の理由付けが立たない」との理由で、強引に一般競争に持ち込むケースが多くなったように思われる。競争入札をしていれば悪くいわれないという安心感からか、強引に競争入札をして「一者応札」になったり応札者が現れず「不成立」になったりするケースが少なくない。行政コストや時間的制約を無視できれば問題は小さいだろうが、そうではない場合、無視できない問題を引き起こす。少し前の東京都のように「一者応札はやり直し」、という方針を採ったりすれば事態はより深刻なものになる。
ただ公共発注機関が随意契約を完全に止めたか、というとそういう訳ではない。行政にとって避けたいのは「外部からの批判」であって、説明が面倒なものはできる限りしたくないというマインドが働く。だから色々批判される随意契約に躊躇する。しかし、このことは裏を返せば、「説明が容易なもの」には躊躇しないということを意味するものでもある。少額の随意契約がそれだ。少額の随意契約は法令上も「はっきり」と認められているので、この枠に入ればチェックは甘くなる。そこにコンプライアンス上の落とし穴がある。
少額随意契約をめぐる国土交通省九州地方整備局の汚職事件が最近、報じられた。以下、8月24日の西日本新聞の記事(「修理業務、複数回に分け発注 九地整汚職、少額随意契約内に調整か」)より。
国土交通省九州地方整備局関門航路事務所(北九州市小倉北区)が発注したクレーンの修理業務を巡る汚職事件で、収賄の疑いで逮捕された同局職員・・・が、本来は一括で契約できる修理業務を複数回に分けて発注したとみられることが、捜査関係者への取材で分かった。業務規模が小さくなると、競争入札を経ずに随意契約が可能になるため、福岡県警は・・・特定の業者に受注させやすくするために業務を分けた可能性があるとみて調べている。
この少額随意契約についての発注業務はこの「容疑者が1人で担当しており、1回の業務が少額随意契約の範囲に収まるよう調整した可能性がある」とのことで、また「少額随意契約の契約結果は非公表」(同記事)と報じられている。
随意契約はチェックが厳しい。説明責任が重いので、できれば避けたい。競争入札で一者応札になった場合も最近は色々いわれるが、随意契約に対する批判よりもまだ軽いと思われているようだ。それはそれで問題だが(拙稿「『一者応札』は『不正』なのか?〜 公共契約の悩ましい問題」参照)、さらに問題なのが、随意契約の説明が楽なものはその段階で「思考停止」になってしまっているのではないか、ということだ。記事にあるように担当者が1人の判断で業務を分割し少額随意契約で話を進めようとしていたとするならば、それ対して誰も気付かず(気付けず)、何もいわなかった(いえなかった)のだろうか、疑問が生じる。