北京五輪とウクライナ危機とインドのボイコット(後編)

北京五輪に戻れば、ドイツの提督の発言がインドで出ていたのは意味深長だ。「中国台北」との表記を巡り代表団(選手4人ら15名)を開閉会式に参加させないとした台湾は、IOCが動いて「中華台北」に戻り翻意したが、今度はインドが1日、開閉会式に参加しないことを発表したからだ(出場選手は1名)。

(前回:北京五輪とウクライナ危機とインドのボイコット(前編)

4日の『Times of India』は、20年6月の「ガルワン衝突」に関与した人民解放軍の連隊長が五輪の聖火ランナーを務めたことを挙げて、インドは北京が「五輪を政治利用」し、「国際的なイベントで連隊長を祭り上げた」と非難していることを報じた。

なるほど2日の中国『環球時報』を読むと、「ガルワン谷の国境衝突の英雄が北京五輪の聖火ランナーとなる」との見出しで、「インドとの小競り合いで勇敢に戦い、頭部を負傷したPLA連隊長Qi Fabaoが、水曜日に北京冬季五輪の聖火ランナーになった」と報じている。

この衝突でインド兵士20名が死んだことは国際社会に広く知られているが、中国側の死者はこれまで4名だけとされてきた。ところが3日のインド紙『Daily Oは、「中国の38人の溺死兵に関する豪州の報道」について伝えている。

豪州の報道とはニュースサイト『The Klaxon』の記事だ。日米豪印の「クワッド」を形成する日米豪印のうちの豪印の報道機関がタッグを組んで中国に対しているところもこのニュースの「肝」だ。以下に同紙にある「ガルワン衝突」の詳細を紹介する。

この衝突での死者を、北京はPLA兵士4人と公式に認め、21年2月に以下を表彰している。が、同紙によれば、溺死したのは王卓蘭二等軍曹だけではなく他の37人も溺死していた。

  • 王卓蘭中隊長(溺死)
  • 陳宏軍少佐PLA大隊長(衝突で死亡)
  • 陳祥栄二等兵(衝突で死亡)
  • 蕭思淵二等軍曹(衝突で死亡)

この衝突では「一発も発砲されていない」と中印双方が主張している。このことは「核武装した2つの大国間の更なるエスカレーションを避ける目的で、1996年の合意により、実際のコントロールライン内への銃や爆発物の持ち込みが禁止されたため」とのことだ。

ではインド兵20人と中国兵4人がなぜ死んだかといえば、「Fabao連隊長が部下に攻撃を命じた際、インド軍に囲まれた陳宏軍と陳祥栄が、鉄パイプ、棒、石を持って乱闘を始め、蕭思淵も加わった。Fabaoは逃げ出せたが、3人が死亡」し、38人の溺死は「撤退しようとする兵士がパニックに陥り、王中隊長が仲間を助けるべく氷点下の川を渡ろうとした時、暗闇の中で突然水位が上がり多くの中国兵が押し流された」という。

衝突の原因は、「20年5月、インド側が緩衝地帯の河川に橋を架け、これに異議を唱えた中国兵士80人が橋を解体するためにやってきた」とし、6月6日の「短い衝突の後、双方は緩衝地帯から退き、境界を越えたインフラの撤去に合意したが、中国側がこれを守らず橋を解体した」ためとしている。

真相は藪の中だ。が、北京がFabao連隊長を五輪の聖火ランナーにしたこと、そしてインドがそれを北京による五輪の政治利用だと反発したことは紛れもない事実だ。

インドとロシア

プーチン大統領、モディ首相 Wikipediaより Oleksii Liskonih/iStock

そこで前編冒頭のクイズの一文が19世紀半ばの『インド、大英帝国、ロシア』なる小冊子の記述であったことを想起すれば、インドとロシアの浅からぬ因縁が思い浮かぶ。

クイズにした一文の後段にはこう書いてある。

ペルシャについては、まずロシアの同盟国として取り込み、次に属州とし、最後はロシア帝国の一部として併合する計画である。ペルシャの東にはアフガニスタンがある。アフガニスタンはロシアにとって格好の侵略経路となるであろう。インダス川を超えれば、ロシアの鷲が英領インドの心臓部に突入することを防ぐ防壁は存在しない。ロシアが目指しているのはまさにインドである。

ロシアにとって、英国の金蔵であるインドはインド洋への回廊としても魅力があった。『クリミア戦争』には「インドに対するロシアの野心こそがクリミア戦争の背景だったと論ずる人さえいる」とある。とはいえ時代が異なるので、ソ連のアフガン侵攻がインドへの経路確保のためだった訳ではない。

インドのモディ首相とプーチンは昨年12月、経済や防衛を含む幅広い分野での協力を謳う「平和・進歩・繁栄に向けたパートナーシップ」の共同声明を発表した。経済分野では、両国間の貿易額を2025年までに現在の3倍以上となる300億ドルにまで拡大するという。

首脳会議に併せて両国の外務・防衛両相が参加する「2+2」が初めて開かれたほか、2国間で計28件の協定・覚書(MOU)が締結された。政府間協定の9件には、94年以降続けてきた軍事技術協力を2031年まで継続するものや、平和利用を目的とした宇宙開発研究の協力なども含まれている。

両国は71年に「インド・ソ連平和友好協力条約」を締結、パキスタンと対立するインドと旧ソ連との間で第三国からの攻撃や脅威に対して相互協議を行うことに合意した。以来、両国は軍事面での技術協力関係を構築してきた。その一方でインドは日米豪と「自由で開かれたインド太平洋」を標榜するクアッドを形成する。

ロシアも、NATOに対抗するCSTOを旧ソ連7ヵ国で形成する他、テロや分離主義、過激主義への共同対処、経済・文化などの分野での協力を目的とする上海条約機構(SCO)をロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンに、ウズベキスタン、中国、インド、パキスタン、イランの9カ国で構成している。

要するにインドのモディもロシアのプーチンも、自国の領土と国民を守るためにしたたかに行動しているということだ。先日物故した石原慎太郎も、尖閣の買取りや福島への消防隊派遣に見る様に、この二人と同じ行動を取った。こういう人物を一流の政治家というべきだろう。

岸田総理は1月1日放送の某番組で、日中関係について「日本の外交のしたたかさが問われる年になる」と述べた。が、したたかというだけなら子供でもできる。骨抜きの「人権状況」非難決議では鼎の軽重を問われる。当世のしたたかな指導者といえばプーチンと安倍晋三が双璧ではあるまいか。

そこで中印の衝突に戻れば、「合意によって銃や爆発物の持ち込みが禁止され」、「一発も発砲されていな」かったことは実に新鮮だ。筆者はこの記事を読んで、土肥恒之氏の「ロシア・ロマノフ王朝の大地」(講談社学術文庫)の次の一節を思い出した。

19世紀後半のロシアには、時代と共にかつての出稼ぎ農民が村との繋がりを絶ち、「本来の」工場労働者になった者が多くいたが、彼らの社会には「集団的拳闘」なるものがあった。これは二つの工場や居住地の間で一定のルールの下に殴り合いをするもので、時には死者も出たという。

したたか岸田総理は「核廃絶」にとどまらず、いっそ「集団的拳闘」を国際社会に「机をたたいて」主張したらどうだろう。バイデン大統領といい、岸田総理といい、とてもじゃないがプーチンと習近平を相手に太刀打ちできると思えない。