ウクライナから200万人以上が国外へ:東欧諸国が受け皿に「要塞化欧州」が急激に変化

ロシアによるウクライナへの武力侵攻以降、欧州の難民受け入れ姿勢は劇的に変わった。

2015年の難民危機では、欧州各国は受け入れの足並みがそろわず、昨年秋から冬にかけてはベラルーシから入ってくる難民・移民たちを追い返そうとするポーランド当局の動きが国際的な非難を浴びた。

しかし、2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、これは欧州のどの国にとっても「許されない行為」だった。ウクライナを出て周辺の東欧諸国に向かう人々を欧州各国は最善を尽くして助けようとしているようだ。

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現在、ウクライナからの難民のほとんどがポーランド、ルーマニア、スロバキア、ハンガリー、モルドバなどに向かっている。

国連によると、ロシアによる侵攻から3月8日までに200万人を超える市民がウクライナを後にした見込みだ。

昨年は難民たちの受け入れを拒んだポーランドはウクライナ難民100万人余をすでに受け入れた。昨年秋から冬にかけての難民流入への強硬な拒否姿勢とは大違いだ。

(BBCサイトより)

 

主な受け入れ先は以下。

  • ポーランド:約102万人
  • ほかEU諸国:約18万3000人
  • ハンガリー:約18万人
  • スロバキア:約12万8000人
  • モルドバ:約8万2000人
  • ルーマニア:約8万2000人
  • ロシア:約5万3000人
  • ベラルーシ:約400人

筆者が住む英国は、英国人の家族・親戚がいるウクライナ市民を受け入れるとしていたが、これを広げ、約20万人の受け入れ予定だ。

欧州連合(EU)は400万人のウクライナ市民が国を出る可能性があるという。

ウクライナは日本の約1.6倍の面積を持ち、人口は約4200万人(外務省)。

ウクライナ危機発生前の欧州の難民受け入れ状況を振り返ってみたい。

「要塞化」欧州

昨年秋、欧州に住む多くの市民が一連のテレビ報道に釘付けになった。

旧ソ連圏のベラルーシから欧州連合(EU)加盟国ポーランドに入ろうとする難民・移民たちに対し、ポーランド治安部隊が放水装置や催眠スプレーなどを使って流入を阻止する姿が画面に映し出されたからだ。越境を試みる人々の中には小さな子供を連れた母親の姿があった。阻止策に怯まず、近隣の森の中に何日も身を隠しながら、EU内に入る試みを続ける人々もいた。

凍てつく戸外で夜を過ごさざるを得ない難民たちと暖房の効いた部屋の中でこうした報道を目にする欧州市民の状況には、天地の差があった。

人間の尊厳の尊重、自由、民主主義などを基本理念とするEUの国境で、非人道的と思える排除手段が取られていたことに、筆者自身が衝撃を受けた。

「政治の道具」になって

ベラルーシではルカシェンコ大統領による反体制派の弾圧政治が続いてきた。

昨年夏、ベラルーシ上空を通過した欧州の旅客機を強制着陸させ、政権に批判的なジャーナリストを拘束した事件をきっかけに、EUは対ベラルーシ制裁を追加した。欧州への越境の動きはこれ以降、活発化していく。

難民・移民たちは、当初ベラルーシと隣接するEU加盟国リトアニアに、次にポーランドに向かうようになった。リトアニアはベラルーシとの国境沿いに全長約500キロの障害物を建設し、ポーランドは国境に高さ2.5メートルのフェンスを築き、治安部隊を置いた。

報道によると、ベラルーシ当局は旅行会社を通じて中東各国から欧州移住希望者を集め、観光ビザなどを発給することで、意図的に難民らをポーランドに送り込んでいる。

EUのフォンデライエン欧州委員長は人を盾に使う「独裁国家によるハイブリッド攻撃」と評した。ハイブリッド攻撃とは軍事力を中心とした従来の戦争ではなく、移民の流入、脅迫、プロパガンダなどの手法で政治体制の弱体化を狙う戦略だ。

EUと2015年の難民危機

EU側には、2015年の難民危機の再来を避けたいという思いがあった。

当時、政情不安や内戦が続く中東やアフリカなどから難民・移民ら100万人以上が域内に殺到した。

EU加盟国には「難民がEU域内を目指す時、最初に入った国で難民申請をしなければならない」という「ダブリン協定」の遵守義務があるが、15年当時、難民らが最初に行き着くギリシャやイタリアなどに過重な負担がかかることになった。また、通過国となった国例えば反移民のオルバン大統領が統治するハンガリーは、国境にフェンスを建設するなど流入阻止策を導入した。

難民の大流入によって、EU各国では反移民を掲げるポピュリズムが台頭し、受け入れに積極的だったメルケル首相(当時)率いるドイツでは、難民問題が政権交代につながったと言われている。

EUの基本原則は域内の人・モノ・サービスの自由な往来だが、15年の難民流入、同年秋のパリ同時多発テロの発生で、国境検査なしで自由に行き来ができる「シェンゲン協定」を締結した国の中でさえも一時的に国境の再導入措置が取られた。難民・移民問題を通して、EUは一枚岩ではないことが可視化された。

ベラルーシ・ルカシェンコ政権がEUの弱みを突いてきたという見方は、当たっていると言えよう。難民らは政治の道具になってしまった。

英ガーディアン紙によると、昨年末までにポーランドに向かう途中で少なくとも19人が死亡し、そのほとんどが凍死だった。

ドーバー海峡の悲劇

11月末、英仏間でも欧州に向かう人々の身に悲劇が起きた。フランス北部から英国へ向かう、難民らを乗せた船がドーバー海峡近くで転覆し、少なくとも27人が死亡したのである。これまでにも問題視されてきた英仏間の密航だが、これほどの数の密航者が命を落とすことは珍しい。

英BBCの試算によると、昨年1年間で小型ボートに乗ってフランスから英国に密航した人は約2万8400人で、一昨年の約8400人から急増。1日当たりの密航者数は最大で1185人だった。

要塞化欧州への警告

ベラルーシとポーランドの国境付近に押し寄せた難民・移民問題については、EUによる制裁に反発したベラルーシが対抗策として意図的な難民流入を演出したという見方がEU及び英国では一般的だ。

EUとしては、おいそれと国境付近で足止め状態となっている人々を助けるわけにはいかない。2015年の難民危機の記憶もあって、越境に関する法律や枠組みを厳格化する方向に向かわざるを得ない。

英仏海峡を渡る密航者問題でも、両国の政府は互いに責任をなすりつけることに熱中し、渡航者を助けようとする議論には向かっていないようだった。

しかし、これでいいのだろうかと筆者は疑問を感じた。報道を通して国境付近で強硬排除手段の対象となる人々の姿を目にし、切羽詰まった肉声を聞くと、「政治の駆け引きはどうであれ、今、ここにいる人を助けるべきではないのか」という思いにかられた。国境付近の住民や慈善団体の関係者などがポーランドの森に入り、食べ物ほかの物資を配った。人道支援を先行させた行為といえよう。

ガーディアン紙は昨年12月26日付の社説(「『要塞化の欧州』には見知らぬ人に対する思いやりがない」)の中で、こう指摘した。

難民条約(成立1951年)の発想は、第2次世界大戦後欧州で大量の難民が生まれた事に端を発するが、70年を経た今、欧州の国境では障壁や柵が増えている。「要塞化の欧州」である。

ガーディアンの社説は、欧州の難民・移民流入問題の解決には、「安全で合法な渡航ルートが確保され、格差がある世界で経済移民が生まれる現実に解決策を見つけることが必要」としながらも、「脆弱な状態にいる、見知らぬ人の苦しみに直面した時、唯一の倫理的な対応は食べ物、飲み物、暖かさ、思いやりを差し出すこと、その人の物語に耳を傾けることだ」と主張する。このことを「70年前に学んでおきながら、21世紀の欧州はその全てをまた忘れる危険にさらされている」。理想論に聞こえるかもしれないが、警告といえよう。

上記は、昨年末までの状況を基にして書いた原稿である。

ウクライナ状況の激変で、「ウクライナ市民を助けよう」という機運が欧州内で一気に生まれた。「要塞」は消え、ドアが開けられた。

今後、ロシアとウクライナの関係がどうなっていくのか、予想は困難だが、もしロシアがすぐに侵攻を停止したとしても、人の流出はしばらく続くのではないか。

人道支援を最優先する姿勢が今後も維持されるよう、筆者は願っている。

(新聞通信調査会発行の「メディア展望」2月号掲載の筆者記事に補足しました。)


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2022年3月7日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。