コロナ感染対策の総合化へ
コロナ感染も含めたカオスのテーマでも、それぞれの専門領域での成果を出しつつ、最終的には世界レベルでの「健康で文化的な最低限度の生活」に寄与する学術の力は、医学や理工学だけの占有物ではない。人文社会系の学問でもコロナウイルス感染医学を補完し、朝令暮改や二重規範の政治に「科学の論理」を対置し、ともかく消費と生産の「行動変容」に有効な英知の発見に努めることは可能である。
そのためには、まず2年半にわたる感染者と死者と死者率の時系列的分析を通して、データに基づく傾向を把握することである。二つには医学だけではなく自然科学や人文社会科学の成果を専門家会議や政府の担当者や責任者に正しく伝えて、その活用を促進することである。
ここでは時系列分析と科学的アプローチに絞って、なかなか終息の兆しが見えない新型コロナ対策を社会学の立場から考えてみる。
(前回:政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑥:家族と支援)
南半球の冬季に感染者が増加
諸説はあるが、中国武漢での2020年1月発症を端緒とすれば、新型コロナ感染流行期間は2年半を超えた。それには大きな波があり、現在の第六波はすでに半年以上続いている。
最初にこれまでの時系列的な動向を示しておこう。武漢発症から半年後の8月までは、北半球のアメリカとイタリア、フランス、ドイツ、スペインなどで感染者が多く出て、世界全体の合計が2000万人を超えた。しかし、その後は冬季であった南半球のブラジル、南アフリカ、ペルー、コロンビア、チリなどで感染者が増えて、新しくランクインした(表1)。
この傾向は約3か月間持続したが、北半球の晩秋である10月末中旬から再びヨーロッパ諸国では第三波が到来して、感染者が激増するに至った。
このような初年度の動向から、夏季と冬季によって数か月の遅れを伴いながら、北半球と南半球の感染流行の時期が異なっていたことが分かる。
ノーベル医学・生理学賞受賞者による5提言
冬季ヨーロッパで感染者が増加していた2021年1月14日に、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言を政府が発令したことを受けて、それまでのノーベル医学・生理学賞受賞者の大隅良典、大村智、本庶佑、山中伸弥氏ら日本人科学者4氏は、医療崩壊の防止などを求める声明と提言を発表された。
その5提言は、
① 医療機関と医療従事者への支援拡充による医療崩壊防止
② PCR検査能力の大幅な拡充と無症候感染者の隔離強化
③ ワクチンや治療薬の審査・承認の迅速化
④ ワクチンや治療薬の開発に不可欠な産学連携への支援強化
⑤ 科学者の勧告を政策に反映できる長期的展望に立った制度の確立の実行
であり、いずれも説得力のある内容だった。これらは科学の側からの対応を集約した提言であった。
冬季の北半球の国々
表1から5か月後の2021年1月段階で世界の死者は9000万人を超えていて、全く異なる国々が表2には登場する。上位4者のアメリカ、インド、ブラジル、ロシアは変わらないが、5位から10位までは冬季を迎えたG7のイギリス、フランス、ドイツ、イタリアが加わった。ただ同じ冬季の日本では、感染者も死者も一桁少ないし、死者率も低かった。
この時点で世界の感染者は9000万人、死者は194万人、感染者に占める死者の割合は2.14%であった。1月だから北半球は冬の時期になり、ブラジルを除き、アメリカを別格として、厳しい寒さとは無縁のインドを除外すると、残りすべては北半球のヨーロッパ諸国に限定される。そしてこれ以降のランキングは、夏季でも変わらないままで今日に推移してきた。
感染後の1年間の特徴を指摘しておくと、武漢感染からほぼ1年でアメリカの感染者数は2200万人に達して、インドが1000万人を超えている。感染が世界各地で広がってからのある時期に、マスクを大統領までが外していたブラジルは800万人になっていた。
ヨーロッパ諸国の感染率と死者率の高さ
ロシアの感染者数も340万人に近づき、5位以下はイギリスからドイツまでヨーロッパ諸国が続いている。感染者数はイギリスが300万人、フランスが280万人、イタリアやスペインも200万人を超えていて、これら4国の死者数も5万人から8万人に達した。
死者率でいえば、トルコの低さ、イギリスとイタリアの高さが目立つ。同時期の日本の感染者数は29万人であり、死者率はアメリカより低く、インドよりも少し高かった。
それから何回か世界的にも流行の波が襲い、1年半後のデータが表3にある。2022年6月1日に世界の感染者は5億3000万人を突破し、死亡者は629万人にも達した。国連人口基金推計による世界総人口は約79億人だから、変異株など種類を問わなければ、初発から2年半で世界人口の6.7%がコロナに感染したことになる。
アメリカの死者が100万人を超えた
世界の感染者数が5億3000万人を突破した同じ日に、アメリカの死者が100万人を超えた。日本はまだ3万人を超えた程度である。この2年半で感染者の多い上位3か国は不動だが、G7の順位は変わりつつもフランス、イギリス、ドイツ、イタリアは残っている。ロシアが8位でトルコも10位であり、韓国が少し前からランキングに登場して、7位にまで上がってきた。
ただし計算で得られる死者率は世界的にみると徐々に低下しており、世界全体では1.19%まで下がった。日本では0.35%にまで落ちたが、ブラジルとロシアでは2.00%をまだ超えていて、アメリカを除くG7の4か国でも0.50%から1.00%の間に収まってきた。
新しい生活様式の提唱
このような世界的なパンデミック下で、かなり早い時期の2020年5月初旬に、日本では新型コロナウイルスとの共生を含む「新しい生活様式」が、専門家会議の「提言」として国民に向けて提起された。
その項目は、① 一人一人の感染症対策、② 日常生活を含む上での基本的生活様式、③ 日常生活での各場面別の生活様式、④ 働き方の新しいスタイルに分けられている。個人行動レベルでいえば、手洗いをまめにして、三密を避け、通販も利用し、会話は控えめにして、テレワークを実践しながら、時差出勤にも留意することはもちろん必要な生活様式の一部であろう。
「新しい生活様式」もまた「医療と社会の両方の面で、社会復帰の計画」(ダウリング、1977=1982:300)の一部であろう。総論的には「基礎研究に独特な、自由な研究精神と、実用的な応用の必要性から生じる動機とがうまく組み合わされることは、よい結果を生むに違いない」(同上:423)と表現できる。
これを受けて、「新しい生活様式」に関連する「行動変容」を軸として、「社会復帰の基礎研究」の一端を述べてみたい注1)。
テレワーク7割は可能か
この2年半、「行動変容」の事例として「出勤者の7割削減」をめざした「生産行動変容」に直結するテレワークが、政府から企業に対して繰り返し要請されたことは記憶に新しい。
しかし、日本の産業構造で大きな位置を占める世界企業や大企業は2割しかなく、それに官公庁と情報関係の小企業の合計1割を除けば、現場での作業が多い製造、建設、観光、運輸、郵便、飲食、問屋、小売り、通販、医療、介護、マスコミその他で7割を占める中小・零細企業では、「テレワーク7割」は不可能であった。
たとえば、北海道信用金庫が2020年秋に実施した札幌圏と後志圏の中小企業556社への調査では、「テレワークや在宅勤務などを実施していない(実施できる業務ではない)」という回答が全体で73.8%にも達していた(表4)。
信用金庫の顧客の多くが中小・零細企業であり、データは札幌圏と小樽などを含む後志圏ではあるが、この「実施できる業務ではない」比率の高さは日本全国に普遍化できる。企業全体の7割を占める中小・零細企業では、全体の7割を超える業務がそれになじまなかったのである。
「半沢直樹」でもテレワークが2割止まり
「テレワークの要請」実現がいかに困難かは、テレビドラマでも容易に分かる。たとえば、視聴率を稼いだドラマ「半沢直樹」(TBS)で示されたように、直樹の実家の「半沢ネジ」、東京中央銀行大阪西支店の取引先で倒産した「竹下金属」や計画倒産の「西大阪スチール」、そして片道切符の行先であった「タミヤ電機」などはほぼテレワークが不可能であった。
さらに巨大企業である東京中央銀行西支店と本店の融資部や営業部などでも、現場で人に会う仕事が不可欠であった。そうすると、全体の2割を占める巨大企業と大企業の部局単位、そして官公庁と情報関係の企業1割合計でそれが可能になっても、「出勤者の7割削減」の手段としてのテレワークは、日本社会全体では0.3×0.7=0.21となる。すなわちテレワーク可能な企業は全体の2割程度という結果しか得られないから、働く人全体での「人流抑制」など不可能であるという予測が成立する。
テレワークでは職場における協力と拘束が困難
加えて「テレワーク7割」要請では、職場における協力と拘束という両方の機能への配慮がなされていない。
一般に対面的職場では、日常的接触がコミュニケーションを容易にして、上司からの指示や同僚との協力関係による相互作用もまた円滑である。そこには相互協力とともに相互拘束の2機能が働き、職場独特の雰囲気が醸成されている。
このような組織の現状を無視した画一的「テレワーク7割」依頼策では、感染防止の効果も乏しいのではないか。
日本生産性本部調査結果にみるテレワーク実施率
しかも、北海道の中小・零細企業のうち73.8%が「テレワークできない」と回答した比率は、日本生産性本部が2022年4月までに繰り返し実施した「働く人の意識に関する調査」結果でも裏付けられていた。
調査対象者1100名は、20歳以上のわが国の企業・団体に雇用されている者(雇用者=就業者から自営業者、家族従業者等を除いたもの)である注2)。柔軟な働き方のうち、一般に「自宅での勤務」、「サテライトオフィス、テレワークセンター等の特定の施設での勤務」、「モバイルワーク(特定の施設ではなく、カフェ、公園など、一般的な場所を利用した勤務)」などを総称して「テレワーク」と定義して行ったのが日本生産性本部の調査である。
回答に見るテレワークの実施率は22年1月調査では18.5%と過去最低を記録したが、4月調査では20.0%とやや増加した。ただし、前回との統計的有意差は無い。
念のために過去7回の調査結果を図1でまとめると、日本生産性本部による「働く人の意識に関する調査」では「テレワーク実施率」は平均で20%程度であり、「実施せず」が80%前後だったことが分かる。これは先ほどの北海道信用金庫による調査結果や計算結果と整合する。
オンライン授業による教育格差
これは、学校教育でのオンライン授業も同じである。この半年間、コロナ感染者のクラスターによる義務教育での学級閉鎖はもはや珍しくない。その代替でもあるオンライン授業は、パソコン環境の整備も含めて教育格差を新たに生み出す心配がある。
教室は対面での授業で生徒の各教科への理解を進めるとともに、集団生活の経験やコミュニケーションの場でもあるので、登校しなければそれらの体験が無くなる。加えて、音楽や体育や美術図工など実習系の科目の指導が困難になるであろう。
コミュニケーションにおける協力と拘束の機能が教室で経験できないことは、低学年の生徒にはかなり痛手となる。このような問題に対して、コロナ禍に限らず、リスク発生時点の生産現場や教室や買い物先での「行動変容」の具体的支援策が待たれる。
「ソーシャル・ディスタンス」の誤用
「テレワーク7割」が現実離れだったことに加えて、コロナウイルス感染が明らかになった時に、専門家会議や政府の記者会見そして各種マスコミで頻繁に使用されてきた言葉の誤用があげられる。それは「社会的距離」(ソーシャル・ディスタンス)の意味の取り違えである。
第一波から第六波までの日本でこの言葉は、人と人の間隔2mを指すものとして使用されてきた。首相、担当大臣、知事、市町村長、専門家会議、マスコミ他すべてがこの言葉の真意への配慮無く、無自覚なままで使ってきた。
コロナウイルス感染対策だけではないが、ここにも日本社会特有の学問的成果への無配慮が濃厚に出ている。既述したノーベル賞受賞者4氏による「科学者の勧告を政策に反映できる長期的展望」が、ここでも欠如していた。
「ソーシャル・ディスタンス」は都市社会学の用語
学術的にはこの概念は100年の歴史を持っている注3)。それは何よりもパークやバーゼスら初期のシカゴ学派で用いられた都市社会学の用語である。
たとえばパークは、「私たちの感情は、偏見と関連がある。そしてその偏見は、人や民族はおろか、無生物といったようなもの、つまり何物に対しても抱かれるのである。また、偏見はタブーにも関連しているところから、『社会的距離』(“social distances”)や現存の社会組織を維持しようとする傾向がある」(パーク、1925=1972:17)。ここでは偏見など個人感情や社会関係のレベルでのみ使用されていて、空間的距離2mを意味しない。
空間的距離ではないソーシャル・ディスタンス
語源的にみると「社会的距離」(social distance)のうちdistanceは、dis – apart、tance – standなので、stand apart(距離がある、隔たりがある、疎遠)という意味になり、とりわけ空間的な隔たりを指して、遠方にある状態を表す。
しかし、これにsocial(社会的)が付くと、空間ではなく、親しさの度合や疎遠の程度を表現するというのが社会学では通説になってきた。従って、新型コロナウイルス感染予防に活用されてきた「社会的距離」とは人と人との2m間隔ではなく、集団間や個人間で関係の親しさの程度を表す際に用いられる概念となる注4)。
辞典を無視した日本人
また社会学的知識がなくても、その正確な意味は現代日本の英和辞典をひもとくだけでも認知できる。
たとえば、「集団間における牽引と反発の度合いで、人種・階級・職業的地位などがその決定因となる」(『研究社新英和大辞典』)、「職業上の地位や階級などによる個人または集団間の親近性」(『ランダムハウス英和大辞典』)、「主に社会階層を異にする個人・集団間の親近度、許容度を表す」(『グランドコンサイス英和辞典』)という「親近性」の度合いに限定された説明が、各種の大型英和辞典でなされている。
英語の表現でも、‘keep a person at a distance’は「人との距離を保つ」とはいえ、その意味は空間的な距離ではなく、「冷たく扱う」や「親しくしない」といった親しさの程度を示すものである。なお『新編英和活用大辞典』(1995:767)では、’the social distance between the two lovers’「2人の恋人間の社会的な隔たり(身分などの違い)」が例文としてあげられている。もちろん2mの空間距離を表すものではない。
そして第二版以降の歴代の『広辞苑』でも、「集団と集団との間、個人と個人との間における親近性の強度」とされてきた。空間距離2mを「社会的距離」と信じてきた人々は、誰でもが手にすることができるこれらの辞典を参照しなかったのであろう注5)。
商店街でも間違って使われた
したがって、新型コロナウイルス感染予防でこの2年半強調されてきた「人と人の間隔」を2m空けることを、この言葉は意味するのではない。すでに掲示物として使っているスーパーや商店街も無数にあった(写真)。
その趣旨で使うのであれば、先行的な意味合いが「親しさの程度」を表すことを正しく明記したうえで、それとは違う空間的意味(フィジカル・ディスタンス)を込めていると注記しておくべきであろう注6)。
健康と医療の方向性
日本の社会学界では「社会と健康」を具体的に論じる研究者は非常に少ない。私もその一人であり、ギデンスの第8版テキスト(Giddens & Sutton,2017:442)でネットルトン(2013)の研究を利用してまとめられた表5を手掛かりにして、健康と医療の現代的方向性を垣間見ておこう。
表5では病院内外の専門家、患者の積極性、健康が持つ宗教性や精神力、医療的対応の多様な選択肢、伝統的治療と現代的セラピーなどが総合化されている。これは、左側の状態が、特定の医療行為によって右側の状態に変換されることを意味する。
たとえば、ある病気の患者として現在は病院にいるが、治療により健康状態に戻れば、自宅のある地域社会に帰れる。急性疾患には病院で集中治療が施され、その結果として状態が改善されれば、慢性疾患をもつものとして通院を前提とした在宅で暮らす。
患者の病気に対して医師による専門的な治療が済めば、その後は住民としての日常生活での予防に重点が置かれる。医師による患者への医療行為には、治療以外にも慢性疾患対応や予防なども存在する。
社会と健康
また、「社会と健康」についてミクロとマクロ表現による整理もある。たとえば、医療機関や医療従事者との出会い(medical encounter)という個人行動のミクロな領域から、健康面に内在する社会的不平等性や健康管理面での改善という社会システムにおけるマクロな領域までの統合が主張される(Fernando De Mario,2010:161-162)。
この視点は、2020年に発生した新型コロナウイルス感染によるパンデミックでも有効である。一つは、医療機関や医師との偶然の出会いが、患者本人の寿命に直結することが再確認されたからである。いつ、どのような医療機関を受診するかで、患者の生命が左右される。
医療をめぐる社会的不平等の存在
同時にアメリカをはじめいくつかの国々においては、コロナ感染を通して人種間の感染率や死亡率の差異により社会的不平等性が顕在化した。学歴や失業率などが影響する所得格差、家族や個人が所属する階層間の「生活の質」の差異、医療保険制度の有無など、世界的に見るとさまざまな不平等性が見られる。そこで新型コロナウイルス感染の第七波を迎え撃つ際にも、これらについても十分な配慮をしておきたい。
各分野の専門家が学術的成果の活用、データ収集、現状の観察を並行して行うことでしか、未曽有のウイルスに立ち向かうことはできないので、次回は新型コロナ対策にも有効と考えられる行動変容論をまとめたい。
(次回:政治家の基礎力(情熱・見識・責任感)⑧)
■
注1)「提言」では具体的な行動事例の積み上げは紹介されたが、「生活様式」(way of life)の定義は十分にはなされてこなかった。私の「新しい都市的生活様式」ついては金子(2021)を参照してほしい。
注2)株式会社クロス・マーケティングのモニターを利用。総務省「労働力調査」の最新の結果に基づいて、性・年代別にサンプルを割り当てて100%回収。 調査期間:2022年4月11日(月)~12日(火)。
注3)「社会的距離」については、英語文献だけではなく、フランス語社会学辞典でも以下の説明があることに留意しておきたい。「社会的距離は、より一般的でよく使う意味としては、多かれ少なかれ分離よりもやや大きな間隔であり、社会空間のなかで二人かもしくはそれ以上多い人々の間における地位の間隔である。それは、社会的に、民族的に、宗教的信条面でも下位文化的に見ても、異なる階級に所属する人々を指すものである。」(Boudon,R.,Besnard,P.,Cherkaoui,M.,Lécuyer,B.P.,eds,2012:65-66).
注4)この事実への配慮が皆無であったことは、日本だけではなく世界の中での社会学の地位の低さを象徴している。
注5)ソーシャル・ディスタンスに関しては、とりわけ言葉に敏感で、それを唯一の売りとしているマスコミ関係者の怠慢が目立つ。この2年半でこの言葉の使い方に疑問を抱いたマスコミ関係者は何人いたであろうか。
注6)今日では少ないながら、「キープディスタンス」を使うスーパーも出てきている。
【参照文献】
- Boudon,R.,Besnard,P.,Cherkaoui,M.,Lécuyer,B.P.,(eds),2012,Dictionnaire de la sociologie, Larousse.
- Dowling,H.F.,1977,Fighting Infection : Conquest of Twentieth Century, Harvard University Press.(=1982 竹田美文・清水洋子訳『人類は伝染病をいかにして征服したか』講談社。
- Fernando De Mario,2010, Health and Social Theory, Palgrave Macmillan.
- Giddens,A.,and Sutton,P.W.,2017, Sociology(8th),Polity Press.
- 金子勇,2021,「新型コロナウイルス感染防止の不都合な真実」神戸学院大学現代社会学会編『現代社会研究』第7号:85-112
- Park,R.E.,Burgess,E.W.,Mckenzie,R.D.,1925,The City, The University of Chicago.(=1972 大道安次郎・倉田和四生共訳『都市』鹿島出版会).
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